Kota Yokoyama 『目指すはシャンゼリゼ! 』

SHIMANO Racing 横山航太のブログ

A- STYLEセールやで

2019-01-14 20:32:52 | 日記

僕らがアフタージャージでサポートいただいている A- STYLEの冬物セールが始まったようです!!



A- STYLEとは?


全商品30%オフ、セール期間は2/11まで!


より一層寒さが増してきた今日この頃、

真冬の1月末〜2月を迎える前にA- STYLEのアパレルを手に入れてみてはいかがでしょうか?😉😉😉
コメント

今年は年男🐗

2019-01-05 20:18:25 | 日記

遅くなりましたが皆さんあけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします🎍


今年は正月らしいことと言えば家族でおせちを食べたり、同級生と久々の再開をしたり地元を満喫しておりますが日中の過ごし方に関してはいつもと変わらない日を送っております。


年々年末年始感が薄くなっているようですが…
選手としては正しい気がしますが一般とはかけ離れて行っている気がしますねw


今日は少し遅めの初詣を母と善光寺へ。

行くたびにおしゃんてぃーになっている善光寺通りに驚きつつ賽銭を投げいってきました。



今年は年男🐗で厄年、猪突猛進初心を忘れずがむしゃらに競技に取り組み、毎年言っていますが向上心を忘れずに競技に取り組みたいと思います。


今年もよろしくお願い致します!!
コメント

僕が自転車選手になるまで〜2

2018-12-28 20:59:08 | 日記

小学校に上がった僕は低学年の頃はとにかくやんちゃだった。

友達とケンカをしては先生に毎日のように怒られていた、時には親まで呼ばれることも…
教員の息子が問題ばかり起こしていて今思うと両親には肩身の狭い思いをさせていたと思う。笑


そんな僕のスポーツ自転車との出会いはこの頃。
親父が地元のトライアスロンに年一回くらい出ていてそれに出るためにロードバイクを持っていた。
小学校に上がり体も大きくなった僕には補助輪付きから乗っていた自転車はかなり小さくなっていたので見かねてGIANTの24インチのMTBを買ってくれた。

せっかく買ったのなら、と親父と新潟県境付近までサイクリングに行ったりした。
今となっては練習で普通に行くような距離だが小学校1年生の僕には40キロのアップダウンのある道は永遠のように感じたのを覚えている。




小学校2年生になると親父のレースに出てみないか?の誘いにのりMTBレースに出た。
ここから小学校4年生くらいまでは年1くらいでレースに出ていたと思う。



初めて出たレースでは本当に小さいレースであったが優勝したと思う。


この頃は色々スポーツもやっていて冬はアルペンスキーの大会に参加し夏は年1のMTBと地元長野付近でやるマラソン大会に参加していた。




小学校高学年になってくるとだんだんと自転車にのめり込むようになってくる。

僕の学校には学区というのがあって学区の外に子供だけで行くことを禁止されていた。
しかし小学生の好奇心にはそんな校則はなんの役にも立たなかった、僕1人で色々なところを冒険し時には隣の市まで冒険しに出かけていた。
歩きでは当然無理なので自転車でとにかく色々なところを冒険した。



だんだんとレースに出る回数も多くなり小学校5年生からはMTBレースのために練習しだすようになった。

そして小学校6年生では全国小中学校MTB大会で小学校6年生の部で優勝した。


この時はこのレースに勝ちたくて勝ちたくて練習してきて、そのレースで勝てたことが本当に嬉しかったのを覚えている。


ちなみにこの時の二位は岡本隼(現 愛三)。
まさかこの時はナショナルチームとしてヨーロッパを一緒に遠征することになったりアジアツアーの同じレースを走るとは思わなかったwww



この年に初めてロードバイクというものにも乗り始め、ロードレースにも出るようになった。

確か初めて出たのは四日市の全国ジュニアで高学年の部で3位だったと思う。




続くかも……?
コメント

僕が自転車選手になるまで〜1

2018-12-24 16:32:42 | 日記

今年もあと1週間程ですね、

平成生まれの僕としては今年で年号が変わるのは少し寂しいものです。



ふと、実家でアルバムを見返していて子供の頃の自分を思い出し懐かしい気持ちになってしまい僕の幼少期についての話に少しお付き合いいただければと思います。




僕は1995/8/20長野県長野市に生まれました、

両親は小学校教師で職場結婚ってやつですね。


父はなにかとスポーツが好きで冬も夏も何かしらスポーツをしている人でした。
自転車を始めたのも親父の影響があってはじめました。
僕の競技には本当に熱心に応援してくれて、勝つと誰よりも喜んでくれました。かといって結果が悪かった時には怒られた記憶は無いです。いつも前向きな言葉をかけてくれました。
きっと怒られていたら僕の性格上ヘソを曲げて今の僕はなかったことでしょう😅

母は親父と比べると一歩引いていて、いや、2歩か3歩くらい引いていて競技のことは全くの無関心(笑)
昔シクロクロスの世界選に行った時に親父がライブストリーミングをみていたら
「あ、今回はシクロクロスの遠征だったんだ、ロードだと思ってたわ〜」
と言うほどに無関心w
しかし練習や遠征でどれだけ早く家を出て行っても必ず朝食を作ってくれたり、お弁当を作ってくれたり、食べものの要望があれば必ず作ってくれ影から僕を支えてくれました。


生まれる前からやんちゃだった僕は母のお腹をよく蹴り飛ばし親父が見てもわかるほどに蹴り飛ばしていたようですw
生まれるとその元気さを裏付けるように(?)3400g以上あるビッグベイビーだったようです。


【生後4日の僕】





【2〜4ヶ月くらいかな?】


1歳になる頃には乗り物がとにかく好きだったようで初めて発した言葉は「ぶーーー(クルマ)たーーー(いた)」だったようでこの頃から乗り物好きだったようですw


【2歳】

2歳の誕生日に三輪車を買ってもらい三輪車をとにかく乗り回していました。
初めはペダルを漕ぐことはできなかったもののすぐに漕げるようになりました。


【3歳】

3歳になるとスキーによく行っていた親父に一緒に連れて行ってもらって初めてスキーに。

このくらいから補助輪付きの自転車に乗り始めました。
補助輪が片方、もう片方ととれ始めると当時住んでいたアパートの前の坂を下りコーナーをいかに速く抜けられるか毎日のように練習をしていたことを記憶しています。
たまにグリップの限界を超えて膝を血だらけにすることが多々ありましたがww
乗り物が大好き、スピードが出るものが大好きだった僕には自転車は転ける恐怖よりもスピードの爽快感の方が優っていました。

今考えると危なすぎますが(笑)この時の経験がのちに自転車にのめり込むことになったのかもしれません。




この頃になると妹が生まれ4人家族になります。
妹とは誕生日が1日違い、当時はケーキが二回食べれるはずが誕生日パーティーをまとめてやるので一回のみですごく不満だったのを覚えていますw






続く……………かも?
コメント

シクロクロス全日本選手権

2018-12-11 21:23:51 | 日記
年に一度の全日本選手権がやってきた。

昨年はエリート初参戦で2位、今年こそ優勝を狙いたいが直前のUCIレースのマキノ、野辺山の結果を見ると正直表彰台は可能性があるが優勝はなかなか難しいと思っていた。

しかし、やれることはやっておきたかったので一週間前からトレーニングの量も減らししっかりと疲労を抜いた状態でマキノに向かうことができた。



前日の試走ではたびたび降る雨のおかげで泥のコンディションであったがレース当日になるとまさかの一面銀世界。雪国生まれ雪国育ちで幼少期から雪の中を自転車で駆け回っていた自分には願ってもないコンディションとなった。



レース前の時点で積雪は20センチほど、タイヤ選択としては圧雪になりそうならシケンイン、路面がでてきそうならベビーライムスと考えていたが路面が出てきそうと判断、かなりの低速レースになりそうだったので空気圧を1,2barにセッティングした。



スタートはうまく決まり第一コーナーをトップでクリア、先頭でコースに飛び込むことができた。

コースは轍ができていず試走以上に難しいコンディション。乗車と降車の判断に迷う。

担ぎ区間に突入すると前田選手が一気に担ぎで抜いてくる、かなり早いペースで合わせられず抜かれついていくが少し間が空いてしまった。

2周目にはいり前田選手がかなりいいペースで前で刻んでいき20秒以上のビハインドがついてしまうが雪で焦るとろくなことがないので自分の走りに集中する。

この頃になると轍がきれいにでき始め乗車区間が増えてきた。

4周目、もうラスト2周だ。

とにかくプッシュできるところはプッシュして落ち着くところは落ち着きつつタイヤのグリップ目一杯攻める。

差は15秒まで詰まりラスト1周へ。


あきらめず攻め続けるが前も一緒、差を詰め切れず2位でゴールとなった。



雪のコンディションは自分にとって追い風でしたが一歩及びませんでした。

しかし、今シーズンのベストの走りはできたと思うので悔いはありません。

今年のシクロクロスレースはあと宇都宮2戦のみ、海外の強豪選手も参戦するので頑張りたいと思う。



photo cyclowired Kei TSUJI
コメント