研ぎ出し鞘、肥後拵様式の外装が完成しました。
抜刀するまでもなく、外装を見れば刀身がイメージ出来るような存在感のある拵を目指して作り込みました!
鮫皮の研ぎ出し加工は、夜空に瞬く無数の星々の様な模様が特徴的です。
今回は、2枚の鮫皮を交互に並べて配置することで色味の強弱を加えて、研ぎ出しの面白さを強調してみました。
鞘中央部の親鮫は、当該拵え制作中に932年ぶりに日本から観測出来た金環日食をイメージしています。
写真は、2012年5月21日に横浜市栄区からみた金環日食。
全体のバランスを取るために、一部の鞘下地を深く掘り込み一部を厚手に残し漆の厚みを調整することで、前出のとおり色合いの違いを強調したことも特徴です。
鞘制作時の投稿は、下記のリンクより:
「信長拵写しの鞘下地」(2012年04月09日)
この度の拵えは、肥後様式の拵えの中でも、最高級仕様の信長拵を大胆にも現代風にアレンジしてみました。肥後拵といっても、伯耆流とは別流派の居合に用いるために様々な改良を施しました。
例えば、本歌は印籠鞘ですが、鞘引きを用いる流派には若干用途に難があるので、あえて刻みをいれずに信長拵風に表現しました。また、本来は鹿皮で柄巻きを施しますが、武道においては滑る事も考慮し、正絹を用いました。下げ緒も本来は皮です。(肥後系の外装様式が必ず革巻きと考えるのは安易な連想で、実際には様々な材料を用いた外装が現存しています。)若干柄前が長く感じるのは、用途との兼ね合いから意識的に調整しています。
柄前制作時の投稿は、以下のリンクより:
「肥後拵」(2011年07月25日)
差裏も掟通りに加工。(瓦金については、表裏の強度配分のために取り付けているもので、本来は瓦金という定義ではないと考えられます。)
鮫皮を一枚一枚切断・加工して張り付けていく工程では、時間を気にせず根気と集中力が要求されました。
普通の泥摺りではつまらないので、肥後船形を採用しました。
黒を基調に仕上げたい箇所は、鞘下地を深く掘っています。
鯉口には、銅の金具を用いて補強を行いました。
鉄の鯉口金具だと、刀身との接触などにより刀身の故障の原因になりかねないため、当工房では、銅を用いて制作しています。
鯉口の制作は、拵師(柄巻師)のサブブログ「伝統工芸職人って…」の下記リンクより:
「鯉口金具」(2012年04月11日)
栗型の位置も、肥後拵の掟に従って通常より鯉口寄りに設置しています。
ただし、こちらも伯耆流での使用ではないため、気持ち前方に配置する程度に留めています。
当該お刀の特徴は、身幅が広く重ねが薄い作り込みですので、全体的に誇張したような拵えになりました。
サービス研摩(白研ぎ)で刀身を若干いじりましたが、写りが全面に出ており古名刀の風格を漂わせています。ぜひ、鑑賞研摩をかけて欲しい一振りでした。
後は、納品を待つのみ!
抜刀するまでもなく、外装を見れば刀身がイメージ出来るような存在感のある拵を目指して作り込みました!
鮫皮の研ぎ出し加工は、夜空に瞬く無数の星々の様な模様が特徴的です。
今回は、2枚の鮫皮を交互に並べて配置することで色味の強弱を加えて、研ぎ出しの面白さを強調してみました。
鞘中央部の親鮫は、当該拵え制作中に932年ぶりに日本から観測出来た金環日食をイメージしています。
写真は、2012年5月21日に横浜市栄区からみた金環日食。
全体のバランスを取るために、一部の鞘下地を深く掘り込み一部を厚手に残し漆の厚みを調整することで、前出のとおり色合いの違いを強調したことも特徴です。
鞘制作時の投稿は、下記のリンクより:
「信長拵写しの鞘下地」(2012年04月09日)
この度の拵えは、肥後様式の拵えの中でも、最高級仕様の信長拵を大胆にも現代風にアレンジしてみました。肥後拵といっても、伯耆流とは別流派の居合に用いるために様々な改良を施しました。
例えば、本歌は印籠鞘ですが、鞘引きを用いる流派には若干用途に難があるので、あえて刻みをいれずに信長拵風に表現しました。また、本来は鹿皮で柄巻きを施しますが、武道においては滑る事も考慮し、正絹を用いました。下げ緒も本来は皮です。(肥後系の外装様式が必ず革巻きと考えるのは安易な連想で、実際には様々な材料を用いた外装が現存しています。)若干柄前が長く感じるのは、用途との兼ね合いから意識的に調整しています。
柄前制作時の投稿は、以下のリンクより:
「肥後拵」(2011年07月25日)
差裏も掟通りに加工。(瓦金については、表裏の強度配分のために取り付けているもので、本来は瓦金という定義ではないと考えられます。)
鮫皮を一枚一枚切断・加工して張り付けていく工程では、時間を気にせず根気と集中力が要求されました。
普通の泥摺りではつまらないので、肥後船形を採用しました。
黒を基調に仕上げたい箇所は、鞘下地を深く掘っています。
鯉口には、銅の金具を用いて補強を行いました。
鉄の鯉口金具だと、刀身との接触などにより刀身の故障の原因になりかねないため、当工房では、銅を用いて制作しています。
鯉口の制作は、拵師(柄巻師)のサブブログ「伝統工芸職人って…」の下記リンクより:
「鯉口金具」(2012年04月11日)
栗型の位置も、肥後拵の掟に従って通常より鯉口寄りに設置しています。
ただし、こちらも伯耆流での使用ではないため、気持ち前方に配置する程度に留めています。
当該お刀の特徴は、身幅が広く重ねが薄い作り込みですので、全体的に誇張したような拵えになりました。
サービス研摩(白研ぎ)で刀身を若干いじりましたが、写りが全面に出ており古名刀の風格を漂わせています。ぜひ、鑑賞研摩をかけて欲しい一振りでした。
後は、納品を待つのみ!
大きなお仕事、完成お疲れ様です。
時代時代にさまざまな拵えが腰元を飾ってきましたが、
今回の拵えも持ち主に光を当てそうですね。
鮫の加工はとかく大変と聞きます。
手肌などガサガサになったのでは…?
信長の刻み鞘といえば、
家臣に刻みの数を数えさせる…
蘭丸はそれを知っていて、知らぬ振りをし…
というエピソードを思い出します。
柄糸、下げ緒の色も素敵ですね。
お仕事お疲れ様でした!
ご親切な労いありがとうございます。
この鞘の工作では、今までで一番時間をかけました。
その分、入念に制作いたしましたが、ご察しの通り指の皮が削れて血がにじむ有様です。
932年ぶりの金環日食記念バージョンです(笑)。
武将信長のエピソードありがとうございます。
そんな面白い小話があるのですね。
信長拵は、加州の大和系鍛冶信長の刀身に着せた拵の掟ですが、刀匠信長の作刀時期と、信長公の活躍した時期は同じ時代ですので、信長公もその存在を知っていたと思います。
今後とも、よろしくお願いいたします。
北国の人間として恥ずかしい限り。
ある時信長(織田)は厠へいく際に、
蘭丸(お乱)に刀を預けた。
蘭丸はその際刻みの数を数えていたのだそうで。
信長はそれを知っていたが、ある時、
家臣を前に、この刻みの数を当ててみせよ、
当てたらば刀を取らす、と信長らしい無理難題を問いかける。
勿論、誰も答えられず…、蘭丸は敢えて回答しなかった。
信長は蘭丸に問いかけると、その数を言い当てた。
そして刀は蘭丸に、家臣一同は驚いた、と。
蘭丸を取り立てるためとも、主君と家臣の信頼を高めたとも色々言われるエピソードですが…。
最近、武家名目抄という本を紐解いていたら、
久々にこの話題を目にしたもので。
いやしかし、北陸の信長とは、恐れ入りました!
武家名目抄という本、非常に興味深いです。
他にどのようなエピソードが載っているのでしょうか?
私の好きな話ですと…、「敵に塩を送る」などのメジャーな話は載っていない感じですかね?
細川家伝来の御家流拵としては、他に歌仙拵なども有名です。
昨今、摸造刀に武将の名前がついたものをよく見かけますが、武将の個人名のついた拵えというのは、本来あまり聞きません。むしろ刀身の銘から名付けられた拵えというのが一般的です。
あっ!明智拵は、武将名ですね(笑)。
先日お願いして巻きなおしていただいた脇差拵えに、欠けていた片方のシトドメを追補しました。
下げ緒も代えてすっきり見違えました!
これも偏に拵師さんのおかげです。
武家名目抄ですが、江戸期の武家故実叢書とでもいべき、故実の羅列書です。
これがなかなか面白く…、
笄をなぜコウガイというのか、刻鞘とは何か、
などを、出典を網羅して説明するわけです。
刀装だけでもそこそこのボリュームあり、
時に紐解くと勉強になる本です。
下緒の項目も目から鱗でした。
武将達のエピソードをお読みになりたいのならば、
岩波文庫の名将言行録あたりがコンパクトで読みやすいのではないでしょうか。
高校生時代の愛読書でした。
江戸期の故実を知ると、刀、刀装具の真髄が見えてくるような気がします。
肥後拵えの掟は流派によっては必ずしも向かない場合もあると思うのですが、
それを踏まえたうえで所作扱いやすく取り纏めてあるのではと感嘆いたしました。
鮫の研ぎ出しも篠笛塗の様に陰影があり、派手でなくしかし存在感を示し、落ち着いていて良いと思います。
工作過程のブログも拝見いたしましたが鞘の肉置き再現、素晴らしいです。なかなかこれをしてくださる職人さんがいらっしゃいませず、唸りました。
絞りについてはいかがでしょうか。肥後鞘は鯉口から鐺方向にかけて微妙に薄くなっていくのですが、強度と天秤でなかなか加工が難しいのではとご苦労が偲ばれます。
銅の鯉口金具もいいですね。これは鞘口の仕上げは朴材がそのまま出るのでしょうか?漆を塗るのでしょうか?角を鞘口に嵌めた上に金具で責めるのでしょうか?
とりとめもなく書き散らしました、お許しください。
お仕事お疲れさまでした。
これからのご活躍も期待しております。
脇差拵の件、そういっていただけるととてもうれしいです!ありがとうございます。
「名将言行録」早速探してみたいと思います。
拵の修復や制作時に、私が最も重点を置いていることは、当時の人になりきって思考をめぐらせるということです。
現代人では、全く気付かないこともたくさんあるので、まだまだ勉強ですね。
コメントありがとうございます。
絞りについてですが、全体写真を見ていただくと分かり易いと思いますが、ギリギリまで絞ってみました。刀身が南北朝なので、肥後拵には向かなかったかもしれませんが・・・。
ちなみに、鯉口より下部の幅が4.3cm、泥擦りより上部の幅が3.7cmでした。
欲を言うと、もっと絞りたいと思いますが、刀身との兼ね合いで難しいですね。
鯉口は、居合に用いる前提のため、あえて角を入れませんでした。漆だけで仕上げていますがこれは修復を視野に入れた処置になります。
今後ともよろしくお願いいたします。
>鯉口より下部の幅が4.3cm、泥擦りより上部の幅が3.7cm
刀身形状によるとはいえかなり思いきって絞られているようで、素晴らしいです。鮫を着せてですから下地はもっと薄いわけで・・・。いつも眼福です。
肥後拵えは鐺がほぼ標準なので、幅も厚みもだいぶん絞っている鞘が殆どの様です。その分鞘割れしているものもまま見かけますが(小生の国秀の鞘も尻に皸があったかと思います)、鮫を着せると補強的にも良いですね。
初めてコメントさせて頂きます
私は居合を稽古している人間なのでネットで日本刀について検索してこちらを見つけました。
鮫皮を巻いたこの鞘には感動しました。素晴らしいです。
次に拵えを新調する際にはこのようにしたいと強く思いました。
金額や納期などはメールからお問い合わせしたらいいでしょうか?
是非よろしくお願いいたします。