徒然刀剣日記

刀剣修復工房の作品・修復実績と刀剣文化活動のご紹介

桂小五郎の虎徹

2017-02-20 09:58:41 | ブレイク
ご来訪ありがとうございます!しばらく手付かずな状態が続き、さすがに「ブログを更新しないのか?」とお叱りを頂きましたので慌てて投稿させて頂く次第です。
言い訳になりますが、昨今一筋縄ではいかないご依頼が立て続き、なかなか拵えの完成に至らないことからブログどころではない!という状態です。近々、新規作成の御刀が完成しますので出来上がり次第更新させて頂きます!

さてさて、今回は幕末の偉人桂小五郎のお話をしたいと思いますのでお付合いください。



木戸孝允こと桂小五郎は、吉田松陰の知遇を得て頭角を現わし、のちに尊攘派の指導的立場となった大人物です。当時の江戸三大道場の一つ神道無念流の練兵館にて剣術を修め、剣豪の名を天下に轟かせました。池田屋事件では、危機一髪難を逃れるなど、常に幕末の激動の中に身を置き、坂本龍馬の斡旋で薩長同盟を締結したり、征長戦にて幕府軍を退けるなど活発な活動を続け、薩長主導による武力倒幕を成し遂げ、新政府を樹立した功労者の一人です。

新政府樹立後は、欧米に歴訪するなど輝かしい活動を続けますが、晩年は心を病み病没。享年45歳でした。

虎徹大鑑によると、愛刀は長曽祢虎徹の名刀で、島津斉彬より薩摩鶴丸城で拝領したことから鶴丸と号されたそうです。刃長は、二尺一寸六分(65.4cm)反りは、三分(0.9cm)折り返し銘で長曽祢虎徹入道興里、元々は2尺4寸程度の刀身を摺り上げた御刀といいます。

先日の鑑定会で出題された虎徹の茎の写真です。



上の出来は、遠目に見ても間違えようがありませんので当然「当り」。



ご覧のとおり、折り返し銘にて長曽祢虎徹入道興里。



ウブの目釘穴から鑑みて、元は2尺4寸前後。



記録にある桂小五郎の愛刀「鶴丸」と、特徴が一致!まさに、桂小五郎が島津斉彬公から拝領した鶴丸そのものと思われます。