徒然刀剣日記

刀剣修復工房の作品・修復実績と刀剣文化活動のご紹介

刀剣感情論

2011-01-17 14:19:26 | 拵工作
工作を行う傍ら、常々伝統を重んじ文化を継承する責任を痛切に感じます。

私にとって拵え工作とは、作品作りという枠を超えた、ある意味宗教的な概念に近いとすら感じております(宗教というものにあまり興味はありませんが・・・)。

大村邦太郎著、福永酔剣増補の『日本刀の鑑定と研磨』(昭和50年発行)の一節に、私自信衝撃を受け、共鳴する言葉がつづられています。
この文章に初めて出会ったのは、10年以上前ですが、今では私の道を照らす大きな指針となっていますので、ご紹介いたします。

以下、抜粋。

 日本刀はいうまでもなく一工芸美術品でありますが、古来、神器とか霊器とかいわれて、今なおわれわれのうちに強く働いているのみならず、おそらく日本のある限り、その活動を止めないでありましょう。これは長い間の伝統が然らしめるのでありますが、なによりもまず、刀自体が久遠に讃えられるべき高度の価値を有するからであります。
 すべて工芸品の価値は、実用と観賞との二つの価値の単なる和によって定まるものではありません。これらのものは本来それぞれに異なるものであって、決して同一の算盤にはのらない、したがって工芸品の本質的価値は、工芸品としての独自の地に結んだ果実でなければならないものであります。
 この意味においても、日本刀はおのずから純粋至高の工芸品的価値を備えております。すなわち日本刀においては利が即ち美であり、美の裏側が利なのであって剥がし分かつことはできません。一般工芸品と称するものにおけるがごとく、そこはかとなき属性的価値を誇示しない代わりに、渾一体なるあるものを価値の皮嚢に充満し、いみじき香気をさえ発して、つねにわれわれを導いております。

上記の導きは一般論に過ぎないかもしれませんが、伝統工芸に従事できることを感謝すると共に、初心を忘れることなく更なる技術の向上と精神の鍛錬を続けて行きたいと思います。

拵師のジレンマ

2011-01-09 11:52:27 | 拵工作
日本刀の柄前を工作していると、常に苦渋の選択を迫られます。
その最たるものは柄成です。柄成は、最終的な使用感に大きな影響を及ぼすので、繊細な加工が要求されます。

例えば、試し斬り用等の実戦重視のお刀の場合、製作段階でどうしても形稽古用と違った視点に意識が向かってしまう傾向があります。

居合等の形稽古用のお刀は、下地の故障よりも先に柄糸がほつれてきます。そのため、できるだけ柄糸に負担がかからない様な柄成を心掛けて工作しますし、刃筋を意識できるような柄成に仕上げてしまう傾向があります。
下地の選択でも、急制動時の負担が大きいナカゴの峰側に注意を払い、峰側の木目をよんで力学的な力の逃げ場を考えます。

それに比べ、抜刀や試し斬り用の拵えは下地への負担が大きく、特に試斬体を捕らえた時の力のベクトルがナカゴの刃側に集中する傾向があるので、下地選びの段階から木材を厳選しなければなりません。

本来、必要以上の力が加われば、刀身に問題が発生する前に柄が破損して力を逃がす仕組みになっているのですが、大戦中に従軍した先輩職人などに指導を仰ぐと、どうしても『強度の補強に頭を絞り、機能性を追及する』必要があるとご教示いただくことになります。

そのため美的センスと使用感、実戦力を同居させるのが非常に難しく、私自身いまだに答えが出ていません。
拵師のセンスとは、上記の点に関し、どこに重きを置くかだと思います。
そういう意味では、使い手の方からの要望が一番重要かもしれませんね。
観賞用なのか、形稽古用なのか、はたまた実戦用なのかで、工作方針が変わってしまうというのは、ただ単に私の腕が未熟なだけということは言うまでもありませんが…。

江戸時代以前の拵師にはまだまだ追いつくことができません。
私の未熟な腕を当時の職人が見たら、大目玉を食らいそうです。

新年のご挨拶 と 現代拵えの検証

2011-01-02 20:52:08 | 拵工作
明けましておめでとうございます。

今年一年が、皆様にとって実り多き1年となります様、心からお祈り申し上げます。

今年は、拵工作工房を始めて10周年となる記念すべき年(2002年HP開始、2004年メンバーサイト開始)です。
その間、多くの方々からご支援や暖かい応援を賜り、何とかここまで続けることができました。重ね重ね心より御礼申し上げます。

拵工作工房が実践して参りました、『正しい技法を用いた拵え・刀身に合わせた工作・持ち主に合わせた加工』をこれからも続けていきたいと考えております。

これは私見ですが、鑑賞を目的としない刀剣所有者の中には、刀身の選択には細心の注意をはらう反面、拵えにはあまり興味を示さない傾向がみられます。
模造刀の拵えを代用している方もお見受けします。

幕末時の日本刀が活躍した時代、刀剣の評価に関する記述では、『お刀8両、拵え8両』といった刀身と拵えの評価を同一とみなす傾向がありました。

「刀身」 = 「拵え」

刀身の性能を活かすためには、同等の価値の外装が求められていたわけです。

現代の武道家はどうでしょうか?
刀身と拵えの価値を同等と考えて所持されている武道家は少ないのではないでしょうか。

「刀身」 > 「拵え」

そこで、幕末の頃と現代とで、何が違うのか?検証してみたいと思います。

まず価値だけを考えますと、最も開きがあるのは鮫皮です、当時数10万した鮫皮は、貿易の多様化などにより、現代では数万で手に入ります。
縁頭金具は大振りの現代刀用の物が4万、現代目貫は2万ほどで入手可能です。
鍔は完成度の高い鋳物が2万ほどでしょうか。
幕末当時の工場物(コウバモノ)と言われる刀装具も、同程度の価値であったと思われます。

以上を考慮すると、現代拵えの材料費は刀装具8万+鮫皮数万で、当時の3~40万(ほとんど鮫皮代ですが…)の材料費に相当します。ちなみに職人の工賃(技術料)は、さほど変わっていません。
材料費が安くなったために、幕末の概念(「刀身」=「拵え」)が「刀身」>「拵え」に変わってきたと考えられます。