徒然刀剣日記

刀剣修復工房の作品・修復実績と刀剣文化活動のご紹介

鐺(コジリ)の加工

2011-06-26 18:18:53 | 拵工作
鞘の加工が終わりました!

加工前の鞘は、重ねが合わず、鞘の中でカタカタと刀身が踊っています。
サイズも5寸程長く、この機会に刀身に合わせた加工を施します。

ちなみに、刀身に合った鞘とは、本来は後家鞘を無理やり合わせることではありません。
刀身一振一振のために、鞘は作られているのです。
そのため鞘を刀身に合わせる工作は、伝統工芸の仕事ではありません!が、鞘を作る専門家が少ない昨今、そんな事を言ってはいられません。
刀身を次の世代に残すためにも、刀身を痛めないための措置、つまり鞘の調整が必要だと考えています。



今回は、肥後拵風に加工を施すため、水牛を加工してコジリを丸く仕立てました。



鞘の形状には、拵の様式によって様々なカタチがあります。上がBefore、下がAfter。



経験上、規格鞘と刀身とのガタツキを抑えるために、ある加工を施します。
ある加工とは、鞘をコジリ側から切断し、溝の巾を狭める作業です。イメージ的には、モノウチ下辺りから切っ先にかけてのみ入子鞘に収めるような加工を施します。

接着には、ソクイを用いたいところですが、塗鞘は白鞘と違って湿気が逃げにくい構造になっています。
内部に水分を残したくないため、入子と鞘下地の間には接着材を用いません。
ピッタリとした入子を作ることで、鯉口側に落ちることはありません。



次は、いよいよ仕上げのコジリの取り付けです。ただコジリを貼り付けているわけではありません!
鞘を切断しているので、鞘が役目を果たしていないのが現状です。そこで、上の図にあるような入子状の栓をホウの木で作成します。
ここでも接着剤は使いません。微妙な大きさの違いで固定されます。

なお、当該工作は、私が独自に考案したものです。けして、正しい措置ではありません。
あくまで、代え鞘の応急処置とお考えください。

正宗の作刀地?

2011-06-22 09:36:03 | 徒然刀剣紀行
先日、いたち川周辺を散歩中に、フッと考古学に思いを馳せた。

本郷台周辺は、鍛冶ヶ谷という地名が残るなど、刀剣の歴史と縁深いのです。
特に、いたち川流域の古代文明については、数多くの遺跡が発掘されており、多くのたたら場跡が確認されています。

図書館などで調べると、鎌倉時代以前よりいたち川流域には渡来人がコロニーを形成しており、周囲の原始的な住民とは次元の違う文化圏をカタチ作っていた様です。

ちなみに、いたち川の由来を調べてみると、イタチが生息していたとか、戦へ向かう武人がこの川で身を清めた「出で達ち」が語源といいます。
刀剣職人として言わせていただくと、「それはないだろう!」と思ってしまいます。

理由は、おびただしいたたら製鉄所跡や砂鉄の調達跡からみて、当時の川は常に真っ赤に染まり、魚はおろか小動物が生息するには過酷な環境であったことが想像できるからです。これは、伯耆の日野川の由来を考えれば、同様にかつ安易に想像がつきます。
この事から、まずイタチの生息域という説は除外せねばなりません。イタチどころか魚すら生息には厳しい環境です。
次に、清めの川としてですが、汚染された水で身体を清めたいとは思わないのではないでしょうか?

さらに、イタチの語源を調べてみました。
川の生態系の上位に位置し魚を食べ干してしまうため「魚絶ち」が語源とするもの、立ち上がった姿が火柱の様で「火立ち」を語源とするものなどです。
興味深いのは、後者です。
動物ではなくイタチという言葉の語源が「火柱」から来たとすると、大鍛冶施設が充実していたいたち川流域を表現するには、これ以上なくシックリきます。
ちなみに当時のたたら場は、傾斜地に縦型に設置され、火柱が天を焼くような構造であったと思います。

なお、いたち川という名称の河川は、国内にもう一ヶ所あります。
それは平成の名水100選にも選ばれた、富山県富山市のいたち川です。
富山には、鎌倉よりもさらに古い古代文明が栄えた形跡があるといいます。
富山も当然、渡来の高度な文化圏が形成されていたことが考えられますので、同じく鉄器の製造を行っていたことは間違いありません。

いずれにしろ、いたち川周辺では、当時の科学水準をはるかにしのぐ、文明圏が確立していました。その文明人達が富山から来たとする証拠はありませんが、同一の文化圏(つまり大陸)からもたらされた技術をもっていたのです。

ここで話をガラリと変えて、頼朝が鎌倉に幕府を定めたのはなぜでしょうか?
この辺りの歴史は極めて曖昧で、ともすると無策に鎌倉入りした様にすら感じます。
しかし、戦略家として有名な頼朝が、突発的に暫定政府を置くわけもなく周到な用意がなされたはずです。
実際に、頼朝は挙兵前に、逗子や葉山、鎌倉を事前に訪れている形跡があるといいます。
当然、いたち川流域の高度な文明圏にも接触を試みたことが想像できます。
いや、むしろいたち川流域文明を手中に収めることが目的であったかもしれません。

当時の刀鍛冶は、今日のように一人で作業をすることは出来ませんでした。
基本的に大鍛冶と呼ばれるたたら場職人と小鍛冶と呼ばれる刀鍛冶は、一連の技術者集団として行動を共にしていました。
そのため、恐らくたたら製鉄の段階で、刀鍛冶が炭素量の調整や操業に関与していた可能性は否定できないのです。

鎌倉幕府の武器量産体制の確立には、いたち川流域の職人(唐鍛冶系)の大鍛冶技術がないと、他国から招いた小鍛冶の技術は発揮されません。
いたち川流域唐鍛冶系と粟田口系や備前系の鍛冶とのコラボによって相州伝が完成したのではないでしょうか?

このような考察から、正宗の工房は鎌倉城内ではなく、いたち川周辺つまり本郷台周辺であったと推測しています。

文化財破壊

2011-06-18 22:25:40 | 刀身研摩
昨今の古美術品の価格破壊は、目に余る物があります。特に刀剣類の価格破壊は、どうなってしまっているのでしょうか?
ネットの一般オークションサイトを拝見すると、信じられない様な安価で日本刀が売買されています。

それらネット放浪刀剣を見ていると、刀剣愛好家や武道家といった取り扱いに心得のある人ばかりでなく、玩具感覚で購入する人たちが独自の加工を施しているケースが後を絶ちません。
価格ばかりか、有形文化財たる古美術品自体も破壊の危機に瀕しているのです。
中でも多いイタズラ?は、サビをサンドペーパーやグラインダーで削って、一応に刀身を光らせた刀剣です。

それらかわいそうな刀剣類は、所有者がすぐに飽きてしまうのか、処分目的でネットオークションに出品をされているようです。
写真で判断する限り、名刀の残骸とおぼしき出品が後を絶ちません。
あまりにも悲しい刀身を見ると、修復してあげたいという気持ちがメラメラと湧き上がり、思わず入札してしまいます。

もっとも多い加工は、サンドペーパーによるサビの除去行為です。
サンドペーパーは、もっとも細かい物で#2000番ですから、サビは取れるものの仕上げ研磨を傷つけてしまいます。また、微妙な加工が出来ないため、鎬筋を蹴ってしまうのです。

サンドペーパーにより加工された刀身を修復するには、鎬筋を立たせる必要があります。
しっかり鎬が立つ頃には、相当刀身がやせてしまいます。

次に、なぜ?と思うのが、グラインダーにより平肉を落とした刀身です。
最近は、研師による下地研ぎでさえ機械研ぎを施す職人がいる程ですから、ポピュラーな加工?と言えます。
包丁の研磨などをおこなっている職人さんでしたら、きっとうまく体配を整えられるのでしょうが、研師を含め一般の不慣れな人が機械を用いると、思わぬ破損を生む危険性があります。
グラインダーの特性上、平地にテーパーがかかってナイフの様になっている刀身も見かけます。

一度落ちた平肉は二度と戻りません。修復を施そうにも大きな整形を必要とするため、刀剣としての価値を失う場合がほとんどです。

どうか、刀剣の加工はプロにお任せいただき、くれぐれも安易な加工を施さないでいただきたく切実にお願いいたします。
なお、生意気を申しますが、研師諸兄におかれましても機械研磨の導入をお控えいただくことが、日本文化の継承のために必要な心構えではないか?と考えております。

模造刀の鞘

2011-06-15 22:55:09 | 拵工作
前回の名刀の拵工作に着工しました。
今回のご依頼では、柄前一式と鞘尻の加工なので、当然鞘は現状のものを流用することになります。現状というのは、言うまでも無く模造刀の鞘です。

ここで本音を言ってしまうと、この手の工作はあまり気が進みません。

というのは、拵えは柄頭から鐺までの全体のバランスで成り立っているため、一部に模造刀のパーツを用いると、それだけで不恰好な拵えになってしまうからです。
時々、「真剣同様の作り込みの摸造刀」といったフレーズをネット上で拝見しますが、やはり摸造刀は摸造刀、あくまで業者さんの宣伝文句です。

以前にもたびたび登場しているDIY鞘の場合は、まだ刀身への配慮が感じられると言うか、刀身のために作られています。
そのため、DIY鞘を生かした拵え全体のバランスを考える余地があるわけですが、模造刀の鞘になると全くの論外になってしまいます。
理由は、柄前を作るときの基点が鞘だからです。

特に、今回の鞘は、鯉口にプラスチックが用いられており、塗りはウレタン塗装。
強めのデコピンを食らわすだけで塗装面が凹んでしまいます。
鐺を加工すべく、鞘尻に手を加えてわかったことは、材質もホウの木ではなく、バルサ材?ラワン材?で出来ています。
下地がホウの木なら、塗料はどのようなものでもさほど気にならないのですが、下地が弱すぎるのでしょう、結果、塗装も凹み易いです。

よく鞘が割れて、刃先が鞘のあらぬ所から顔を出して怪我をした…という話を聞きますが、この手の形ばかりの鞘に入れていれば、当然怪我もすると思います。

正直、真剣に模造刀の鞘は危険です!絶対に真似しないで欲しいと切実に感じます。

居合の高段者の中には、意識的に鞘が痛まない様に抜刀・納刀を行う名人がいます。
実際にそういう先生の愛刀は、何年たっても鞘の痛みどころかカス一切れも出てきません。そういう剣術家こそ、しっかりした鞘に納めていたりします。

真剣用の規格鞘の中には、雑な作りの物もありますが、私の知っている限りホウの木で出来ています。規格鞘に関しては、私はさほど悪いとは思いません。
問題は、模造刀の鞘に真剣を用いることの是非です。

何といっても、鎌倉時代(もっと以前からとは思いますが)から、拵えにホウの木が用いられている理由は、刀身への負担が最も少ないからなのです。

名刀現る!?

2011-06-13 19:42:29 | 拵工作
先日、柄前の納品にて、お客様宅へお伺いしました。
拵えは、お気に入りいただき、無事お納めいただくことができました。
拵師として、最もうれしい瞬間です!

なお当日は、居合高段者の皆様がお集まりになっており、にわか鑑定会となりました。
この機会に、先生方の愛刀を拝見する機会をいただき、思わぬ眼福にあずかることができました。

そんな中、拵えの新規ご依頼をいただき、お預かりさせていただくこととなったお刀があります。
現状は、模造刀の拵えに収まっており、柄は刃方と峰方がコの字型に作られた典型的な量産柄下地です。
鮫皮は短冊、縁頭は模造刀に良く見かける量産装具が用いられています。
目貫は、現代製ながら武具(槍・鉾)の図が用いられており、唯一再利用可能なものの逃げ目貫に組み込まれており、典型的な逃げ腰拵え?になっています。

さてさて、気になるのは刀身です。
刀礼を済ませ鯉口を切るや、味のある着せのハバキが覗いています。
この時点で、10中8~9現代刀ではないな?と想像がつきます。

しかしながら、何とも違和感が…。

ハバキ元の身幅は、重量(軽い)の割りにやけに広く35mmはありそうです。
厚みは薄く、刀身を鞘から完全には抜ききっていないながら、身幅広く重ねの薄い作り込みであることが伺えます。
当該お刀は、試し斬りに多用されていらっしゃるとのことで、物打ちの辺りから大きな曲がりが見られます。

刀身を抜き放ち、上の出来を拝見すると!
う~ん、何とも美しい!
只者ではないな?っと、一気に熱がこもります。

身幅が広くて重ねが薄い、切先は延びごころ、反りは浅く、長さは約定寸。
新刀と見るなら慶長、新々刀と見るには柾がかった板目調の地肌は黒すぎる。
切っ先は古研ぎながら、焼詰らしく見えます。

早速、おもちゃの柄を外すとナカゴはウブ。
しかし、体配といい、細直刃調の刃中の働きといい、南北朝の大和を彷彿とさせるではありませんか。
こころなしか、先反りのけがあることから、室町初期とも見えます…。
いや~いずれにしろ、試し斬りにはもったいない!

後日、お預かりしてゆっくり拝見すると、ナカゴに二字銘らしきものが、兼■。
直江志津と見るには、贅沢でしょうか?

拵え工作のために、刀装具の調達に躍起になっているのですが、身幅の広い刀身に合う時代縁というのは極端に少なく、なかなか良い金具が見つかりません。
そうそう、鍔は現状の現代鍔のままでよかったのであろうか?
これだけの名刀には、不釣合な気もしますが、まともな鍔は値がはるのも事実。
後はバランスとの兼ね合いです。

う~ん、悩ましい。

伝統工芸と科学

2011-06-12 19:41:48 | ブレイク
伝統工芸の世界では、後継者不足に悩んでいる。

そんな出だしから、TBSのTV番組「夢の扉+」が始まった。
たまたまTVを見ていて、おっ!と思い視聴することに…。

京都工芸繊維大学の濱田先生が挑戦する、匠の技を科学的に解析するプロジェクト。
とても崇高な試みです。共感を覚えます。

濱田先生の研究には、以前に生分解性FRPの研究を個人的に行っていた時に興味を持ったことがあるのですが、濱田先生がこのような試みを行っていたことは全く知りませんでした。

伝統工芸の世界は、確かに継承の危機に瀕しています。
とはいえ、この番組が取り上げる様に、新しい試みが芽吹き始めていることも事実。
特に京都では、産官学が前向きに危機感を持って取り組んでいる事が何とも心強いばかりです。
後は、若い人たちが進んで伝統工芸の場へ飛び込んでくれる事を願って止みませんね。

ではでは、ちなみに関東ではどうでしょうか?
一部の地域を除いて、ほとんど全滅といっても過言ではないでしょう。
特に神奈川においては、古都保存法に定める古都を二地区(鎌倉・逗子)も含有しているにも関わらず、文化や伝統の継承への認識は不十分としかいいようがありません。

これからも、私個人では微々たる挑戦ですが、伝統工芸の新しいカタチに挑戦していきたいと思います。

鶴岡八幡宮

2011-06-05 18:54:18 | 徒然刀剣紀行
先日、久しぶりに鎌倉の町へ出かけました。
目的は、鶴岡八幡宮で祈祷をお願いするためです。

昨今の鎌倉は、近年最多の観光客が訪れているといいます。
市の観光課によると、行楽シーズンの好天や2年ぶりの花火大会、猛暑による海水浴客の増加などが要因なのだそうです。
当ブログでも取り上げましたが昨年3月の大銀杏の倒壊や、11月のオバマ米大統領の鎌倉大仏訪問などの話題も、注目度の向上に貢献したことが想像できます。

そんな鎌倉の歴史は古く、学生時代に1192年→イイクニ作ろう鎌倉幕府と学んだのは皆さんも同じだと思います。ちなみに最近の中学では、鎌倉幕府の成立は1192年ではなく、1185年と習っているそうです。
根拠は、1192年は源頼朝が征夷大将軍に就いた年であり、頼朝は1185年に軍事行政を司る役職「守護」や、税金徴収をする「地頭」を任命する権利を得ていることから、その時点で幕府の制度を整えているということらしいのです。

いずれにしろ鶴岡八幡宮は、武家の守護神なのです。
刀剣職人としては、当然祈祷をお願いする場合、鶴岡八幡宮にお願いします。



一般のお参りではなかなか見ることがない本宮控室の美しい柱



本宮控室から見た大石段周辺



美しい金弊と息長鈴

長巻直しの研磨完了!

2011-06-02 20:08:15 | 刀身研摩
研ぎが完了しました。



当該御刀は、今回の研磨で全ての作業が終了です。いや~長いことかかりました。

長巻や薙刀などの薙刀樋のある刀身(あと槍も)は、砥石の消耗が激しいことが知られています。そのため、研磨依頼があっても敬遠する研師さんがいる程です。江戸時代などは薙刀専門の特殊な研師に依頼していたぐらいなので、研ぐには厄介な形状です。

この御刀は、ブログでも度々登場しておりますが、新々刀の長巻を後の時代に整形したもので、入手当時より鍛冶押しの状態でした。
ちなみに、この手の直し物は、横手筋の有無で「長巻直し」「薙刀直し」と見分ける傾向があります(横手があるからといって生まれが長巻だと断定するのは、腑に落ちませんが・・・)。

以前の拵え完成時の様子はこちらから。
http://blog.goo.ne.jp/kosiraeshi/e/26e985495c99c7af6c29003accbdbe7a

この研ぎの工作期間は、大地震の前後にあたったこともあり、実に時間がかかってしまいました。
武道用の研ぎになりますので、小さな傷などは取りきらずに次の工程へ進みます。
観賞用の研ぎとの違いは、下地研ぎの段階で無理な整形をしないことです。



写真は、反射を防ぐために油を塗って撮っています。切っ先のナルメは必要最低限に留め、刃取りも薄化粧です。



事前に窓明けしておいた箇所からは、直刃がのぞいており、ずっと直刃の刀身だと思っていました。ところが研磨を終えてびっくり!ゆったりとしたノタレを基調に、物打ちのあたりだけ焼刃が高くなっていました。
湘南の海から望む富士山を彷彿とさせます!実に魅力あふれる刀身です。
鎬筋が曲がって見えるのは、写真写りによるものです。



樋の中には、朱漆が塗ってあります。削ってしまっても良かったのですが、あえて漆を残しました。

ここ数年、拵工作の仕事ばかりで、刀剣研磨は久しぶりでした。
大阪での研ぎ修行時代には、暇さえあれば京都観光へ出かけていましたが、最近は拵え工作をしているとあっという間に夜になってしまいます。
外出の機会が少なくなっているので、お客様方へお伺いするのが貴重な外出タイミングです。

納品が楽しみです!