海軍大将コルシンカの航海日誌

ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフについてあれこれ

ムソルグスキーさん死去 42歳

2007年12月31日 | 与太話
ムソルグスキーのニセ訃報記事。
横山やすしの死去(1996年)を報じた新聞記事をパクったのものですが、横山やすしと西川きよしの関係は実にムソルグスキーとリムスキー=コルサコフの関係を彷彿とさせるものがあります。

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■ムソリムコンビ、波乱の音楽人生

ペテルブルクの楽壇にムソリム時代を築いた作曲家でピアニストのムソルグスキー(本名モデスト・ペトロヴィチ・ムソルグスキー)さんが28日、陸軍病院で死去した。42歳だった。プスコフ県出身。告別式の日取りなどは未定。

1839年3月28日、プスコフ県カレヴォ村生まれ。近衛士官学校時代作曲した「騎士のポルカ」で才能を認められ、ブレオブラジェンスキー近衛連隊に入隊してからは陸軍軍医だったボロディンさんと知己となり、ダルゴムイシスキーのサロンに出入りするなど音楽活動を深めていった。独特の音楽表現で当時から天才作曲家と、その将来を嘱望された。

その後、バラキレフさん(前無料音楽学校校長)のグループに入り、71年には現ペテルブルク音楽院教授のリムスキー=コルサコフさんと共同生活を送るに至った。きまじめで誠実な芸風のリムスキー=コルサコフさんと、無鉄砲でやんちゃなムソルグスキーさんは絶妙のコンビぶりで、国民楽派の看板として舞台やサロンで華やかに活躍、ペテルブルクの楽壇にムソリム時代を築いた。代表作に「展覧会の絵」「ボリス・ゴドゥノフ」など。

新たなる岸辺への発言や強烈な個性は、作曲家としてだけではなく、各地の演奏会でのピアノ伴奏者としても重宝された。

私生活は破滅型で、大好きだった酒の上でのトラブルも多く、75年頃からは仲間のグループからも離れていき、酒浸りの生活を送るようになったといわれている。また74年には「ボリス」が帝室マリインスキー劇場にかけられたが、その後取り組んだ「ホヴァンシチナ」などの多くの作品は完成することなく残されることとなった。

【民衆描写の天才... 】

リムスキー=コルサコフさんの話 「つい先日病院を見舞ったときは、酒をやめて、リハビリをして一日も早く社会復帰ができるようにと話したばかり。それだけに残念で...。長い間、一緒に仕事をさせていただきましたが、最初の民衆描写の作曲家。歌劇に関しては天才でした」

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実際の新聞記事の固有名詞などを取り替えるだけで、ムソルグスキーとリムスキーの関係がそのまま表されているのには、偶然かもしれませんが少々びっくりしてしまいました。

それにしても彼らの関係はやすきよに本当によく似ています。
仲が良かった2人が性格(芸術性?)の違いから疎遠になっていった点。

片や典型的な天才破滅型人生で、飲酒が原因となって仲間と乖離していき、そして死んだ点。
片や生き残った方も、社会的ステイタスを築きながらも「生きているときになぜ助けなかった」と批判されている点...。

「やすきよ」リバイバルみたいな番組を見ながら思いました。


[この記事は「リムスキーダイスキー」に掲載していたものに加筆修正して再掲しました]

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