海軍大将コルシンカの航海日誌

ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフについてあれこれ

《セルヴィリア》おぼえ書き~第1幕第2場

2016年06月08日 | 《セルヴィリア》
【第2場】

――人々にまぎれて、ぼろをまとった老人がやってくる。
疲れ切っている様子を見て、アフェルは彼にベンチを譲ろうとする。
アフェルは、この老人に旅の疲れを癒してあげようと、公衆浴場に連れていこうとするが断られる。
それならばと彼は財布を差し出すが、老人はお礼を言ってその手を払う。アフェルはこの老人は何者かと当惑する。



第2場もアフェルのライトモチーフで始まりますが、一転短調の響きになり、これに新たに登場する「老人」のわびしいモチーフ(レードドレレー)が続きます。
これまでのにぎやかな雰囲気は影を潜め、アフェルと老人だけにスポットライトが当てられたようなやり取りになります。
もっともこの場はアフェルがみすぼらしい老人に気遣って、一方的に親切心を起こして話しかけるだけで、老人(バス)は最後に「ありがとう。親切なお方よ」と答えるだけ。
アフェルは謎めいた様子に戸惑い、それを引きずるかのようにフルートとピチカートの半音階の上昇音で短くこの場面は終了します。

老人の正体はこの時点ではわかりませんが、のちにキリスト教徒であることを自ら明かします。
いくぶん狂信めいた面もあるこの人物、劇中では名前は与えられていませんが、いずれも60年代後半に殉教したというペテロやパウロを彷彿とさせないでもありません。

私はこの場の筋書きや音楽の雰囲気から、アフェルは善きローマ市民として本当に老人を心配していたものと思っていましたが、モスクワ室内音楽劇場の公演では、アフェルは親切そうな言葉を投げかけながら老人を馬鹿にしてからかっているという演出となっていました。
その様子を市民たちもにやにやしながら見ているといった風で、確かにこのほうが後で老人が市民から受けるひどい仕打ちをほのめかしているようで、なるほどと感じました。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿