海軍大将コルシンカの航海日誌

ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフについてあれこれ

《ロシアの復活祭》覚書その5~アレグロが表現すること

2020年03月05日 | 《ロシアの復活祭》
覚書その5は、私がこの作品に抱いていた疑問────アレグロの曲想が何を表しているのかについて改めて考察してみようと思います。
リムスキー=コルサコフの自伝では、次のように記しています。(和訳はオイレンブルク・スコア「《ロシアの復活祭》序曲」解説より。以下同じ)

アレグロの冒頭部『憎しみを抱く者たちも、主の面前で逃避させよう』のくだりは、ロシア正教会の復活祭の朝の祝祭的雰囲気を醸し出す。


このアレグロの激しい曲想が「ロシア正教会の復活祭の朝の祝祭的雰囲気」なのでしょうか?
もちろん、私はロシアの復活祭の朝を経験したことはなく、したがって実体験と比較して雰囲気が云々と言うことはできません。
しかし、キリストの復活を祝う朝は、曲想のような雰囲気とは違うのではないかと普通に思ったりしてしまうのですね。

ここで、アレグロの部分がどのような音楽なのかを今一度振り返ってみましょう。練習番号はオイレンブルク・スコアに付されているものです。

【練習番号Dの途中(アレグロ・アジタート)】<聖歌1>"Да воскреснет Бог"の終結部分を変形させながら弦主体で短い導入部を作ったのち、【練習番号E】ファゴット・チューバと木管で<聖歌1>の掛け合いがあり、それがティンパニも加わった全楽器の激しい全体の動きに飲み込まれていく。

【練習番号F】そして弦のうねり上がるような音型になおも低音で<聖歌1>が現れ、【練習番号G】再び導入部のメロディーが登場し、絶妙な間隔のスフォルツァンドを伴って繰り返される。

ティンパニの連打に導かれるように弦がうねり続けながら、【練習番号H】今度はトゥッティで新しい音型が登場する。教会内の重厚な合唱を模したもののように「タータタ・タータタ・タータタ・タタタタ」のリズムで力強く奏される。この合唱に弦が激しく動いて応え、さらにもう一度合唱と弦の呼応が繰り返される。

【練習番号I】弦のうねりに木管も加わって輝きを増す中、トランペットが高らかに鳴り響いたのを合図に急速に静まっていく────


***

このアレグロの部分を何度も聴いているうちに、気が付いたことがあります。
私はそれまで自伝に記された「ロシア正教会の復活祭の朝の祝祭的雰囲気」にとらわれていましたが、むしろ重要なのは『憎しみを抱く者たちも、主の面前で逃避させよう』の方であるということです。
アレグロの曲想を理解するための回答は実はこの一節にあったのですね。

「主を呼び起こし、敵を退散させよう。憎しみを抱く者たちも、主の面前で逃避させよう。
煙が追い払われる如く、彼らを追い払おう。炎の前で蝋が溶ける如く、邪悪な者を主の御前で消滅させよう」

────ダビデ詩篇68編


この『憎しみを...』の部分は、旧約聖書のダビデ詩編68編(ちなみに正教では67編と一つずれるようです)からの引用ですが、作曲者はなぜこの一節をわざわざこの作品のプログラムの一つとして掲げたのでしょうか。

***

私はこの聖書の引用を特に気にも留めていなかったのですが、よくよく読むと、ものすごいことが書いてありますよね。
(翻訳によっては、文末が神への「願い」だったり、そのようになるといった「予定」だったりしますが、ひとまず措くとします。)
にわかには復活祭とは関連しそうもないないように思えますが、それにしても仕返しするとか一矢報いるとかのレベルではなく、敵の存在そのものを地上から消し去ってしまおうというのです。

もちろんそれはよみがえった神によって実行されるのでしょう。
それこそが再び現れるであろう神に民が望んだことなのです。
われわれ日本人にはなかなか想像できないことですが、苛烈な運命をたどったイスラエルの民は、(少なくともイエス・キリストの登場以前は)敵に対してこのような激しい感情を抱いていたのですね。
このような理解を前提にすれば、キリスト教の復活祭には、単にキリストが復活したことへのお祝いにとどまらず、その先にあるユダヤ教時代の名残としての再臨した神による敵への復讐への「期待感」と、それがやがて成就されるであろうという「喜び」の要素も含まれているということになるのではないでしょうか。

***

そうすると、《ロシアの復活祭》のアレグロの曲想は、「再臨した神により敵が消滅させられる様子を描いたもの」ではないか────と考えられるわけです。
いったんこう解釈すると、今までよくわからなかった曲想がとたんに理解できるようになるのです。
つまり、うねるような弦は、神の御業によって引き起こされる、敵を煙のように追い払う強烈な嵐や、敵を焼き尽くす渦巻く炎を描写しているもの。
勇ましいティンパニは神の軍隊を鼓舞するためのもの。
高らかなトランペットは天使の告げる勝利...。
なるほどね...。

個人的にはこれで一応の結論が得られました。
もちろん私の解釈ですし、間違っていたり、共感できなかったりする方もいらっしゃることでしょう。
(自分がわかっていなかっただけで、ほかの人には初めからわかりきった内容である可能性もありますね。)
ただ、このことに触れたものは少なくとも日本語では目にしたことがなかったので、今回つらつらと書き連ねてみました。