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カヌーの日記  鸛(こうのとり) 弐

カヌーの日記  鸛(こうのとり) 弐

分子標的薬キイトルーダ

2019-01-18 17:32:00 | 病気の話

 どうも前回、前々回で似た文章がありますね。
今回も被るかもしれませんがご勘弁。
私にとって抗がん剤から分子標的薬に移るというのはとてつもない事なんです。

 さて今回から使うキイトルーダ、もう抗がん剤とは比較にならない程身体への負担が軽い。
しかも今回ははじめてなので念の為入院するが次回からは通院での点滴となる。
そうなると普通に仕事も続けられるしカヌーにも行ける。
ありがたい事です。

 ただやはり副作用はあるわけでドクターと薬剤師さんからその説明があった。
因みにこれはノーベル賞で有名になったオブジーボと同じタイプの薬なので、オブジーボでも同じ副作用はありそれはあまり報道されてない。

 まず点滴時間は2時間弱、抗がん剤の10時間などと比べると楽だ。
点滴後は毎週尿の検査をして尿糖値を調べる。
というのも人によってキイトルーダを投与する事で糖尿病になったりする。
他に間質性肺炎になる場合もある。
キイトルーダ自体が厚労省から認可されたのがちょうど1年前、まだまだわかってないことも多い。
しかし治療日誌やDVDがついてくると思わなかったのでちょっとビックリだ。

 そしていよいよ点滴開始。
副作用がでなければ入院はこれで終わり?
明日には退院だ。

 6年前に癌と言われた時の膀胱癌ステージ4は5年生存率が23%だった。
4年前に再発した時は3年生存率20%と言われた。
どちらもそんなにいい数値ではない。
キイトルーダはその時にはなかった薬。
ここまで生き延びたから新しい治療法が出てきた。
抗がん剤を打ちながら必死で食べて、腸を動かすために歩いた。
味噌汁でカロリーメイトを流し込む日々もあった。
とにかく抗がん剤を打つと食欲がなくなり食べれない人も多い。
でも食べないと弱る・・・特に点滴が終わってしばらくしての体調などの戻りが遅い。
そして抗がん剤を11クールもやってまだ体力は残っている。
さあ効いてくれよ!

平成最後の入院・・・になるはず

2019-01-17 17:13:00 | 病気の話

(いつものようにドライバックを背負い病院へ!)
 さあ平成最後?の入院だ。
いろんな所で癌治療やったが、なんだかんだいって入院はこの大阪国際ガンセンター(旧名;成人病センター)だけだ。
1回目(H25.5)内視鏡手術
2回目(H25.6)抗がん剤GC1クール
3回目(H25.7~8)抗がん剤2及び3クール
4回目(H25.8~10)3クール目の副作用による静脈血栓症による緊急入院、膀胱等全摘手術+手術の後遺症による腸閉塞&神経障害の治療
5回目(H27.8~10)癌再発による抗がん剤4及び5クール
6回目(H28.1~2)抗がん剤6及び7クール
7回目(H28.3)抗がん剤8クール
8回目(H30.6)抗がん剤9クール
9回目(H30.7)抗がん剤10クールの予定が血液検査の結果数値が悪く投与は危険との判断で治療中止
10回目(H30.7)1週間おいて再入院、抗がん剤10クール
11回目(H30.9)抗がん剤11クール
12回目(H31.1月17日入院 分子標的薬キイトルーダ

こんな感じです。
もう12回目の入院ですか!
抗がん剤も2週間で退院した時もあれば数値が悪化して一ヵ月いてたときもあります。
特にきつかったのが4回目、そして前回の11回目、最後が5回目ですね。

(駐車場は満車で行列、この写真以外にも道路にも並んでいる。)
 病院へつくと車もいっぱい、受付もいっぱい。
やはり段階の世代が古希を越え、患者が溢れベッドが足りないのか?
私が癌になった6年前に比べ明らかに患者数が増えている。
これは後10年は続くか?
大阪でこうなら地方のベッド不足は深刻だろう。

(今回ははじめから個室)
 特に大きな病院には集中してますね。
前にも書いたけど、テレビや新聞で色んな治療法が紹介されても、それを自分が受診できるとは限らない。
今年から保険適用予定のガンゲノム、これは治療でなくその人にあった治療法を見つける検査。
しかし治療法が見つかっても現状ではその治療を受けれる人は一割ぐらいというのはあまり報道されてないようだ。

(窓から見える大阪城)
 今回も入院の部屋は四人部屋を希望したが空いてなかった。
はじめから1月中旬入院を予定しててもこうなる。
入院患者も全員が癌患者なので自分を先にというのも出来ない。
そこで差額が発生するが仕方なく追加料金払って個室に入る事にした。
治療のスケジュールを守るのを優先したんです。
まあ個室は気は楽だ。
今晩はストレスなくゆっくりして明日の投薬に備えよう!

さて次の癌治療は・・・・

2019-01-15 05:47:00 | 病気の話
<キイトルーダとは>

<免疫チェックポイント阻害薬>


 9月末に11回目の抗がん剤(シスプラチン&ゲムシュタビン)の投与が終わり3ヶ月が過ぎた。
前回の抗がん剤では身体がボロボロ、骨髄抑制が酷く個室隔離、抗生物質投与、白血球増量の皮下注射、血小板の輸血と物々しく追加治療を行いなんとか退院だった。
流石にしばらく間隔を空けないと抗がん剤で死んでしまう(比喩ではないんです)。
本当は2ヶ月ぐらい空けて癌治療再開だったのだが、年末は仕事も忙しいしそこで急いでやったほうがいいかという訳でもない。(もちろん間隔をあければいいというものでもないのですがその辺はドクターとの相談)
そして年が明けて1月8日、まずは現状を把握するためにも血液検査とCT検査をやることになった。
8日自体は検査のみ、そして検査結果を聞いて今後どうするかを11日に決めることとなる。

 いつものそうなのだが検査結果を聞く前は辛い。
聞いてしまったらそれが現状で変えようがないので腹をくくるしかないのだが、聞く前はいろんな事を考えてしまう。
特に年末から左鎖骨の腫瘍が大きく固くなってきており触っても痛い。
冷えると更に痛みが出て、痛み止めを常用していた。(その状態でも漕ぎたかった)
一番怖かったのが骨への転移。
骨に転移するととにかく痛いそうだし死亡率も高い。
正直そうなったら仕事も無理だしカヤックも漕げなくなる。

(造影剤を入れる準備)
 それで結果は・・・癌は鎖骨のも肺のも増大、但し骨や新たな臓器への転移はなし。
今後の治療は抗がん剤はもう終わり。
元々抗がん剤は身体で分解できずに蓄積していき、生涯限界投与は10クールが目安とされる。
しかし私は既に11クール、そして11クール目の危険な症状、過去には1クール目の錯乱、3クール目の静脈血栓症、そして最近の骨髄抑制や血管炎など危ない兆候は目白押し。
その上で効果がなく癌が増大なので遂に昨年1月に厚労省から認可されたばかりの免疫チェックポイント阻害薬のキイトルーダの投与となった。
 元々3年ぶりに大阪国際癌センターに行ったのもこの薬が認可されて使えるかと思ったから。
同じタイプの薬に有名なオブジーボがあるのだが、それは私は保険適応で使ってもらえない。
仕方なくしばらく自費で投与してもらっていたのだが一回で100万円越え癌保険もおりない。(このあたりはややこしく色々あるんです。

 キイトルーダになると入院は2泊3日で2回目からは通院でできる。
抗がん剤のように目まいや吐き気、白血球の低下などはない。
ただ副作用は違う面で出てきて、間質性肺炎や肝炎、糖尿病になることがある・・・
まあ今の私に使う薬はそんなんばかりです。(血小板の輸血や造影剤でも何万人かに一人は死んでるのでそうなっても文句はいいませんと誓約書書いてからやってるんです)
 ありがたいのは2泊3日だと筋肉もそこまで落ちないし、前みたいに赤血球が堕ちて血中酸素不足で息切れとかにはならない。
という事は退院してもいっまでと変わらず漕げるという事。
そこがポイントかと言われるだろうが、私にとってはとても大事。
死ぬまで漕ぎ続けるって決めてるしね。

(退院して漕ぐ理由を増やそう!)
 そんなわけで17日の木曜日に入院します。
通算12回目の入院、ベテランですね。(ちっとも嬉しくないけど)
退院は19日の土曜日、というか17日は入院と薬の説明、18日点滴、18日の晩は様子を見てなにもなかったら19日退院という流れです。
そして次回は3ヶ月後、いくら入院は短くとも身体の負担はあるのでそれぐらいは間隔をあけてです。
 11日の診察が終わり、翌12日にKAYAK kono-toriに顔出して挨拶。
そこで治療祈願をこめてパドルを1本購入。
退院してこれで漕ぎまくる!そのためにもしっかり治療して帰ってこよう。
まあゲン担ぎです。
やっぱり私のお守りはカヤックギアでないと!


川の初漕ぎは島が原~月が瀬口

2019-01-12 06:37:00 | 川でカヌー

 海の初漕ぎを近年にない充実したツアーで終えて川もどこかいっておきたい。
そう思っていたら5日にどこかいこうとすかぽんさんからお誘い、始めはいつもの木津川七曲がりにいくつもりだったが、あまりに距離が短いのでもう少し長い所でという事で伊賀川の後半部分の島が原から月ケ瀬口に決定。
でかい滝があるがそれ以外は普通に漕げるし、トロ場も短いのでパックラフト向きだ。

(パックラフト アルパカ)
 今回私はESKIMOのケンドー、でも他の3人は全員がパックラフトでメーカー違い。
思えばパックラフトという艇も広がったもんですねえ。
メーカーもかなり増えてますし・・・
私が始めて使ったのは2012年、そして2013年の大阪アウトドアフェスティバルで使ってテレビとかにも出てました。
あの頃はアルパカしか作ってなかった。
空気物だけどそれまでのダッキーとは違う新しいコンセプト、そしてなんといってもその軽さ、まさに軽さは正義です!

(パックラフト KOARO)
 さて4艇で楽しく伊賀川を漕ぎだす。
気持ちよく瀬を抜けていくのが嬉しい。
やっぱり川も楽しいなあ。
ここんとこどうしても海が主体になってしまってるけど、元々はリバーカヤッカーやしね。

(大滝をバックにガッツポーズ!まあ漕いではないんですが・・)
 ただ途中の大滝は全員ポーテージ、正直この日のようすは行って行けない事はないかなという気になる。
が、それは感覚的なもの。
川ばかり行ってた頃と今とでは身体の反応が違う。
実際漕いでいても感覚とじっさいのズレが大きい。
こんな時にきつい所行くと大怪我をしてしまう。
この瀬を最後にいったのはもう12年ぐらいまえ。
なんだかんだいってまだ海より川の方が多かった。
正直もう私がここを下る事はないと思うってます。

(エットESKIMO ケンドーです)
 滝だけ担げばあとは快適コース、誰も沈することもなく快適にすすんでいく。
もっと寒いかと思っていたが意外に暖かい。
まあひっくりかえってないからなんですが・・

(パックラフト KOKOPELLI)
 冬場はへたに休憩したり途中でご飯食べると寒いので一気にくだる。
いいツアーでした。
 ところで元々カヤックで漕いで県境を越える事には関心があったが、昨年県境のを読んでからよりその傾向が強くなった。
今年は元旦の海が愛媛県から大分県、そしてこの5日の川が三重県から京都府と既に2つの県境を越えれた。
さあ1年で10か所ぐらいいけるかな?

九州上陸、来て良かった!

2019-01-09 05:34:00 | 海・湖でカヌー

(それなりに潮流の波もあります)
 今更の話なんだが、なんとなく九州で一番本州に近い県は福岡県というイメージが強かった。
でも実際こうやって漕いでみると大分県の方が近い。
今回は愛媛県から渡るので佐賀関半島だが、山口県から渡ると国東半島か。
こっちは漕ぐつもりで見てなかった証拠ですね。

(親切?なモーターボート)
 高島を通り過ぎていよいよ九州本土の佐賀関半島を目指す。
やはりそれなりに波があり漕ぎにくい。
更に南へ流されてた事もありやや北に針路を取ると時速2~3km/hに失速。
それでも漕ぐしかないので頑張って漕いでいるとモーターボートが突っ込んできた。
なんだなんだ、と思っていたらすぐ前で止めてこの先は流れがあるから気をつけろと親切?に忠告でした。
手漕ぎは頼りなくみえるんだろうなあ・・・
まあありがとうございます。

(遂に佐賀関半島到着)
 そして遂に佐賀関半島に到着!
時間はちょうど10時ぐらいでほぼ予定通り。
ただ全然風もなく余裕でこれたのは嬉しい誤算。
さああとは4kmほど漕いでフェリー乗り場まで行こう!

(遠くに大分市の工場群を見る)
 半島沿いを漕いでいると遠くに工場群が見える。
どうやら大分市のコンビナートのようだ。
ああいう景色は、これから漕ごうかと思うとちょっと気が滅入る。
でも繋いで行くと何度も出てくるんですよね。
愛媛県でも川之江とか東与港とかなしんどかったなあ。

(佐賀関港へ入っていく)
 そんな事を考えてるといよいよ佐賀関港が見えて来た。
ようやくここまで来たんだ。
先に待っていてくれてるOCHIさんがフェリー乗り場の近くで艇を上げれる所を調べといてくれたのでありがたくそちらに向かう。
正直、高島から先はちょっと気が抜けたようで、特に佐賀関半島に着いてからはダラダラ漕いでしまった。
やはり始めの5kmほどはかなり緊張して力一杯漕いでたんですね。

(九州の地に上陸)
 スタートしてほぼ4時間、10時50分にゴール!
総行程20.5km 移動平均5.5km/h 全体平均5.1km/h 2kmから3kmほどは南に流されて戻った感じです。

(ゴールして記念撮影)
 昨晩の葛藤はなんのその、漕いでみれば天気も良く無事横断できました。
でもこの次の日の2日は強風だったみたいで、元旦のピンポイントだけが行ける日でしたね。
思い切って計画してきて良かった。
心地よい満足感に浸りながら撤収作業。
あとはなんとか今年中にまだ漕いでない松山市の粟井駅近くから佐田岬燈台ちかくまでの105kmほどを漕ぐだけだ。
今回安心して漕げたのもサポートに回って回送してくれたOCHIさんのおかげ、本当にありがとうございます!