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カヌーの日記  鸛(こうのとり) 弐

カヌーの日記  鸛(こうのとり) 弐

安土城はどこにあったのか?

2020-03-09 05:04:00 | 歴史関連

 今回、伊庭内湖に行く前に近くにある安土城跡に寄ってみた。
安土城といえば織田信長が天下統一の過程で造り上げた居城で、京都、近江、美濃、尾張、はては甲賀、伊賀、大和にも至る地点にある。
実際私自身が琵琶湖から守山市の野洲川経由で甲賀、伊賀へ。
米原市の天野川・関ヶ原経由で大垣方面、や伊勢湾。
当然大津市から瀬田川経由で京都、そして対岸の高島市から安曇川経由で朽木、若狭へ漕いで繋げている。
水運が使える琵琶湖は、京都のすぐ横という立地もあり物流の拠点でもありこの湖畔に城を築いたというのは納得だ。

 ただ安土城は湖畔というには琵琶湖からちょっと離れている。
信長の部下の羽柴秀吉の長浜城、明智光秀の坂本城、それに井伊家の彦根城は文字通り琵琶湖に接した場所なのになあと思う事もあった。
 現代では安土城の近くに西の湖があって、そこ経由で琵琶湖に繋がっているのだが、江戸以前はその西の湖に今回漕いだ伊庭内湖が繋がっておりかなり広い湖となっている。
そうなるると風が強い琵琶湖より船も停泊できるうえに街道にも近い安土城は便利といえるのか?

(やはりカヤックの写真が出てこないと寂しい)
 少し前に載せた二俣城の時もそうだが、こういう事をその場にいって地勢を確認して漕いだうえで考えるのはとても楽しい。
ただやはり実際に近くを漕いだ場所と全然漕いでない場所ではどうしても思い入れが違ってくる。

伊能図探検 河出書房新社
 またまた偶然なのだが今回も関わりのある本をちょうど借りていた。
それが上の写真の伊能図探検という本。
地図の測量の仕方などや、現代と江戸の地図の対比も載ってあるのが嬉しい。
掲載してあるのは全国というわけではなく何箇所かピックアップしてなんだが、近畿圏は舞鶴と彦根しか載ってない。
その2か所の彦根に安土周辺もはいっていたのはなんというか驚きでした。

(左上が現在の地図、右下が江戸時代)
 改めて地図を見る。
上の写真で左上の方が現代、右下が江戸、ランドマークとして沖島に○印を入れてみた。
これでみると江戸以前の西の湖は本当に大きい。
伊庭内湖も繋がっている。
面白いなあ。
ここを漕いできたんだ。
漕ぐ事でより身近に感じます。
これだからカヌーは辞められないんだ。


二俣城跡から天竜川を望む

2020-02-28 07:06:00 | 歴史関連

『天下 家康伝』火坂雅志 著
 今回天竜川に行く前日にまったくの偶然なんだが「天下」という本を読んでいて、そこで徳川家康の長男の信康の切腹の場面がでて来た所。
その場所こそゴール地点からすぐの二俣城!
その前には武田信玄・勝頼と家康が二俣城で争った場面もあり折角なので行ってみたかった。
更に言うなら30代の前半に読んだ隆慶一郎の「影武者徳川家康(名作です!)」に天竜川を二俣までは帆であがれるという科白があり強く印象に残っていた。

(街中にあるモニュメント)
 この二俣という所は国道362号線と152号線が交わる場所、山と平野が交わる場所、そして天竜川と二俣川の交わる場所だ。
水運、陸送の中継地であり集積地、なるほ要衝の地といえる。
 今回同行のDEEPさんも歴史ファンであり、二俣城や信康・信玄などもご存知だったので二人して二俣城跡へいってみようということになった。

(上の左が塩見渡橋、下がゴールした鹿島橋)
 鹿島橋から二俣城はほんの1kmほど。
山を登っていくとそこが二俣城だ。
城跡からは眼下に天竜川が見えるのだが、残念ながら写真では木々ばかり写って川がよくわからない。
やはりこれは現地で感じるものなのでしょう。

(二俣城あとで)
 カヤックで川を下っているとこういう要衝の地や昔からの街道にあたるのはよくあること。
ダンプもブルドーザーもない時代はどうしても街道は尾根か川沿いが多いし、物流の多くを水運荷なっていたので川沿いや入り江に拠点があるところは多い。
カヤックで海・川関係なく繋げていくとよくこういう出会いがありそれがまた面白い。

(天台跡より)
 それにすても二俣城がでてくる本を読んだ翌日に天竜川を漕いで二股にくるとはねえ。
なにかに呼ばれたのかな?
いろんな思いを噛み締めて二俣城を後にしたのでした。

(城の南側、指先の丘の間は天竜川)
 帰りはまだ昼前だったので渋滞もなし。
折角なので浜松SAでうなぎを食べる。
浜松市天竜区二俣、いい所です。


※天下の作者の火坂雅志さんは天下を書きあげて校正作業中に58歳で亡くなられました。
実は私はデビュー作の花月秘拳行以来のファンで、伊賀上野城を漕ぎに行ったり今治城を見に行ったのもこの人の虎の城という本を読んだ影響です。自分も今59歳で癌でどうなるのかと日々思いながらの時に50代の訃報は胸にくるものがありました。ご冥福をお祈りします。

目標は出雲大社参拝?

2019-09-11 04:41:00 | 歴史関連

 ようやく鳥取県の沿岸漕ぎが終わった。
前半以外は割と平坦な海岸線と言われて行ってみたが、その言葉に間違いなく遠州灘を思い出させられるコースだった。
ただ後半の2回が30km漕ぎ、最後の締めくくりと別の意味でテンション高かったので思ったより気持ちが途切れず漕ぐ事ができた。

(車載のカヤックを下から撮ってみた)
 そしていよいよ島根県・出雲の国へ入る訳だが私の出雲の国のゴールは出雲大社だ。
普通なら島根半島を廻ってというのがコースなのだがあえて中抜きを行ってみたい。

 考えているルートは中海18.6km→大橋川7km→宍道湖16km→斐伊川15km→分水界徒歩2.5km→神戸川10km→日本海を3km漕いで出雲大社、参拝という約71kmの予定。
もちろんこれは最短で計測してるので出艇場所の関係などでもう少し伸びるだろう。
以前米子市を中抜きした時も日本海から中海まで700m歩いただけであとは漕いで繋げれた。
これと併せて米子市の日本海の日野川の河口から出雲市の日本海まで中抜きが3kmほどで繋がる・・・これは是非やってみたい。

 そもそも何故こういうルートを考えるかというとやはり「邪馬台国と鉄の道」に影響される。
その中の一部に出雲から鉄器を奈良王朝に運ぶなら日本海を舞鶴までいって、由良川から加古川を経て瀬戸内海、そして大阪湾から奈良へというのがあった。
これは面白そうだと実際に舞鶴から由良川・加古川ルートで瀬戸内海まで行き、平城京から秋篠川・大和川経由で大阪湾までも漕いでみた。

 そして出雲大社からも出雲の勢力圏ではひょっとしたら中抜きして日本海もいけないことはないなと思い自分で行ってみたいんです。
それだけ宍道湖という島根半島の下部を支えるような湖が魅力的だし、このルートなら冬の季節でも移動できるのも大きい。
まあ要するにフィールドワークを兼ねて自分が納得したいだけ。
別に新しい学説をだしたいわけじゃないので自分が行ければそれで終わり。
でもこういうフィールドワークは海も川も漕ぐカヤッカーでないと行きづらく、それなら私がいってみようという所です。

(出雲大社から奈良王朝へこういうルートもあったのだろうか?)
 流石に年内出雲大社まではきつく行くつもりもない。
まあ松江まではいっとこうかなとは思っている。
こうやってルート考えるのは楽しい。
今は大雑把だがこれから出艇場所、回送手段などいろいろ落としこんで行くんです。
さあいろいろ考えよう!

大海原を越えて!

2018-07-27 10:26:00 | 歴史関連

 今年の3月に平城京跡がリニューアルされた。
かなり見るところが増えたのだが、その時に正面横の道路沿いに復原された遣唐船が設置された。
もちろん中も入れるようになっている。
横を車で走っていても目立つ事、そこでちょっと見に行く事にしました!

(舵です)
 正面の横に浅い池を作って遣唐船が見える。
もちろん浮いてるわけではなく置いてるだけ。
それでも水の上にあるので雰囲気がいい。
 この池でちょっとカヤック浮べて写真撮りたいな・・・と思ったけど、きっちり立ち入り禁止の看板が出ている。
流石にそれを無視してやるのは良識ある社会人?の私には無理。
まあ仕方がないね。

(アウトリガーになるのかな?)
 まずは外側から見ると船尾の舵が目につく。
舵(ラダー)はかなり水圧がかかる部分、強度は大丈夫なのだろうか?
 あと両側に竹をまとめたものがくくってある。
これはアウトリガーかな?
船体が傾いた時にこれで復原力が出るようにしてるのだろうか?
やはり現在の船に通じる所も多い。

 いよいよ中に入る。
入口に当時の航路が掲げてある。
日本海からと沖縄から、あと対馬ルートか。
6月にいった福井県の東尋坊の南、三国湊も外国船がきていた所。
しかしこの時代の測量技術、航海技術では本当に命がけの旅だろう。

 中はそれなrの広さ、でもこれで30人が生活すると思うときつい。ましてや貴族が部屋は占領してるはずだし、水夫は本当に劣悪な条件ではなかったのかとか考えてしまう。

 この時代の船と現在のGPSとか使ったカヤックとではどちらが安全に行けるのだろう?
カヤックで外洋行く人が、寝る時にマットを膨らまして上半身を預けて寝てるという話を聞いた事がある。
実は自分でも行けるのかなと考えていた時があるんです。
佐賀~壱岐~対馬ルートか、それとも鹿児島~屋久島~沖縄~与那国ルートか?
まあ壱岐ー対馬かなと思っていた。
韓国まではともかく壱岐、対馬はどうかなとか夢想するのも楽しかった。
そもそも私の持っているタンデムシーカヤックのK2スポーツは隠岐の島に行けるかなと思って買ったもの。
ただ現実としてこれだけ入退院の繰り返しでは回りに迷惑かけるだけなんですけどね。
でも12~14年前はかなり真面目に考えてました。
今、遣唐船を見ながら・・・思いは大海原ですね。

大三島 大山祇神社

2017-05-31 09:04:00 | 歴史関連
<大山祇神社のHP>


 しまなみ海道の大三島に大山祇神社がある。
実はここの大祝職は代々伊予の河野家の同族が務めている。
そこで神社の紋の波三隅切り・・・これはうちの家紋でもあるんです。

 正直いってこれを見たくて来たようなもんです。
そして実際に神社にくると門に、幕に、さい銭箱に、おみやげの饅頭や煎餅にも・・・
やっぱり嬉しかったですね。
(いろいろといっぱい買ってしまいました!)

(お饅頭です)
 子供のころからお墓参りに行くたびに見てた紋がこんなにいっぱい・・・やはり私のルーツはこちらなんですね。
今、海が好きで漕いでるのも河野水軍の血?
まあそんなことも思ったりしました。

 ところで大山祇神社には武具などを収めた宝物館がある。
まあ有名どころの武将の数々、木曽義仲、源義経、源頼朝、河野通有・・・そして女性の武具と言われているつる姫。
流石海の島なので本土の戦火でも焼けておらず、かなりのものが揃っている。
これが陸続きだと応仁の乱や第二次世界大戦などでも焼けおちた可能性が高いのだが、海の中であり、軍港などからも少し離れている。
この地勢条件がこれだけのものが残っているところだろう。

 ついでにいうとこの大三島は愛媛県に属している。
しかし位置的にはどう考えても広島県。
これも昔からの伊予よの繋がりから愛媛県になったんだろう。
海上交通の要所、海上信仰の拠点、そういう位置づけの大三島です。

(車に貼っておきます)
 こうして私の西の目標の大三島に無事到着した。
大阪から少しずつ漕いで繋いで15年、ほぼ日帰りだけで繋いできた。
まあよこぞここまでこれたもんだ。
 さあこのあとはどうしよう?
実は周防大島も気になっている。しまなみ海道も弓削島とかも漕いでみたい。
またいろいろ考えていこう。
しかしひとまず無事目標達成に乾杯!


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