最近、大阪・京都・と続いてるので今度は奈良の話です。久しぶりに歴史的な観点で見てるところが多いです。では以下に続きます・・・

(赤い線が今回歩いたコース)
ずっと以前から思っていた事なんですが何故平城京はあの場所にあったのか?まあ政治的や陰陽道的などいろいろあったのだろうが平城京は水路からわりと遠い。遥か昔から陸の道は人の道、水の道は物の道として物流を支えてきたのは水運だった。
飛鳥はまだ規模も小さいのでともかく、平安京、難波京、長岡京、大津京・・・などいづれも平城京より水運が便利だ。まあ藤原京みたいにもっと水運悪いところもあるのですんけどね。
平城京はというと北の木津川まで直線で6km、平城京自体はすぐ西を秋篠川、東大寺の横は佐保川が流れている。そして唐招提寺・薬師寺を越えて奈良市から大和郡山市の境界線で合流、さらに南下して近鉄ファミリー公園前駅の横で大和川と合流して法隆寺の横を通り大阪へと流れて行く。

(木津川市と奈良市の境界線の五領池、横の川は木津川水系)
この川の小ささが原因ですぐに都を移したのかとか想像してしまう。その少し後の平安京がなんだかんだいって明治維新まで続いたのに比べるとあまりに短命、でもその割に古都として現代まで連綿と続く街であることも確かなんですね。
ある本にはその場所自体が六合(東西南北天地)の中心であるという意見。各部族の調整を計るためにどこかに偏るのでなく、等間隔でありながらまだ便がいいところ。
成程、そういう考え方もあるんですね。確かに伊勢は少し遠いが、伊勢湾、日本海、琵琶湖、瀬戸内海、太平洋のどこでもいけるといえばいける。

(ウワナベ池という名前の池ですが小奈辺古墳です。)
そんな訳で平城京から実際に大和川、木津川の南北の川まで行ってみたいと思ってました。大和川は秋篠川から佐保川をある所は漕ぎ、あるところは歩き大和川まで繋いだのであとは木津川までを歩く!距離も10kmないしいつでもいけると思っているとついつい後回しになりますね。
そのうち先に木津川から鈴鹿川通って四日市や野洲川通って琵琶湖、あるいは大和川のもう一つ南の紀ノ川から太平洋、そして櫛田川から伊勢も先にいってしまった。
まあ結構気になってたんです。そこで今回JR木津駅(木津駅から木津川までは何度も歩いている)まで車で行って平城京まで徒歩で分水界を越えてきました!

(こういうのがさらっと建ってるのが古都の凄いところです)
まず国道24号線に出る。道路沿いに歩いていくとゆるい上りがありガーデンモール木津川の横に出て五領池がある。ここが一つ目の分水界(頂きではない水の分岐点)、ちょうど県境にもなっている。
こういう小さい上り下りは車でいってしまうとわからない。自転車でもある程度はわかるが、下りは自然に進むので徒歩とは感じが違う。やはり歩いて行くのが自分にはシックリくる。まあカヌーで漕ぐならOKなんですけどね。

(平城京の大極殿跡)
その先を上がったり下がったりして航空自衛隊の奈良基地が出てくる。その横に小奈辺などの古墳がありそこを越えるとすぐに平城京だ。
なるほど歩いてみると以外に高低差が少ない。東大寺から柳生方面だと上るのも大変だが平城京から木津川だと案外いけるのかもしれない。
それに木津川もずっと東から西に流れていて木津(平城京最寄り地)だけ妙に南下してあとは北にながれている。やはり歩いてみるもんだ。距離の近い木津川と少し遠いが都自体がその水系に入っている大和川、なんとなくいいのかなという気になってきた。

(朱雀門の東側、ここは平城京の敷地外、釣りは禁止なのか・・・釣りは。)
せっかくなので平城京を散策。大極殿の上から大膳識、朱雀門などを遠望する。1300年か!いったい何世代が過ぎたのだろう。いまさらながらに悠久の時を感じてしまう。

(奈良市内の川の欄干は木目調になっていていい雰囲気をだしている。)
平城京までいったことでようやく繋がった。これで平城京から南北の川を使って大阪湾に至るルートを回った事になる。
平城京→(南)→秋篠川→佐保川→大和川→大阪南港→木津川(大阪府)→土佐堀川→大川→毛馬閘門経由→淀川→木津川(京都)→木津駅→国道24号線(分水界)→平城京です。本当は大和川は今と川筋が違うし、川を上るときは大川でなく神崎川で上がっているのだがまあご勘弁を。
でも面白いもんですね。こうやって実際にフィールドワークしながら考えて行くのも普通に漕ぐのと違って楽しいもんです。京都・奈良そして大阪も1000年以上続いた都は歴史がいっぱいです。
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よろしかったらお願いします。


大阪南港にあるカヌーカヤック専門店KAYAK kono-tori

(赤い線が今回歩いたコース)
ずっと以前から思っていた事なんですが何故平城京はあの場所にあったのか?まあ政治的や陰陽道的などいろいろあったのだろうが平城京は水路からわりと遠い。遥か昔から陸の道は人の道、水の道は物の道として物流を支えてきたのは水運だった。
飛鳥はまだ規模も小さいのでともかく、平安京、難波京、長岡京、大津京・・・などいづれも平城京より水運が便利だ。まあ藤原京みたいにもっと水運悪いところもあるのですんけどね。
平城京はというと北の木津川まで直線で6km、平城京自体はすぐ西を秋篠川、東大寺の横は佐保川が流れている。そして唐招提寺・薬師寺を越えて奈良市から大和郡山市の境界線で合流、さらに南下して近鉄ファミリー公園前駅の横で大和川と合流して法隆寺の横を通り大阪へと流れて行く。

(木津川市と奈良市の境界線の五領池、横の川は木津川水系)
この川の小ささが原因ですぐに都を移したのかとか想像してしまう。その少し後の平安京がなんだかんだいって明治維新まで続いたのに比べるとあまりに短命、でもその割に古都として現代まで連綿と続く街であることも確かなんですね。
ある本にはその場所自体が六合(東西南北天地)の中心であるという意見。各部族の調整を計るためにどこかに偏るのでなく、等間隔でありながらまだ便がいいところ。
成程、そういう考え方もあるんですね。確かに伊勢は少し遠いが、伊勢湾、日本海、琵琶湖、瀬戸内海、太平洋のどこでもいけるといえばいける。

(ウワナベ池という名前の池ですが小奈辺古墳です。)
そんな訳で平城京から実際に大和川、木津川の南北の川まで行ってみたいと思ってました。大和川は秋篠川から佐保川をある所は漕ぎ、あるところは歩き大和川まで繋いだのであとは木津川までを歩く!距離も10kmないしいつでもいけると思っているとついつい後回しになりますね。
そのうち先に木津川から鈴鹿川通って四日市や野洲川通って琵琶湖、あるいは大和川のもう一つ南の紀ノ川から太平洋、そして櫛田川から伊勢も先にいってしまった。
まあ結構気になってたんです。そこで今回JR木津駅(木津駅から木津川までは何度も歩いている)まで車で行って平城京まで徒歩で分水界を越えてきました!

(こういうのがさらっと建ってるのが古都の凄いところです)
まず国道24号線に出る。道路沿いに歩いていくとゆるい上りがありガーデンモール木津川の横に出て五領池がある。ここが一つ目の分水界(頂きではない水の分岐点)、ちょうど県境にもなっている。
こういう小さい上り下りは車でいってしまうとわからない。自転車でもある程度はわかるが、下りは自然に進むので徒歩とは感じが違う。やはり歩いて行くのが自分にはシックリくる。まあカヌーで漕ぐならOKなんですけどね。

(平城京の大極殿跡)
その先を上がったり下がったりして航空自衛隊の奈良基地が出てくる。その横に小奈辺などの古墳がありそこを越えるとすぐに平城京だ。
なるほど歩いてみると以外に高低差が少ない。東大寺から柳生方面だと上るのも大変だが平城京から木津川だと案外いけるのかもしれない。
それに木津川もずっと東から西に流れていて木津(平城京最寄り地)だけ妙に南下してあとは北にながれている。やはり歩いてみるもんだ。距離の近い木津川と少し遠いが都自体がその水系に入っている大和川、なんとなくいいのかなという気になってきた。

(朱雀門の東側、ここは平城京の敷地外、釣りは禁止なのか・・・釣りは。)
せっかくなので平城京を散策。大極殿の上から大膳識、朱雀門などを遠望する。1300年か!いったい何世代が過ぎたのだろう。いまさらながらに悠久の時を感じてしまう。

(奈良市内の川の欄干は木目調になっていていい雰囲気をだしている。)
平城京までいったことでようやく繋がった。これで平城京から南北の川を使って大阪湾に至るルートを回った事になる。
平城京→(南)→秋篠川→佐保川→大和川→大阪南港→木津川(大阪府)→土佐堀川→大川→毛馬閘門経由→淀川→木津川(京都)→木津駅→国道24号線(分水界)→平城京です。本当は大和川は今と川筋が違うし、川を上るときは大川でなく神崎川で上がっているのだがまあご勘弁を。
でも面白いもんですね。こうやって実際にフィールドワークしながら考えて行くのも普通に漕ぐのと違って楽しいもんです。京都・奈良そして大阪も1000年以上続いた都は歴史がいっぱいです。
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