かえるところ

田舎のおうちで何をしよう。ひとまず家族でリフォームし、私は野菜を作ってみよう。

ふむふむ

2005-08-17 22:52:26 | つれづれ
自然への恐れと
死への準備が
文化を育くむ。

という文章を読んだ。
ふむふむと。

じゃあ、

自然からかけ離れ、
身近に死を経験しない
生活をしているいま。

子どもたちが最初に出会う死は、
ニュースの中の、
凶悪な犯罪だったりするいま。

どうしたらいいの?

今まで育まれてきた文化は
途切れてしまってるのかしら。

確かに、成熟しきれない、
選択できる趣味的文化が
たくさんあふれているけれど。

やっぱり、
地に足を付けた、
おおらかな、
包み込む、
それでいて、
厳しい、
文化を、
今さらながら私も身に付けたい。

子どものために。

今さら無理かなあ。

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4 コメント

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私と死 (どこえいくえ)
2005-08-19 08:35:16
私の年になると 両手では足りないくらいの死を見てきました。目の前で! 東京の祖父母、若くして死んだ両親、そしてそれらの兄弟姉妹、姫路に来てからも 身近にたくさん見てきました。死だけはすべての者 100%に与えられた 自然の摂理 でもでも なるべくなら 誰の死にも会いたくありません。けれど 子供も頃から なにげなく 死はそばにあるのです 踏みつけた蟻、つぶしたクモ、足をもいでしまったバッタ,トンボ,せみなどなど それらを心にインプットさせながら 育つていくのです。
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どこえいくえさんに同感 (まき@ただまき)
2005-08-19 14:57:45
うちは私が鶏つぶす時にも近くで子供たちが見たりします。最初は親がショックがでかいといけないと

遠ざけてたけれど、実は子供はけっこうタフな存在で、

生きていたものが、やがては肉となり、自分の口に入って

いくという過程を見るにつけ命の連鎖を知ったようです。



だからというわけではないけれど、命あるものを尊び、

命あるものを感謝していただくという姿勢は

少なからず子供に身についているような気がします。

たとえダンゴムシ1匹が死んでいてもお墓を作って

手を合わせてます。小さい小さいお墓ですけどね。



テレビのような受動的なものではなく、実感や経験として

子供たちは「死」について考えるようになるのかなぁ

と思います。

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Unknown (のら)
2005-08-19 21:22:13
そうですね。死について語るのはひとことでは言えないし、また逆に、一言で終わってしまう単純明快なことなのでもあるのでしょうね。
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まきさんへ (のら)
2005-08-19 21:28:52
まきさんのお子さんは、親に見守られながら日常の死?を体験しているんですね。

考えてみたら、うちの子供たちも毎日のように虫をなんだかんだしてますので、当然死をたくさん体験しています。

だけど、そのときの親としての対応がイマイチどうしたらいいのかよくわかりません。

コガネムシを触りまわって、そのうち動かなくなり、そうしたら今度はそのキラキラ光る羽をむしって、泥だんごに埋めて、

チョコレートつき団子などど喜んで団子屋さんごっこしてる…。

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