こけしんち。

*。。*:.こけしのお庭とおウチと育児の記録.:*。oo。*

母の日の歴史

2018-05-14 | 日記

昨日5月13日は母の日でしたね♪



私も、み~たんから、手作りアクセサリーをいただきましたよ♪
ありがとう(^_^)v

さてさて「母の日」ってアメリカ生まれの風習らしいのですが、
その母の日を日本に初めて伝えたのは弘前に住んでいたアメリカ人女性だったと知りました。

昨日の東奥日報朝刊にその記事が大きく掲載されていました。

女性の名は、ファニー・グレー・ウィルソンさん。

弘前学院大学の前身・弘前女学校の第9代校長を勤められた方だそうです。

ふむふむ。
弘前学院大と言えば、先日こちらの外国人宣教師館の特別開放に行ってきましたよ!



昨年もGWに公開をしていて、貴重な洋館建築の粋を学んできましたが、今回はかつてここで宣教師たちのお世話をしていた方から寄贈された手紙や写真などを公開していて、当時の暮らしぶりなどを細かく教えていただきましたよ。


さてさて、ファニー先生の新聞記事を読み進めていきますと、女学校の校長になる前に、弘前の私学・東奥義塾の宣教師と結婚され、双子の子供が生まれ・・・・・

ん?
どっかで聞いた話・・・・・


( ; ゜Д゜)( ; ゜Д゜)( ; ゜Д゜)

あ〰〰〰〰〰〰っ!

この方、もしや。

ということで、見事にジグソーパズルのパーツが埋まったかのごとく思い出したのは、



はい!
弘前学院大の外国人宣教師館に行く前の日に、み~たんとお花見女子会で立ち寄ったコチラ、東奥義塾外国人教師館でした。

そう、ファニー先生はこちらに長く住んでいたアレキサンダー一家の奥様なのでした♪

展示されている説明文などを読んでいたので思い出したのですが、数日経ってこんな形でストーリーがつながるとは思ってもみませんでした!

さてさて、それではあらためてお宅拝見!



こちらは、ご主人のアレキサンダー先生の書斎、ということですね。

ふと書斎の一角を見ると・・・・・



ん?( ; ゜Д゜)
押し入れ?( ; ゜Д゜)

み~たん、
「なんかドラえもんの寝るとこみたい~」だって(笑)
ホントね、お布団しいて寝てそうね(笑)

おとなりは主寝室。


素敵な出窓とベンチ。


立派なクローゼット。


奥様のドレッサーもありました。
ファニー先生が使っていたんでしょうね。


誰ですか~、のぞきこんでる子は?
「ナルニア国」にいっちゃうぞ~(笑)

寝室のとなりには可愛い子供部屋がありました。


小さな手袋がかけてあったりして、まるでタイムスリップしちゃった感じでした。

2階のベランダには、ぼうやのためのブランコが。


み~たんは、おうちにブランコがあるなんて・・・・・と、とても羨ましそうでした。

窓から外を眺めると、お向かいの建物に私たちのいる建物が写っていました。



ファニー先生は、女学校の校長を辞めた後も「弘前母の会」を設立し、津軽の女性の教養を高めるためにご活躍され、昭和32年、東京の日比谷公会堂にて、日本で初めての「母の日」大会を開催。
母の日を通じて女性の存在や役割の重要性を啓蒙し続けた功績は、今に語り継がれているそうです。

二つの洋館訪問から、まるで何かにたぐりよせられるかのように思いがけず素敵な歴史を知ることができ、とても嬉しかったです。

(参考:東奥日報朝刊5月13日 21面「母の日広めた母 弘前に」)


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