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タカダワタル的郷愁

2009-07-22 | 映画
今日は休みでした。
なんかこのフレーズで始まることがやたら多いみたいだけれど、私の職場は基本的に月9休です。休みがバラけているだけで。(イラン心配してるなあ)

祖師谷大蔵駅前の「ウルトラマン通り」にある床屋に言った後、フト通りを挟んだ斜め向かいにあるレンタルショップに足を運んだのです。



もうン十年も映画を見続けているオジサンですから、「話題の新作」とかいってもなかなか食指が動きません。
(この監督は評判の割にはつまらなかったし。こんな「感動作」は怪しいよなア。)
とか考えて棚を物色していると、
『タカダワタル的ゼロ』
というDVDが目にとまりました…。



私は、十二、三年前に高田渡のミニコンサートに行ったことがあります。
そのころ私は、立川駅から青梅線で西に三つ下った「中神」という駅のそばに住んでいました。障害者たちが働く洗びん工場の職員になったので、電車通勤が苦手な私は自転車で通えるところに引っ越したのです。

中神駅北口から少し歩いたところにちょいと洒落た喫茶店があり、私はそこにしばしば通うようになりました。
壁に生ギターが掛けられていたり、映画や芝居やコンサートのポスターやチラシが装飾に使われていたり、全体の雰囲気が1970年代の高円寺か吉祥寺あたりを思わせるのです。小中学生時代を吉祥寺の近くで過ごした私には、とても魅力的でした。
次第にマスターと親しくなって会話を交わすようになると、マスターは70年代前半にフォークバンドを組んでいて、大手レーベルから何枚かレコードも出していたと知り、「やっぱりねエ」と思ったものです。

しかし、その店で高田渡のコンサートをやると聞いたときは、さすがに驚きました。
だって、カウンターを入れても三十席もない小さな喫茶店ですよ。しかも中神だし。こんなところで、本当に「あの」高田渡がコンサートをやるのか…?

当夜はギッシリと満員になりました。追っかけと思われる若い女性客がかなりいたのは意外でした。高田渡が再評価されるのはまだこの数年先で、私は「過去の大物フォークシンガー」と感じていたからです。
本人は、登場したときからすでに酔っ払っていました。一曲歌い終わるごとに強そうな洋酒をグラスに注いで呷るので、四、五曲終った頃にはグデングデンになってしまいました。常連客からは「寝ないで!」とか「○○歌って!」という声が掛かります。でも本人はウツロな目をして、
「もう良いよ。今日はこれで終わり」
とか言いながら、本当に眠りこけてしまいそうなのです。今から思えば、そのときの彼はまだ五十歳になるかならないかなのに、顔に深い皺を刻んで背中を小さく丸めた姿はすでに老人のようでした。
私は内心で「まるで志ン生だ」と面白がってましたが、一緒に見た同僚のヒロシ君は、
「なんやねん、あのオッサン」
と呆れていました。大阪生まれのヒロシ君は新卒で就職した二十代半ばの青年でしたが、なぜか1970年代のサブカルチャーが好きで、私が誘ったら乗ってくれたのです。でも、同時代を知らない彼の目には、単なる「けったいなオッサン」に映ったことでしょう…。



『タカダワタル的ゼロ』は、コンサート光景や高田渡の日常の「酔いどれ」姿を追ったドキュメント作品でした。
主役はもちろん高田渡本人であり、泉谷しげるや柄本明もとてもカッコイイ素顔を見せています。

でも、もう一人の主役は、高田渡が1970年代前半から暮らした吉祥寺という街そのものです。「いせや」という吉祥寺駅近くの焼き鳥屋で昼間から酒を呑み、
「この店に来る人たちが大好きなんだ」
と語る彼の表情は、市井のモーゼのように魅力的です。吉祥寺には高田渡のような人物がいかにも似合うのです。(それだけにウメズカズオ邸が新築されるときの景観騒ぎは、地元のオッサンたちの狭量さが残念だったなア)

私は映画を見ながら何度か涙ぐんでしまいました。やっぱり郷愁なのかなア。このところすっかり涙もろくなっているけれど…。



高田渡は2005年に五十六歳で心不全で亡くなりました。
彼は多くの人に愛された「酔いどれ詩人」でした。でも、多量な飲酒が、彼の人生を縮めたのは確かでしょう。

彼の父親は、元共産党員の詩人でしたが、亡くなる直前に、高田渡はカトリックの洗礼を受けました。

洗礼名はパウロでした。




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2 コメント

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短編小説 (マックス)
2009-07-23 13:20:32
こんにちは。今回の記事はとても面白かったですね。私は高田渡という人を全く知りませんが、文七さんの文章からその人となりや人生が垣間見える気がします。何だか短編小説を読んだ気分になりました。
それと、最期にカトリックになった高田渡とカトリックの文七さんの出会いも面白いですね。
そう言えば、加藤周一が亡くなる直前にカトリックの洗礼を受けたことを思い出しました。
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ありがとうございます。 (酔いどれ文七)
2009-07-23 19:11:41
マックスさん、「短編小説のよう」とは、最上級もホメ言葉です。ありがとうございます。
毎日そんな文章が書ければいいのですが、素材と時間が揃わないと難しいですネ。
加藤周一もそうでしたか。浄土真宗とカトリック(庶民が信仰する)の類似性を指摘した論考を読んだことがあります。
仏教が中国から渡って「日本仏教」として発展したように、「日本的カトリック」があって当然だと思いますね。



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