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黄金風景

2009-12-14 | いのち
昨日の宮沢賢治に続いて、今日は太宰治について書いてみたくなった。



私が初めて太宰治を読んだのは、中学一年のときだ。

私の叔母がなかなかの読書家だった。叔母は二十代の初めのころ、わずかな期間だ
が、私の家に居候をしていた。

やがて叔母は一人暮らしを始めたが、中央公論社の『日本文学全集』を置き土産にし
ていった。

私が中学生だった昭和四十年代後半には、まだ日本中に「教養主義」を大切にする気
配が残っており、一般家庭の本棚には文学全集や「世界の名画」といったシリーズ
が、きっと並んでいたものである。





中学に上がると、私も色んな意味で色気づいた。
そこで、本棚にあった、夏目漱石や芥川龍之介を手にとったのである。

その何番目かが、太宰治だった。

まず、『思い出』という自伝に痺れた。子供のくせして、
「この人は、自分と同じことを考えている…」
と感じて、ほとんど性的昂奮を覚えた。

誰もが罹る「太宰病」に、私も罹りかけたのである。





しかし、私が太宰治を本格的に読み始めたのは、二十歳すぎてからである。

そのころの私は、大学の授業にもクラスメートにも馴染めず、苦しくてしかたがなかっ
た。

千葉県市川市の実家から地下鉄で五つほど東京方面に向ったところに、都立図書館
があった。
私はあまり学校に行かずに、その図書館に日参した。

ほどなく、太宰治の全集を読み始め、とうとう書簡集も含めて全てを読んでしまったの
だ。



二十代の終わり頃から三十代前半にかけて、太宰に熱中していた自分を恥じていた
時期があった。

これも、多くの人が辿るコースである。
しかし、今では、太宰治という作家は日本近代の中でも飛び切りの魅力を持った数少
ない一人だと思っている。

何より、死後五十年経ても若い愛読者を次々と産んでいく「魔力」は、やはり只ならぬ
ものだと驚嘆する。

私が好きなのは『お伽草紙』、『津軽』、『右大臣実朝』といった中期の作品である。中
期には短編にも『走れメロス』、『駆け込み訴え』、『満願』など名品が多い。

そのなかでも、私は『黄金百景』という短編(掌編?)が、とても好きなのである。


太宰治は、精神科医からもしばしば研究対象になっており、その中には太宰をサイコ
パス(人格障害)と断じる人も多い。

しかし私は、『黄金風景』を読むと、タガは外れているかもしれないが、純情なモラリス
トの魂を感じるのである。




昔、自分が馬鹿にし、ひどい扱いをした女中が、生活者として強く真っ直ぐに生きてい

る。

その姿に感謝し、感動し、生きる活力を感じる。

こういった臆面もない美談をヌケヌケと書いて、読むものに感銘を与えられるの
だから、やはり稀有の作家というほかない。

私はこのブログでずっとリンクを貼らなかったけど、今日は、初めて貼ります。


『黄金風景』です。


http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2257_15061.html






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