小日向白朗学会 HP準備室BLOG

小日向白朗氏の功績が、未だ歴史上隠されている”真の事実”を広く知ってもらう為の小日向白朗学会公式HP開設準備室 情報など

閔妃暗殺などおもいつつ

2022-01-06 | 白朗と私 会員思うままに・・・
 堀口大學というと、フランス文学に親しんだことのある諸氏はその名訳を記憶にとどめているかもしれない。そんな文学界の雄の父親は堀口九万一という。どんな方なのかウィキペディアから借用すると・・・・・・1894年、日本初の外交官及領事官試験に合格。外務省領事官補として朝鮮の仁川に赴任中、1895年、閔妃暗殺事件に際して、朝鮮の大院君に日本側から決起を促した廉で停職処分を受ける。2021年11月、郷里新潟県中通村(現長岡市)の親友で漢学者の武石貞松に送った1894年11月17日付から事件直後の95年10月18日付の8通の書簡が見つかった。95年10月9日付の6通目には現地でとった行動が細かく書かれており、王宮に侵入したもののうち、「進入は予の担任たり。塀を越え(中略)、漸(ようや)く奥御殿に達し、王妃を弑(しい)し申候(もうしそうろう)」(原文はひらがなとカタカナ交じりの旧字体。以下同)と王宮の奥に入り王妃を殺したことや、「存外容易にして、却(かえっ)てあっけに取られ申候」という感想まで述べている・・・・・・と細かく記されている。閔妃に直接手をくだして殺害した人物としてニュースになったのもつい最近のこと。まあ、たいして大きなニュースという訳ではなかったけれど。いずれにしても、優秀な若き外交官がどうして「暗殺」の直接の犯人となりえたのか。その殺害に関して、「なんでこんなに簡単に殺せちゃったの?」と感想まで記している。これは普通の感覚ではないのではないだろうか。外交官といえば官僚の花形である。ところがどっこい、その国の外交を直接担当する高級官僚が「暗殺を教唆」したのだ…というのである。イザベラ・バードの朝鮮紀行の一文にこんなくだりがある。「三浦の教唆により、王妃殺害を決意し、そのために仲間を集め(中略)他の十余名に対して王妃殺害の指揮をとった」ということが広島第一審裁判所において被告のうち2名から聴取されているのである。三浦とは三浦梧楼、三浦子爵、朝鮮公使のことであり、れっきとした高級外交官である。結果としてはご存知のように証拠不十分で全員無罪であった。公使はこれをきっかけに確か小村寿太郎に交代している。その後に日本国天皇の弔辞が朝鮮国王に届くのである。・・・・堀口九万一はただ単に上司の命令に従っただけのことであったかもしれない。私は日本という国家が閔妃を殺害したとは言わない。ただ、形だけの裁判を開いて無罪放免にしたのは国家である。後追いで国家は「暗殺」を追認していく。なんか、こんなシーンいろいろなところで見られた気はしないであろうか。張作霖爆殺犯の河本がどうなったか、国内テロの515も226もそういえば一応禁固刑や銃殺の刑に処せられたりはしているものの深く真犯人までは追求されてはいない。などなどちょっと調べたらいろいろと出てきそうなお話の一つでしかないのかもしれない。誕生までには数年はやいが、後の白朗だったらどう思うだろうか。こんなやり方を、つまり、関東軍のやり方を、日本軍人のやり方を、そして日本政府のやり方をいやというほど知り尽くした白朗だったらどんな行動に出るだろうか。そんな妄想に駆られてくる。(文責:吉田)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする