春夏秋冬 ~止まった時と流れる時~

歴史の匂いが好き。

四季の変化が好き。

感じるままに、ありのままに。

坂東お遍路 初夏の中禅寺

2008年07月29日 | 坂東三十三箇所巡礼
栃木・中禅寺 新緑の匂い

日光山中禅寺


開祖、勝道上人。男体山-なんたいさん-山頂をきわめた後、延暦3(784)年に中禅寺を建立、修行の場とした。当時は男体山の登拝口のほうにあったが、明治35(1902)年の大山津波をきっかけに、中禅寺湖歌ガ浜-うたがはま-に移転した。
本堂には重要文化財に指定されているご本尊、十一面千手観音菩薩-があり、胴体部分が根がついたままの立木の状態で彫られたことから、立木観音と呼ばれている。左右の手は寄木造り-よせぎづくり-で、素材はカツラ。大幅な修理はなく、造られた当時そのままの姿を現在に伝える。
脇侍(わきじ)にある四天王像は源頼朝が戦勝祈願に寄進したものといわれている。


仁王門 拝観料を払う



仁王門 天井絵  


 手を清めて

鐘楼に登って願いの鐘を打つ


身代わり瘤


立木観音の祀ってある観音堂


波之利大黒天(なみのりと書きはしりと読みます)
 珍しく空気の入れ替えのため、窓が開いていました。

男体山と愛染堂(霧が出やすい場所で、男体山の全貌が見えることは一ヶ月に一、二回しかない)


五大堂からの景色
 

緑と赤が映える (手前、観音堂と奥、五大堂)


もう少しで山頂が




今まで、春にしか訪れたことのなかった日光・中禅寺。
4、5月はまだ雪が残りとても寒く、落葉樹の多いこの地域は、ちょっと殺風景な一面がある。
でも今回は、眩しいくらいの新緑の緑。

空と湖の青、そして木々の緑、その中にひっそりと佇む中禅寺の赤が絶妙なコントラストを醸し出す。
都会の緑とははまったく見え方が違うから不思議なものだ。

日光駅に着いた時、暑い雲に覆われていたが、中禅寺湖に近づくにつれ徐々に晴れ間が見えて来た。
そして、お参りを終えた後、雨が降ってきた。何かに導かれるように。


大切な友達の無事の出産を祈り始めた坂東お遍路、その子は先日、無事に生まれ
そして最近、別のお世話になった恩人に新たな命が誕生した。

その母子の無事と健康を願い、家族の健康を願い
これからもまた、お遍路の旅を続けようと思う。



最後に明智平からの、新緑に囲まれた華厳の滝と中禅寺湖の写真を一枚





2008.7.27

18切符の旅 真夏の山形 立石寺

2008年07月24日 | 東北の寺社
山形・山寺 真夏の日差し


山寺は正式には 宝珠山立石寺りっしゃくじと読みます。

貞観2年(860年)頃円仁(慈覺大師)が修行の場として開いたと伝える。
元禄2年(1689年)に松尾芭蕉が旅の途中で訪れ、有名な「閑さや巖にしみ入る蝉の声」の句を詠んでおり、参道に句碑があり 一番奥にある奥の院までは1015段の急な階段がある。

本堂である、根本中堂には本山である比叡山延暦寺より移し灯した『不滅の法灯』があり、千百余年、消えずにほのかな光を放ち続けている。



境内へ


ブナ材の建造物としては日本最古ともいわれる根本中堂


境内にいるたくさんの住人たち

 
   


ころり阿弥陀如来
 

山門を潜りいよいよ階段へ


せみ塚
 閑さや岩にしみ入る蝉の声



2/3くらい登ると見えてくる仁王門


あと少し...

朝希望に起き 昼は努力に生き 夜は感謝に眠る


頂上 (左)大仏殿  (右)奥の院


国宝 三重小塔


納経堂と開山堂


絶壁


五大堂からの絶景



境内一帯に澄んだ空気が漂う中
淡々と、黙々と、1015段の急な階段を登る。
大昔から、たくさんの人たちが何を思い、何を願い、何を感じ、この階段を登ったのだろうか?

ただ僕は後々、この時のことを思い出すと、只只、無心だったように思う。

そして奥の院に着いた時、五大堂からの景色を見たとき
一つの達成感とともに、晴れ晴れとした気持ちになった。


実は山寺は、悪縁切り寺とも言われている、少しそれも分かるような気がした。

松尾芭蕉もそういう思いもありながら、あの句を読んだのかな

「閑さや巖にしみ入る蝉の声」

2007.8.25

18切符の旅 初夏の銚子

2008年07月18日 | 18切符
銚子 初夏の風

過去に行った、夏の18切符の旅

朝起きてふと美味しい魚が食べたいと思い。一番に浮かんだのが銚子。
鈍行列車に揺られ3時間あまり、港町 銚子へ

お昼 海の幸が盛りだくさん



江の電



降り立った場所は犬吠灯台
 



犬吠埼には源義経伝説が伝わる。

少し離れた所にある 満願寺 仁王門


この寺は第27番圓福寺本尊十一面観世音の写しの尊像を奉安し、
坂東札所めぐりの巡礼が中心になり、満願成就した報恩感謝のために開創された。
現在は第27番飯沼観音・圓福寺の奥の院。

建物は全て近年の建築で、仁王門は最近できたもの。
そして、次は五重塔を建てるとか......................






背後の愛宕山は地球が丸く見える丘と言われている。
(今回は登りませんでした)



ちょっと涼しくなる写真を


帰りの銚子電鉄



暑い夏は部屋に閉じこもってないで、思い切って外に出て自然と触れ合うといいですよ☆


2007.8.5

18切符の旅 初夏の諏訪

2008年07月10日 | 日本の城
諏訪・高島城 初夏の風

もうすぐ18切符の時期ですね。
過去に行った夏の18切符の旅を少し紹介。


新宿から西へ西へ、JR中央本線を八王子、大月、甲府と乗り継ぎ、約三時間半、上諏訪駅へ
そこから徒歩15分



諏訪高島城

豊臣秀吉の部将、日根野織部正高吉が築城。
当時、湖水の端に位置する小島に築かれた水城で、小規模ながら湖と低湿地に囲まれた要害を成していた。
(今は開拓が進み、湖岸は遙か遠く)

関ヶ原の合戦後、旧領主の諏訪市が入り、明治4年(1871)7月、廃藩置県まで10代諏訪氏の居城。

浮城の異名を持っていたことから日本三大湖城の一つ



駅を降りてすぐ木槿(むくげ)の花がお出迎え


お城に向かうけやき並木。昔は柳だったけど、お殿様が虫が多いと怒ってけやきに(笑)



三の丸跡に到着
もとお堀の役目をしていたのかな?



江戸時代初期から諏訪で清酒「真澄」を作っている会社、味噌部門は「神州一味噌」でよく知られてます。


高島城天守閣と隅櫓(復元)






同じく復元、冠木門

冠木門から本丸内へ

護国神社


移築された三の丸御殿裏門


天守入り口へ


3層の天守閣から諏訪湖を望む
  


山と湖のある風土と相まって、東洋のスイスとも言われる温泉街、諏訪

国内にある最も古い神社の一つとされている諏訪大社(信濃国一宮)があり、そこに住む人たちには、諏訪信仰が根付いている。

この日ちょうど、春宮から秋宮へご神体の大移動をするお祭りお舟祭の日。

街全体がお祭りムードで、夜には諏訪湖で花火も上がりました



関東から夏を感じに、18切符で、のんびり電車の旅と、夏の諏訪。

2007.8.2

鎌倉の旅 紫陽花の長谷寺

2008年07月07日 | 鎌倉の寺社
鎌倉・長谷寺 紫陽花の咲く頃に

江ノ電長谷駅 徒歩5分

伝承では長谷寺の創建は奈良時代と言われているが、中世以前の沿革は明確でなく、創建の正確な時期や経緯についても不明。

寺伝によれば、天平8年(736年)、大和の長谷寺の開基でもある徳道上人を藤原房前が招請し、十一面観音像を本尊として開山したという。
養老5年(721年)に徳道は楠の大木から2体の十一面観音を造り、その1体(本)を本尊としたのが大和の長谷寺であり、もう1体(末)を祈請の上で海に流したところ、その15年後に相模国の三浦半島に流れ着き、そちらを鎌倉に安置して開いたのが、鎌倉の長谷寺であると伝わってます。

十一面観音像は通称、長谷観音

浄土宗系統の単立寺院

正式名
海光山 慈照院 長谷寺

坂東三十三箇所観音霊場の第四番札所でもあります。


山門 すいません逆光です



山門をくぐると、下境内と上境内に別れていて下境内には二つの池を中心に庭園が広がっています。

紫陽花の前に、花菖蒲がお出迎え
  


階段を上がり、地蔵堂を通り、上境内へ

観音堂


見晴し台からの景色




そして、ピーク時は二時間待ちにもなるあじさい散策路
今回は平日だったので、すんなり入れました。

40種類以上約2500株の紫陽花たち

    
もちろん海も見えます。




雨の次の日は、やっぱり花たちは活き活きしています♪

六年前に、初めて来たとき、こんなに人も紫陽花もなかったのですが、ここ数年の長谷寺は本当にすごいです。
もし行かれる方は、平日か、朝一をお勧めします。

そしてやっぱり、雨の次の日の晴れの日。

の次の日の晴れの平日朝一で。


注文多いですがw、きっと今までに味わったことのない、感動があると思います!!






高校を卒業して、東京に上京してきた最初の年、福岡から遊びに来た祖父に付いて、偶然行った初めての鎌倉。
ちょうど六月。

今まで紫陽花なんて、なんとも思たことなかったし、
歴史は好きだったけど、お寺や仏像にはあまり興味のなかった自分。

そのとき見た満開の花たちと、それに囲まれたお寺や神社の景色は
今では祖父との一番の思い出となり、自分の中で初心に帰れる時間と場所


紫陽花の鎌倉


あの日以来、どんなに忙しくても、僕は毎年、この地を訪れている。
そしてこれからもきっと
大好きな祖父との大切な思い出とともに。


2008.06.25 
鎌倉 紫陽花の咲く頃に








鎌倉の旅 紫陽花の御霊神社

2008年07月04日 | 鎌倉の寺社
鎌倉・御霊神社 紫陽花の咲く頃に

江ノ電長谷駅 徒歩5分

権五郎(ごんごろう)神社ともいわれる。
創建は不明だが、鎌倉幕府成立以前の平安時代後期であると推定される。
もとは関東平氏五家の始祖、鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏の5氏の霊を祀った神社であったとされ、五霊から転じて御霊神社と通称されるようになった。
後に、鎌倉権五郎景政の一体のみに祭神は集約され、祭神の名から権五郎神社と呼ばれた。
本殿には景正夫妻と梶原景時の木像が安置されている。

鎌倉権五郎景政公・後三年の役(1083年~)に16歳で出陣し源義家に従って活躍した。

江の電の線路を超え



本殿 意外とと人が多い







本殿裏にひっそりと紫陽花小道がある
  


中を散策していると、踏切の音と、江の電の警告音?クラクション?の音が

 

どうも踏切の所は絶好の江の電撮影ポイントらしく、多くの鉄道ファンが踏切から身を乗り出しており、電車から見ると、かなり危険みたいです。みなさんやりすぎないように

あ、僕は鳴らされてませんよ

鎌倉江ノ島七福神のひとつで、福禄寿も安置されています。
こちらは今度ゆっくり七福神巡りの時に拝見したいと思います。

長谷寺駅から徒歩5分ですが、極楽寺駅から極楽寺~成就院~御霊神社~長谷寺とのんびり歩くのがお薦めです!!

2008.06.25

鎌倉の旅 紫陽花の極楽寺

2008年07月03日 | 鎌倉の寺社
鎌倉・極楽寺 紫陽花の咲く頃に

江の電 極楽寺駅 徒歩1分


鎌倉唯一の真言律宗の寺。開山は忍性、開基は北条重時。1259年創建。重時は寺の完成前に没し、子である長時、業時が完成させる。当時、金堂、講堂、塔などの伽藍、49支院を持つ大寺院だったが、度重なる自然災害と火事のため、現在では当時の広い境内の大部分は住宅地に変わり、本堂となっている吉祥院のみが残る。
本尊は重要文化財である秘仏、清涼寺式釈迦如来立像。
鎌倉の花の寺のひとつで、四季折々の花が楽しめます。


霊鷲山感応院極楽寺


極楽寺駅を降りてすぐ茅葺きの山門がお出迎え



紫陽花と山門






境内に入ると紫陽花がお出迎え

   


本堂



子供達。遠足でしょうか?



極楽寺の井
山門前を掘り起こした時に発見された井戸。鎌倉石に八段積み上げての大きなもの。



境内で喫茶店もやってました





極楽寺の紫陽花の数は少ないですが、その一つ一つが、活き活きと咲いていて、成就院や長谷寺とはまた違った趣がありました。
紫陽花も綺麗でしたが、桜の木や、梅の木も目につき、春にまた訪れてみたいと思うお寺でした。

2008.6.25

鎌倉の旅 紫陽花の成就院

2008年07月02日 | 鎌倉の寺社
鎌倉・成就院 紫陽花の咲く頃に

江の電 極楽寺駅から徒歩2分


平安時代の初期、弘法大師(空海)の護摩供・虚空蔵菩薩求聞持法を修したという霊跡に
1219年 鎌倉幕府3代執権北条泰時が創建。
京都より高僧を招き、本尊に不動明王をまつり寺を建立。
普明山法立寺成就院と称し後に極楽寺の子院となる。

1333年、新田義貞の鎌倉攻めの戦火にて寺は焼失するが、江戸時代、元禄期に奥の西が谷から今の地に戻り、僧祐尊により再興。







境内へ



石段を登る



両脇にたくさんの種類の紫陽花
ちなみに、108段の参道の両側に、般若心経の字数と同じ262本あるそうです。



登りきって振り向くと!!!


由比ヶ浜、材木座海岸が一望


山門へ


こんな人たちがお出迎え






立派な本堂の額





去年は紫陽花があまり咲なかったけど、今年は見事に満開でした!!

じめじめした梅雨が苦手な方、夏がくるのが嫌な方
是非一度、鎌倉の紫陽花を見に行ってください。


きっと新たな発見がありますよ

四季の変化を感じに..... 2008.6.25


自己紹介

2008年07月01日 | はじめに
覗いていただきありがとうございます。

小さい頃からお城が好きで、気づいたら歴史に興味を持ち。

初めて訪れた京都で、仏像やお寺に魅了され、

何気なく行った会津で、歴史の重みと、自分の無知さに気づき。

その土地の良さを、少しでも記憶と心に残そうと、写真を撮り出した。

僕の訪れた場所を、四季の変化を交え、写真を中心に紹介したいと思います。