春夏秋冬 ~止まった時と流れる時~

歴史の匂いが好き。

四季の変化が好き。

感じるままに、ありのままに。

1年という歳月

2008年12月31日 | 季節の一枚
去年の1月1日、僕の生まれた福岡は雪が降っていました。

あれから1年、月日が流れるのはとても早い。

2008年の終わりは、初めて職場で迎えるけれど、

それも今年の自分を象徴してて良いと思う。

明日、成長した姿をみてもらうため、胸を張って家族の元に帰りたいと思います。

今年始めたばかりの、自由気ままなブログですが、来年も宜しくお願いします。



実家の目の前にある神社

東京・江戸城

2008年12月14日 | 日本の城
東京・江戸城

現在の皇居とその周り一体が、江戸城跡である、説明不要と言いたいところだが、意外と知られていない。

まずは江戸という地名の由来は、
現在の東京都千代田区から中央区にかけての範囲を指します。
その地名を採った桓武平氏・秩父氏の流れを汲む江戸氏が、平安時代の終わり頃から、この地域を支配し、
現在の江戸城本丸の場所に江戸館を築いたことに始まると言われます。

室町時代に扇谷上杉氏の家臣・太田道灌が江戸城を築城。
戦国期、小田原城を本拠地とする後北条氏が関東一円に勢力を拡大し、遠山氏を江戸城城代としていました。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めの際に後北条氏が滅亡。
この時の戦功で、徳川家康に関東八州の所領が与えられ、ここを居城としました。

家康、秀忠、家光と三代に渡り増改築を続け、港区・新宿区の境に一部が残る外堀と神田川とを総構えとし、
本丸・二の丸・三の丸(現在の皇居東御苑)に加え、
西の丸(皇居)、西の丸下(皇居外苑)、吹上(皇居吹上御苑)、北の丸(北の丸公園)の周囲16kmにおよぶ大城郭が完成、
以後200年以上、江戸幕府の中枢として機能します。

徳川氏の時代は15代将軍慶喜の大政奉還により幕を閉じ、
1868年(明治元年)4月、江戸城は明治新政府軍に明け渡され、(江戸城無血開城)明治天皇が京都から江戸城に入り、
10月に東京城(とうけいじょう)に改名、2年後、東京遷都により皇城となる。

関東大震災と空襲で、多くの建物に被害が出るが4つの櫓、天守台、門、番所などが当時のまま残っている。



一番観光客が訪れる、二重橋と伏見櫓(奥)

ほとんどの人が、皇居の正門へと続く橋を二重橋と勘違いするが、手前は西丸大手橋(石橋)である。
奥の鉄橋を二重橋という。(ちょっと写真だと見えにくいですが)


皇居の正門となっている、西の丸大手門(通行不可)



同じく皇居に続く半蔵門(通行不可)

昔、服部半蔵が警備をしていたためこの名前がついている。
非常時には将軍を甲州街道から幕府の天領である甲府への脱出ルートという説もある。


坂下門(宮内庁への入り口)

幕末、将軍家茂への和宮降嫁に激怒した水戸浪士が、老中・安藤対馬守信正の登城行列を襲った「坂下門の変」の舞台


桜田門(重要文化財)

この門の近くで水戸藩浪士による大老井伊直弼の暗殺事件(桜田門外の変)が起きた。


巽櫓(桜田二重櫓、辰巳櫓)と桔梗門(大田道灌時代の大手正門)



本丸大手門(昭和43年再建)



平川門(大奥の通用門)

平川門は通用門の横にもう一つの高麗門がある。これが別名を「不浄門」と呼ぶ門で、江戸城内の死者や罪人を城外へ運び出す役割をしていた。


清水門(重要文化財)

御三卿、清水家の名前の由来となる


北桔梗門

当時、有事の際に橋を跳ね上げて往来を遮断できることから「桔橋(はねばし)」と呼ばれる。


富士見櫓

かつて江戸城には19の櫓がありましたが、今は、伏見櫓、桜田二重櫓と、この富士見櫓の3つが残っています。


本丸大手門から、本丸を目指すとまず最初に
同心番所があります。

与力、同心が江戸城へ登城する大名の供を監視した。

次に通るのが
最大の検問所、百人番所

鉄砲百人組と呼ばれた根来組、伊賀組、甲賀組、二十五騎馬の四組が交代で詰めていた。


そして最後に
大番所

位の高い与力・同心によって整備され、ここから先は必ず乗り物を降りなければ行けない。

現存していないが、これ以外に本丸に辿り着くまで、四つの門をくぐったと思われる。
なんとめんどくさい(笑)



天守台

実際に天守があったのは、四代家綱の時代までで、計三回建てられた。
最後は大火で消失。

現在、江戸城再建の計画もあります
http://npo-edojo.org/top.html


西の丸は現在の皇居


北の丸内部には有名な武道館があり、そこに行くため、みな知らず知らずに
「田安門」という現存する重要文化財の門を通っています。


さらに、春の桜の次期に有名な千鳥が淵も江戸城のお堀の一部



中央線に乗ると見える、釣り堀がある池も、江戸城の外堀です。

他にもたくさんありますが、
知らず知らずのうちに僕らは江戸城と接しているのです。



江戸城本丸を久しぶりに訪れたのは、ちょうど大河ドラマで、江戸城無血開城を放送する日でした。
そして、今日、大河ドラマ篤姫が最終回を迎えました、あのドラマのお陰で、幕末に興味を持った人は多いと思います。

その舞台の中心となった江戸城

今でも、あの時代からずっといる木々や、建物が、当時の匂いを醸し出しています。
時代は徳川の江戸から、明治、大正、昭和、平成と変わりましたが、

今でも東京の中心には江戸城があります。
そんな江戸城に、一度足を運んでみてはいかがでしょう?


2008.11.30
一部昔の写真を使っています。