春夏秋冬 ~止まった時と流れる時~

歴史の匂いが好き。

四季の変化が好き。

感じるままに、ありのままに。

幸せの瞬間

2008年11月23日 | その他
誕生した場所も、性格も、容姿も違う13の曲たちが、
協力し合い、喧嘩し合い、譲り合い、手を取り合い、
1つの大きな大きな命を創りだした。


その瞬間を、肌で感じ、耳で感じ、心で感じることができた今日、


最高に幸せな気持ちになる。


僕は、後からさりげなく入って来た第三者。
どんなに努力したとしても、彼女らの様々な想いや感情には、僕は足下にも及ばない。


それでも、そうだとしても、少しでも、ほんの僅かでも、理解できるように、力になれるように、努力しようと思う。


今日という日に感謝して、素敵な出会いに感謝して、この最高の瞬間に少しでも多く立ち会えるように、これからの日々を歩んで行きたい。


曲が成長するように、彼女らの背中を見失わないように、僕も成長して行こう。

東京散歩 上野・寛永寺 ~天璋院篤姫の眠るお寺~

2008年11月20日 | 東京歴史散策
上野・寛永寺


天台宗東叡山寛永寺円頓院

天台宗の関東総本山。
開基は徳川家光 開山は南光坊天海
江戸城の鬼門を守る祈願寺として創建されたが、のちに芝増上寺とともに将軍家の菩提寺となる。
境内には四代家綱、五代綱吉、八代吉宗、十代家治、十一代家斉、十三代家定(篤姫の夫)が眠る。

現在の上野公園一体に壮大な規模をほこった大伽藍も幕末、明治の戊辰戦争(上野戦争)でそのほとんどが焼失。

明治8年(1875年)もと子院の1つの大慈院があった場所に川越の喜多院(天海が住していた寺)の本地堂を移築して本堂(中堂)とし、復興されたが、寺の規模は大幅に縮小した。


入り口



移築された根本中堂



  

常憲院霊廟勅額門(五代綱吉が眠る)基本非公開



上野公園内にある清水観音堂



動物園の一部と化した旧寛永寺五重塔(現在は東京都所有)


他に現存する旧伽藍は

書院(徳川慶喜が水戸退去の前に2か月ほど蟄居した場所)
旧本坊表門
弁天堂
黒門(荒川区の円通寺に移築、当時の弾痕が残る)
時の鐘
東照宮
大仏山パゴダ
上野大仏

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今、大河ドラマで人気の篤姫
夫、家定との切なく短くどこか儚い夫婦生活に涙した人も多いと思う。

すぐに離ればなれになってしまった二人が、
今、隣同士で静かに眠っているという事実を知ると、感慨無量である。

基本非公開だが、一年に一度特別公開があるらしく、
今年は大河人気もあり定員80人の20倍以上の応募者があったらしい。

現在、博物館や美術館、動物園などがあり、人々の憩いと、芸術の街ともなった上野。
しかしその、のどかな公園は、僅か140年ほど前に、日本人同士が大激戦を繰り広げた場所でもある。

終戦後、境内には敗者である彰義隊(幕府側)の戦死者遺体は片付けることさえ許されず数日放置されたままになったという
非情な事実も残る。

そして公園には、有名な西郷隆盛の銅像があり、観光客が写真を撮っている姿を良く見かけるが、西郷隆盛は上野を攻めた側の人間であると思うと、上野公園で散った(旧幕府側の)魂は浮かばれないだろう。
さらに勝者、西郷隆盛象の真裏に、敗者、彰義隊のお墓がひっそりとある。
その歴史と、両者の因果関係を知っている人はほとんどいない。
(西郷はその後、西南戦争で明治政府に背き賊軍となるけど.....)

様々な歴史が絡み合う上野、歴史という視点見てみると、おもしろい街です。


話はまったく飛ぶが、
旧寛永寺五重塔が、動物園の一部となり、その周りが鳥のエリア(アヒルとかだったと思うが)になり、
重要文化財の建物が糞だらけになっているのは、なんとかならないのかな?


寛永寺
JR山手線「鴬谷」駅から徒歩5分





2008.10.6

東京散策 浜離宮

2008年11月08日 | 東京歴史散策
浜離宮恩賜庭園



正式名称は、東京都立浜離宮恩賜(おんし)庭園

江戸将軍家の鷹狩の場を、承応3年(1654年)に甲府藩主の松平綱重が拝領。海を埋め立て別邸を立てた。
(甲府浜屋敷と呼ばれる)その後は、甲府藩の下屋敷として使用された。

その後、綱重の子である徳川家宣が六代将軍になると、将軍家の別邸とされ浜御殿と改称。
大幅な改修が行われ、茶園、火薬所、庭園が整備。
十一代将軍家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成しました。

幕末、外国人接待所として石造洋館である延遼館(幕府海軍伝習屯所)が建設され、
明治維新後に、宮内省の管轄となり名前も浜離宮と改められた。

関東大震災や戦災によって、御茶屋など貴重な建造物が焼失、当時の面影はなくなりましたが、
昭和20年、東京都に下賜され、整備のうえ昭和21年4月有料公開されるに至る。

国の特別名勝、及び特別史跡に指定。

JR新橋駅 徒歩15分


お城みたいな大手門から園内へ


園内
  
  
 
 


写真にもある大きな池は潮入り池
(東京湾から海水を導き潮の満ち干によって池の趣を変えるのである)

海との入り口に水門がある


普通庭園の池と言えば、色とりどりの鯉、亀、アヒルがいますが、
ここは海水、ボラをはじめ、セイゴ、ハゼ、ウナギ、カニがいます(笑)

全国でもめずらしい現存する鴨場



中島の御茶屋で



秋らしいお菓子と抹茶をいただき



たんぽぽの綿毛に想いを馳せ



ピンクの椿に冬の気配を感じ



鳥羽伏見の戦いで大阪城から単身で逃げ帰って来た慶喜の心中を察し(将軍お上がり場)



樹齢三百年の松に時の流れを感じる



「あ、東京タワーに行こう」とふと思い立ち



今日も一日が終わるのです。



幕末の動乱、明治維新、日本最後の内戦から僅か約150年
あの松の半分の月日

東京の夜景は今日も綺麗でした。



2008.11.06

坂東お遍路 鎌倉・杉本寺

2008年11月07日 | 坂東三十三箇所巡礼
鎌倉・杉本寺 ~紅葉の色づく頃に~

第一番 天台宗 大蔵山 杉本寺

本尊は十一面観音


鎌倉幕府がこの地に開かれるより遥か昔、天平六年(七三四)に光明皇后の発願によって、奈良の大仏の建立に貢献した僧・行基が自刻の十一面観音を安置したのが始まりと言われる。
後に源頼朝により建久2年(1191)再建され、幕府の手厚い保護を受ける。

本尊は十一面観音と書いたが、実は三体あり、ひとつは開基の行基、後に慈寛大師、続いて恵心僧都が奉納。
行基作(市指定文化財)と伝わる以外のニ体は共に国指定の重要文化財。
(最も古いとされる一体が文化財に指定されていない。諸説あり)

坂東三十三箇所第1番札所であり、鎌倉最古の寺と言われる。



江戸時代中期、享保十年(1725)の建立の仁王門




お昔より何千、何万という人が登ったであろう、すり減った苔むした石段
(現在は危険なため通行不可)



藁葺きの屋根の本堂(県指定文化財)





境内にはたくさんの五輪塔がある



あまり紅葉(こうよう)があるお寺ではないが、
杉本寺に向かう途中で見つけた紅葉(もみじ)



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去年の今頃、友達の安産祈願のため、初めてお遍路を始めました。
関東一帯が霊場となっている坂東三十三箇所

鎌倉幕府三代将軍源実朝が西国の霊場を模範として札所を制定したと伝えられているこのお遍路の第一番が今回の杉本寺。
そもそもどうして三十三という数かというと、観世音菩薩は教えを説く相手や場所に応じ33身の姿に変化する(三十三応現身)からきたものです。

個人的な話になりますが、
交通機関が限られていた昔は、もちろん歩いて(約一三〇〇キロ)参拝していましたが、今の時代は、車や電車、はたまたバスツアーもあり、早い人では一週間で終わる方もいます。
 友達の子供が生まれる前までに終わらせるためにはそれも考えたのですが、お寺からお寺へ、車を走らせ、駐車場から境内までの僅かな距離しか歩く機会がないのです。なんかそれは少し寂しい気がします

お寺かお寺へ歩くことで、様々な出会いや発見があると思うのです。

さすがに全行程を徒歩で歩くことは今の僕には不可能ですが、車は極力使わず、電車の最寄り駅からお寺までは、なるべく歩こうと思っています。
平均10~20kmぐらいですが、自分の知らない街の景色を楽しみ、東京とは違う四季の変化を楽しみ、食を楽しみ、時折、地元の人と交流も生まれる。

そんなお遍路の旅が大好きです。

お友達の赤ちゃんは無事、五体満足で生まれてきました、後三分の一ほど残っていますが、これからは家族の健康を祈りながら旅を楽しみたいと思っています。


2007.11.24


東京散歩 国宝・正福寺千体地蔵堂

2008年11月05日 | 東京歴史散策
正福寺千体地蔵堂 都内唯一の国宝建造物


臨済宗 建長寺派 金剛山 正福寺

本尊は千手千眼観音

創建年ははっきりとわかっていないが、鎌倉時代中期に建長寺(鎌倉)の僧石渓心月の開山だと伝えられる。
開基は当時の執権、北条時頼とする説と北条時宗とする説がある。

タイトルでも書いた東京都内唯一の国宝建造物「地蔵堂」がある。


山門(東村山市指定有形文化財)



国宝・正福寺地蔵堂
禅宗様仏殿の代表作の一つ。室町時代の応永14年(1407年)の建立と知られる。
同じく国宝に指定されている鎌倉の円覚寺舎利殿と全く同じ様式である。


地蔵堂の内部は,8月8日,9月24日,11月3日の3日間一般公開される。



訪れたのは三年前の秋でした






本堂 

庫裏


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国宝、その字の通り国の宝である。
建造物・絵画・彫刻・工芸品・書跡・典籍・古文書・考古資料・歴史資料などがあり、博物館にいくと時々目にすることがある。また、京都や奈良に行くと建造物に関しても意外と目にすることが多いため、それほど重要性を感じない人もいるかもしれないが、関東に存在する国宝建造物は実は大きく別けて三つしかないのである。


一つ目は、ここで紹介した正福寺地蔵堂。
二つ目は、鎌倉の円覚寺舎利殿
そして三つ目が、世界遺産でもある有名な日光東照宮の建物である
(実際には輪王寺大猷院霊廟の一部も入ります)

お寺や神社がたくさんある鎌倉でさえも国宝建造物は一つしかないのは初めて知った時は驚いた。
つまりそれだけ正福寺地蔵堂は貴重な建物なのだ。

正福寺地蔵堂のもう一つ驚くこと、それは、
世界遺産でもある日光の建物はも高い拝観料を払って見る。
鎌倉の円覚寺舎利殿は特定の日を除いて基本建物に近づくこともできない。
しかし、正福寺地蔵堂は写真の通り建物内に入れないが、すぐに近くまでいつでも行くことができるのだ。


これほど無防備でいいのかとも正直思ってしまう(南大門の放火の件もある)
それは東村山市の市民の素晴らしさとも信用とも言えるが.......


それに、道中,正福寺への道案内などもほとんどない......。


東村山市の文化財に対する意識の低さ,理解のなさなのかも......
身近な国宝と言えばそれまでだが、国宝など一つもない県も結構あるのに、少し宝の持ち腐れ感もあるのが少し残念。


なにわともあれ、こんな身近にある貴重な建物、一度見てみるのも悪くはないですよ。


西武新宿線東村山駅下車・徒歩10分


2006.11.22