春夏秋冬 ~止まった時と流れる時~

歴史の匂いが好き。

四季の変化が好き。

感じるままに、ありのままに。

鶴岡八幡宮の大銀杏

2010年07月04日 | 鎌倉の寺社
鶴岡八幡宮の大銀杏




あたりまえのようにあったものが、ある日突然無くなった。

2010年3月10日、鎌倉のシンボルとも言える、鶴岡八幡宮のご神木・大銀杏(おおいちょう)の倒壊した。
樹齢1000年、重さは17トンもあったという。

鎌倉幕府三代将軍・源実朝がこの銀杏に隠れる甥の公暁によって殺された舞台にもなった。歴史の生き証人でもあった。

何万、いや、何億の人がこの木を見、
いったい何回のカメラのシャッターがここで押されたのだろう!?

毎年、そして四季折々の表情を見せてきた、大銀杏。
それを今年、全部写真に撮りたいと思っていた刃先であった。

東京に来て8年、毎年欠かさず鎌倉に行く。
でも過去の写真を見ると、冬の写真は一枚もない。
秋は辛うじてあるが、まだ大銀杏の紅葉のピークではない。
また今度撮れば良い.....
いつ訪れても、そこに凛と佇んでいる大銀杏に、安心しきっている自分がいた。
いつでも撮れると思っていた自分にすごく後悔する。





変わらないものなどこの世にないのだと、改めて教えられた。
僕が気付かないだけで、千年余もの間、大銀杏は常に成長し、変化し続けていたのだ

止まっていたのは僕の心だろう。
普遍的なものを見て、安心したいという僕の心。

諸行無常とはまさにこの事だなと思った。




大銀杏は根元から約4メートルで切断され、元あった場所の西側約7メートル地点に再生の望みを残して植え直されました。


そして元生えていた場所の土中に残された根から生え始めた新たな芽(ひこばえ)育っていました。


倒壊した後、初めてその姿を見たとき、胸に込み上げてくる言葉にならない想いと、微かに浮かぶ涙があった。
大銀杏は、天災に負けず、確かに生きていた。
微かな希望から、確かな芽が出ていた。

たくさんの人の涙の水をもらい、これからもたくましい姿を、みんなに見せてほしい。
そしてまた、1000年後の人々にもその勇姿見せ続けてほしい。

今年は秋にも、冬にも、行こう 必ず。



2010.6.24


鎌倉の旅 紫陽花の長谷寺

2008年07月07日 | 鎌倉の寺社
鎌倉・長谷寺 紫陽花の咲く頃に

江ノ電長谷駅 徒歩5分

伝承では長谷寺の創建は奈良時代と言われているが、中世以前の沿革は明確でなく、創建の正確な時期や経緯についても不明。

寺伝によれば、天平8年(736年)、大和の長谷寺の開基でもある徳道上人を藤原房前が招請し、十一面観音像を本尊として開山したという。
養老5年(721年)に徳道は楠の大木から2体の十一面観音を造り、その1体(本)を本尊としたのが大和の長谷寺であり、もう1体(末)を祈請の上で海に流したところ、その15年後に相模国の三浦半島に流れ着き、そちらを鎌倉に安置して開いたのが、鎌倉の長谷寺であると伝わってます。

十一面観音像は通称、長谷観音

浄土宗系統の単立寺院

正式名
海光山 慈照院 長谷寺

坂東三十三箇所観音霊場の第四番札所でもあります。


山門 すいません逆光です



山門をくぐると、下境内と上境内に別れていて下境内には二つの池を中心に庭園が広がっています。

紫陽花の前に、花菖蒲がお出迎え
  


階段を上がり、地蔵堂を通り、上境内へ

観音堂


見晴し台からの景色




そして、ピーク時は二時間待ちにもなるあじさい散策路
今回は平日だったので、すんなり入れました。

40種類以上約2500株の紫陽花たち

    
もちろん海も見えます。




雨の次の日は、やっぱり花たちは活き活きしています♪

六年前に、初めて来たとき、こんなに人も紫陽花もなかったのですが、ここ数年の長谷寺は本当にすごいです。
もし行かれる方は、平日か、朝一をお勧めします。

そしてやっぱり、雨の次の日の晴れの日。

の次の日の晴れの平日朝一で。


注文多いですがw、きっと今までに味わったことのない、感動があると思います!!






高校を卒業して、東京に上京してきた最初の年、福岡から遊びに来た祖父に付いて、偶然行った初めての鎌倉。
ちょうど六月。

今まで紫陽花なんて、なんとも思たことなかったし、
歴史は好きだったけど、お寺や仏像にはあまり興味のなかった自分。

そのとき見た満開の花たちと、それに囲まれたお寺や神社の景色は
今では祖父との一番の思い出となり、自分の中で初心に帰れる時間と場所


紫陽花の鎌倉


あの日以来、どんなに忙しくても、僕は毎年、この地を訪れている。
そしてこれからもきっと
大好きな祖父との大切な思い出とともに。


2008.06.25 
鎌倉 紫陽花の咲く頃に








鎌倉の旅 紫陽花の御霊神社

2008年07月04日 | 鎌倉の寺社
鎌倉・御霊神社 紫陽花の咲く頃に

江ノ電長谷駅 徒歩5分

権五郎(ごんごろう)神社ともいわれる。
創建は不明だが、鎌倉幕府成立以前の平安時代後期であると推定される。
もとは関東平氏五家の始祖、鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏の5氏の霊を祀った神社であったとされ、五霊から転じて御霊神社と通称されるようになった。
後に、鎌倉権五郎景政の一体のみに祭神は集約され、祭神の名から権五郎神社と呼ばれた。
本殿には景正夫妻と梶原景時の木像が安置されている。

鎌倉権五郎景政公・後三年の役(1083年~)に16歳で出陣し源義家に従って活躍した。

江の電の線路を超え



本殿 意外とと人が多い







本殿裏にひっそりと紫陽花小道がある
  


中を散策していると、踏切の音と、江の電の警告音?クラクション?の音が

 

どうも踏切の所は絶好の江の電撮影ポイントらしく、多くの鉄道ファンが踏切から身を乗り出しており、電車から見ると、かなり危険みたいです。みなさんやりすぎないように

あ、僕は鳴らされてませんよ

鎌倉江ノ島七福神のひとつで、福禄寿も安置されています。
こちらは今度ゆっくり七福神巡りの時に拝見したいと思います。

長谷寺駅から徒歩5分ですが、極楽寺駅から極楽寺~成就院~御霊神社~長谷寺とのんびり歩くのがお薦めです!!

2008.06.25

鎌倉の旅 紫陽花の極楽寺

2008年07月03日 | 鎌倉の寺社
鎌倉・極楽寺 紫陽花の咲く頃に

江の電 極楽寺駅 徒歩1分


鎌倉唯一の真言律宗の寺。開山は忍性、開基は北条重時。1259年創建。重時は寺の完成前に没し、子である長時、業時が完成させる。当時、金堂、講堂、塔などの伽藍、49支院を持つ大寺院だったが、度重なる自然災害と火事のため、現在では当時の広い境内の大部分は住宅地に変わり、本堂となっている吉祥院のみが残る。
本尊は重要文化財である秘仏、清涼寺式釈迦如来立像。
鎌倉の花の寺のひとつで、四季折々の花が楽しめます。


霊鷲山感応院極楽寺


極楽寺駅を降りてすぐ茅葺きの山門がお出迎え



紫陽花と山門






境内に入ると紫陽花がお出迎え

   


本堂



子供達。遠足でしょうか?



極楽寺の井
山門前を掘り起こした時に発見された井戸。鎌倉石に八段積み上げての大きなもの。



境内で喫茶店もやってました





極楽寺の紫陽花の数は少ないですが、その一つ一つが、活き活きと咲いていて、成就院や長谷寺とはまた違った趣がありました。
紫陽花も綺麗でしたが、桜の木や、梅の木も目につき、春にまた訪れてみたいと思うお寺でした。

2008.6.25

鎌倉の旅 紫陽花の成就院

2008年07月02日 | 鎌倉の寺社
鎌倉・成就院 紫陽花の咲く頃に

江の電 極楽寺駅から徒歩2分


平安時代の初期、弘法大師(空海)の護摩供・虚空蔵菩薩求聞持法を修したという霊跡に
1219年 鎌倉幕府3代執権北条泰時が創建。
京都より高僧を招き、本尊に不動明王をまつり寺を建立。
普明山法立寺成就院と称し後に極楽寺の子院となる。

1333年、新田義貞の鎌倉攻めの戦火にて寺は焼失するが、江戸時代、元禄期に奥の西が谷から今の地に戻り、僧祐尊により再興。







境内へ



石段を登る



両脇にたくさんの種類の紫陽花
ちなみに、108段の参道の両側に、般若心経の字数と同じ262本あるそうです。



登りきって振り向くと!!!


由比ヶ浜、材木座海岸が一望


山門へ


こんな人たちがお出迎え






立派な本堂の額





去年は紫陽花があまり咲なかったけど、今年は見事に満開でした!!

じめじめした梅雨が苦手な方、夏がくるのが嫌な方
是非一度、鎌倉の紫陽花を見に行ってください。


きっと新たな発見がありますよ

四季の変化を感じに..... 2008.6.25