春夏秋冬 ~止まった時と流れる時~

歴史の匂いが好き。

四季の変化が好き。

感じるままに、ありのままに。

東京散歩・旧岩崎邸庭園

2010年01月25日 | 東京歴史散策
東京・旧岩崎邸庭園

今年の大河ドラマは「坂本龍馬」
を、岩崎弥太郎の目線から描くのです。

その岩崎弥太郎とは誰だ?と思う方はいると思いますが、三菱財閥の創業者と言えば、少しはピンとくるのではないでしょうか??

これから紹介する旧岩崎邸庭園は
初代・岩崎弥太郎が、明治11年に牧野弼成{すけしげ}(旧舞鶴藩主)から邸地を購入
弥太郎の長男で、三代目・岩崎久弥{ひさや}が、明治29年、岩崎家の迎賓館として、お雇い外国人のジョサイア・コンドルの設計で竣工しました。


現在、園内の現存する3棟の歴史的建造物は国の重要文化財に指定されています。


洋館
四角い塔の張り出す玄関や外観の装飾はジャコビアン様式、客室にはイスラム風のデザイン、ベランダが張り出したスタイルには、コンドルが得意としたベランダ・コロニアル様式を施すなど様々な様式を織り交ぜています。
北側から


ベランダ


当時世界でも贅沢品と言われたミントンのタイル


サンルーム(これは明治40年代の増築です)






撞球室
木造ゴシック様式のビリヤード室。校倉造の外観はスイスの山小屋風で、洋館の地下室と地下通路で結ばれています。




和館
書院造を基調とした和風建築で、迎賓館としての洋館に対し、生活の場として使われたようです。
設計は大工棟梁の大河喜十郎と伝えられています。
往時は550坪もの大邸宅でしたが、現存するのは大広間と茶室の周辺のみ。
釘隠しなど各所に岩崎家の家紋である三階菱が見受けられます。





橋本雅邦(がほう)による四季を描いた障壁画が残っています。
彼の弟子には横山大観、川合玉堂などがいる。弟子の名前のほうが有名?笑



南側の庭園から観るとこんな感じです。
左から和館、洋館、撞球室です。


もともと越後高田藩榊原家中屋敷だった大名庭園を、本邸の建築に際に、
池を埋め立てて広大な芝庭とし、庭石・灯篭・築山などを配した和洋併置式の庭園として改修されました。

戦後の接収や関東大震災時に、本邸も含めて地元の住民に開放され、1万人ぐらいが避難し仮住居になった関係で、かなり縮小しましたが、見所は充分です。(境界線が有耶無耶になったり、他の被災者に提供したりしたそうです)





では最後に和館の近くに咲いていた冬ボタンの写真です。
長くなってしまいましたが、最後まで見て頂きありがとうございました。



東京地下鉄千代田線 湯島 徒歩3分
東京地下鉄銀座線 上野広小路 徒歩10分
都営地下鉄大江戸線 上野御徒町 徒歩10分

2010.1.24

京都・二条城

2010年01月12日 | 日本の城
世界遺産 京都・二条城

友人が京都に行くという話聞いたため、自分も京都に行きたくて行きたくて............
前に訪れて丸二年経つのですが、我慢するか、後先考えず行くか、悩み中です.........


自分のことはさておき、冬の京都二条城です。


現在の二条城は、1939年(昭和14年)に 宮内省より下賜されたため、現在は「元離宮二条城」という名称になっています。

世界遺産にもなっている現存する二条城は、江戸時代、徳川家康が京に滞在中の宿所として造った城です。
しかし、日本の歴史書に「二条城」と呼ばれるものは複数あります。まずは

ひとつ、室町幕府第13代将軍・足利義輝の居城。
ふたつ、室町幕府第15代将軍・足利義昭の居城として、織田信長によって作られた城。二条通にはなかった。
みっつ、織田信長が京に滞在中の宿所として整備し、後に皇太子に献上した邸「二条新御所」
よっつ、これが現在の二条城です。

ちなみに豊臣家の二条城は、現代の二条城の東200メートルにあったとされ、
「二条第」「妙顕寺(みょうけんじ)城」と言われています。

二条城で一番有名なのは
江戸時代末期の慶応3年10月14日(1867年11月9日)
第15代将軍徳川慶喜が現存する二の丸御殿大広間において大政奉還を発表したことです。

この大政奉還は、江戸幕府の終焉だけでなく、鎌倉時代から続いた武士の政権を、武家から朝廷へ返還することを意味し、今大河ドラマで放送されている「坂本龍馬」や、篤姫で登場した「小松帯刀」も関わったされています。
詳しくはここを読んで下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/大政奉還


東大手門と番所(ほとんどの人はここから入ります)



唐門(屋根に独特の唐破風がある門のこと、お寺にもあります、中国とは関係ありませんよ)



大政奉還の発表された二の丸御殿(もちろん国宝です)



天守台から、本丸御殿を望む(現在の本丸御殿は、京都御苑今出川御門内にあった旧桂宮邸の御殿を、明治26年から27年にかけて本丸内に移築したものです)






築地塀



東南隅櫓(江戸時代初期に造られた現存する隅櫓)




今年の冬の特別公開で新撰組ゆかりの壬生寺 本堂と会津藩ゆかりの金戒光明寺が入っています。
これは凄く見たいんです...京都行きたいです。


2010.1.12

2010年 三社参り

2010年01月04日 | 季節の一枚
あけましておめでとうございます

今年ものんびりとよろしくお願いします

今年も地元で三社参りをしました。
ふとそんな話を仕事始まりの今日、周りに話したら、誰も知りませんでした.....

小さい頃か当たり前のようにやっていたので、かなり驚きました。

三社参りとは、
お正月に3つの社寺を回って初詣することです。
調べてみたら、どうも九州や山口、広島、一部の近畿地方の風習だったみたいです。
驚きです...。

三社参りの風習のない人からすると、初詣で複数の神社に参るというのは少し変わったことで、
「ありがたみが減るのではないか」「あまりよくないのではないか」という意見もちらほらあるようですが
そんなことは想像した事もありませんでした....(笑)

元旦に三社参るとか三が日の間に参るとか色々あるそうですが、これといった絶対的な決まりもないそうです。


とするとかなり曖昧ですね(笑)


僕の父は毎年行く寺社が決まっていますが、僕は二つは決まっていて最後の一つは流動的です。


今年訪れたのは
毎年元旦の朝一でお参りする
太宰府天満宮


ここは学問の神様、「菅原道真公」をお祀りする神社です。
全国から毎年受験生が多数やってきます。梅が有名です。



二つ目は父方の実家、長崎県佐世保市にある
亀山八幡宮

市内唯一の別表神社(べっぴょうじんじゃ)で、
天武天皇白鳳4年に神託により宇佐神宮から分霊を迎えたのが始まりという由緒ある神社です。




三つ目は久々に久留米の成田山にいってみました。
大本山 成田山 久留米分院


成田山といえば、千葉にある成田山新勝寺が有名です。
ここはその分院。

歴史はまだ浅く、昭和33年、久留米市長を始め信徒各位の協賛により御本尊の御分霊を勧請し、
久留米分院が開山したそうです。

日本最大級・救世慈母大観音様(高さ62m)や日本唯一、インド村・平和大仏塔極楽殿(高さ38m)
がそびえ立ち九州における成田山信仰の大霊場になってます。

ちなみに大観音様は上まで登れます。いろんな意味でちょっと怖いのですが......。



おみくじは三回引くんですか?という人もいますが、僕は太宰府天満宮で引きます、
小さい頃は、行く所行く所で引いて、一番いいやつにしてましたが、最近は悪あがきはやめました。

絶対「大吉」を引く自信があったのですが、今年は「末吉」
調子に乗るなという戒めでしょう。謙虚に行こうと思います(笑)


では、みなさんにとって2010年が飛躍の年になりますように、
今年もよろしくお願いします