春夏秋冬 ~止まった時と流れる時~

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会津若松城 ~城内~ 

2010年03月15日 | 日本の城
会津若松城(鶴ヶ城)内の紹介です。


東北地方最大の規模で、本丸を中心に東に二の丸、三の丸と階段式に構えた梯郭式(ていかく)。
本丸の南は湯川が流れ、西と北に出丸を配し、城下町一帯(約6km)を堀や石垣、土塁で囲い込んだ大城郭です。

参考までにの地図です。


ではこの地図に載っていない場所から紹介します。
会津若松駅のひとつ手前、七日町駅で降りると、すぐに阿弥陀寺があります。
新撰組の斎藤一のお墓があるこのお寺に、若松城で唯一現存する建物が移築されています

御三階

元々、本丸内にあった建物で、外観は3階ですが、内部は4層。
2階と3階の間に天井の低い部屋があり、密談などに使われていたと思われます。
玄関部分は、本丸御殿の内玄関を取り付けたものと言われています。(葵の紋の部分)

甲賀町口門跡


郭外から郭内に入る門の石垣で、ここを界に、内側を侍屋敷、外側を町民の住居としていました。

当時、郭内と郭外の間には外濠と土塁があり、
城下にはこのような門が16箇所ありましたが、残っているのはここだけです。
城内の大手口にあたり、どの門より厳重であったそうです。

重要な門だけに、会津戦争でも激戦地なっています。

また外郭土塁で現存する天寧寺町土塁が、ちょっと遠いですが市内にあります。
バスで一瞬通っただけなので、写真が撮れませんでした。



甲賀町口門からまっすぐ甲賀町通りを進むと、天守閣が見えてきます。


ここの路上で、会津戦争の降伏式が行われました。


またお城に近づくに連れ重臣たちの屋敷が増え
右手に家老・内藤邸


左手に会津戦争の際
女子・子供ら21人が味方の足手まといになるまいと集団自決した
西郷邸跡があります。



さらに直進すると、北出丸の追手前西濠に当たります。(手前は東北隅櫓跡)


左に濠沿いに歩くと、北出丸追手門跡(大手門)があります。

内枡形です。



北出丸から本丸へ渡る椿坂そして太鼓門跡

椿坂は土橋になってるみたいです。

ここも巨大な枡形構造で
枡形の裏側には櫓台に繋がる武者走りがあります。


蒲生時代の表門、本丸埋門跡を通り




奥に見えるのは千利休に縁のある茶室・麟閣(福島県指定重要文化財)移築復元


天守閣の下にあるある石門


天守と同時に復元された鉄門


平成13年(2001年)復元の本丸内の干飯櫓(ほしいやぐら)と南走長屋


そして
2015年度までに若松城の瓦を黒瓦から本来の赤瓦に戻す計画が検討されており、また、御三階も併せて復元される予定。
(どうも御三階は移築復元ではないらしい、残念)


雪でわかりずらいですが、復元された干飯櫓(ほしいやぐら)と南走長屋はすでに寒さに強いと言われる赤瓦です。
天守と鉄門までが今回新しくなります。
全部の建物が復元されるのではありませんが、少しでも往時の姿に近づくのはとても楽しみです。

完成したらまた行こうと思います。


2010.2.13