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「野いちご」 映画評 

2017-01-08 | 欧州映画

 

野いちご 【DVD】
マックス・フォン・シドーほか
キングレコード

皆が高く評価しているように傑作だった。難解ではない。この作品で展開される夢と現実の交差を観ていると、僕らが時々行っている追憶という作業には大変な意義が潜んでいるのだと、改めて認識してしまった。

「野いちご 映画」の画像検索結果

人の見る夢は悪夢があったり奇想天外な物語もある。人がその夢から覚めると、例え、悪い夢であっても、心の内に何かしら覚醒させるものを備えているようだ。確かに人は悪い夢ほど良く覚えているものだ。そして、その悪い夢こそ人の行動を変えるパワーを秘めている可能性があるようだ。

ただし、悪夢を見た後の行動はその人次第ということになる。それを何かの暗示とみるか、不安の証として再認識するのか、全く無視するのか、震えて頭を抱え込んでしまうのか、、、夢の解釈は人それぞれだろう。その後、覚醒するのか、閉じたままでいるかは、その人次第ということになる。これは人の気質の問題だろうか?

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この老人の行方を観ていると、人は歳をとるとともに益々追憶を重ねていく生き物のように思えてくる。追憶は、後悔・懺悔・喜び・悲しみ・怒り・幸福など様々の感情を伴い、今という瞬間に再生されていくものだ。しかし、老人の定義とは、単に肉体の劣化や実年齢だけではないような気がした。現実よりも追憶の世界に多く生きている人間が老人の証かもしれない。

更に考えていたことがある。元来、人間に備わっている夢を見るという機能、そして記憶を再生できるという機能の二つが、人に追憶という行為を与えているのだ。追憶とは、これまでに「見てきた夢」と「現実に体験したことの記憶」、この二つの堆積物から再生されるものであるかもしれない。

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その追憶のプロセスで、段々と「本当のこと」と「思い込み」が、時には、交差することがある。そして新たな分別の作業がなされているようだ、、、、この映画のように。

分別の作業の様子は、例えば、この映画で描かれているような厭世(えんせい)的な老人においても顕著に表れてくるものである。老人は己の人間性の本質を隠すことは可能であると行動していた。或いは、そんなことを考えていなかったかもしれない。しかし、人によって人物判断というものは異なっていて、自分の正体を見破られていたことを知らなかったのである。そのことを老人は悟るわけだ。

自分を客観視できるようになる。すると、彼から、これまでの後悔と懺悔の念が薄れていき、現実の生活がほんわかと輝いていくようになる。そうさせたのは、彼の追憶から到来する彼の解釈の変化のように思えてくるのである。観る者にそのように解釈させていくのである。僕はそのように観た。

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彼が見た多くの夢が追憶とも重なり、彼のこれからの現実の生活に光をあたえていくことになる。これからの彼の人生は悪い人生ではないだろう、、と予測されるのである。鑑賞後、何とも言えない幸せな気分になったのは、その一連の流れをゆったりと鑑賞させてくれる美しい映像の流れにある。

この作品、何度も観るべき名作であり、極めて質の高い映画だと思う。高く評価したい。

評価:☆☆☆☆☆


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