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「失われた時を求めて」読書メモ(4) ~異次元の世界への入り口

2017-07-11 | フランス文学

今回まで「失われた時を求めて」第一巻についてのメモ。

失われた時を求めて(1)――スワン家のほうへI (岩波文庫)
吉川 一義
岩波書店

第一巻を読了したのが7月4日。あれから1週間、再度、第一巻を読んでいた。これまでも他の作家の小説で100ページくらいまで読了して、ストーリー(内容)が見えなくなり、再読するケースは多々あった。例えば、ウエルベックの作品などは殆ど該当する。

ところが、この「失われた時を求めて」を、今回は、あっさり読了できたのに、もう一度読んでみたいと感じたのだ。あまりにも不思議な感覚に僕は襲われてしまった。快楽が生まれたのだ。

だから、その感覚をもう一度味わいたいがために、最初から読み始めていた。これまでの僕の再読スタイルとは全く違う。僕は過去3回も挫折していたのに、考えもしなかったことだ。

そして、再読していると、気がついたことが山のようにあった。それら全てを書いてしまうと、この読書メモが中々進まないので、適度に集約させながら書いていこうと考えている。


その集約を一言で言えば、そもそも「失われた時を求めて」は小説だろうか?という疑義である。いい意味での疑念だ。ここに書かれている世界は何だろうか? 不思議な空間が存在している。僕はやっと気が付いた。本を開けば、いつでもその世界へ潜入できる。

「プルースト 美意識」の画像検索結果


プルーストは色彩豊かな表現をストレートに頻繁に使っている。花(の名前)が頻繁に登場する。匂い香りが漂うような文章が多い。自然のもの、食べ物に、そのイメージ描写に色と香りをつけているのである。

例えば、ここに書いてある多くの花に関する知識がある読者は、そのイメージが拡散し、匂いまでが付加されていき、まるで、映像の世界に突入していく己の精神の気配を覚えてしまうのではないだろうか?そのような知識を持たない僕においても、こんなことを書いているのだから、それなりに幻惑されているわけだ。

ところが、驚くことに、それが幻想的にならないのは、プルーストの描く世界が、時を経ても僕ら人間の半径数メートルの生活(と人間関係)を描いているからだ。 誰もが手が届く(=イメージできる)日常の光景を描いているからだと思う。

確かに、プルーストの時代のフランスと現代日本の日常風景は大いなる差異はある。しかし、人間生活の本質には大きな差異はない。家庭菜園、田舎の自然の様子には共通項が多いということだ。洋の東西、時代背景に差異はない。

「プルースト ゲルマント」の画像検索結果

プルーストが凄いのは、そこ(生活風景)に彼の精神性を注ぎ込んでいるからだ。そして、時間軸を弄り、過去の幼年期の出来事を大人になってから回想していくのである。子供の目線を大人の視座で解釈しながら、子供の感覚の鮮度を全く失わせていない。だから、「失われた時を求めて」とは、そういう意味だと思うのだが、、どうだろうか?

半径数メートルの日常の人間関係の軸は、レオニ叔母のようだが、どうも(僕の感覚では)、お手伝いのフランソワーズが軸のように感じる。そして、彼女たちの言動がとにかく面白い。それについては前回書いた。

「プルースト ゲルマント」の画像検索結果

更に、終盤近くで、己の性欲の発芽について書き、そして、レズビアンの少女を登場させるのである。ここまで読めば、もう次が読みたくなる。これは何だ?どうなるのだろう?

更に更に、妖艶なゲルマント公爵夫人への憧憬について、プルーストは少しづつ書いていくのである。


以前3回も挫折した自分を、今の僕は全く信じられないでいる。あの日に感じていた退屈の先には、このような異次元の世界が口を大きく開けて待っていたのだ。


続く 

 


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