昨日、10時頃、原宿へ行った。
駅も周辺も綺麗になっていた。
打ち合わせが想像以上に長くなり、13時頃までかかった。
ランチをどこかで摂ろうと、竹下通りへ向かう。
しかし、竹下通りも学生の時に感じた感覚は薄れ、ただただ、違和感。
何だか、息ができなかった。
若者の街だが、渋谷みたいに多くの世代に開放されつつ閉塞した洗練さがない。
若者の街だが、若さのエネルギーを覚えない。幼い感じが漂う。
それだけ僕が歳をとったという証拠だ。
外国人の姿もチラホラ
従業員、というか通行人に声掛けする黒人の集団、、、ああ、、、、。
スーツ姿の自分に違和感を覚える。
新装開店のための工事がチラホラ、、。
通行人にスーツ姿は見えない。
スタバで珈琲を飲もうとしたが、外まで大行列。
ショウガナイから、ロッテリアへ。
アイスコーヒーを頼んだ。
不味いだろう!と覚悟して飲んだが、案外、美味い。
僕の喉が渇いていたのか、本当に味が良くなったのか、、、その正体は不明。
それにも違和感を覚えた。
秋晴れで気持ちは良く、カラダには快適だったが
正体不明の違和感に、
その後も、僕の心は憑りつかれていた。
その土地の空気感は、
そこに居る人間を静かに支配していくのかもしれない。
そして、その空気感を醸成しているのは、
そこで生きている人間、働いている人間の息なのだろうか。
もしかして、吐き出す息にも何らかの精神が宿っている可能性がある、、、
と、妙に哲学してしまった、秋の日の原宿だった。
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