起きて半畳 寝て一畳

株式投資の記録を中心に、日々感じた事や考えたこと、読んだ本のことなどなど

憲法前文の文章比較②

2006年09月28日 23時56分43秒 | エトセトラ
 昨日の続きになります。
 きょうは、昨日紹介した中曽根試案をもとにして作られた【第一次草案】と、それを舛添要一参院議員がバッサリと全文削除して、全く新しくつくった【新憲法草案】を並べて比較してみます。

が【第一次草案】、が【新憲法草案】です。それでは最初の文章から順番にみていきましょう。は私の意見です。


 日本国民はアジアの東、太平洋と日本海の波洗う美しい島々に、天皇を国民統合の象徴として戴き、和を尊び、多様な思想や生活信条をおおらかに認め合いつつ、独自の伝統と文化を作り伝え多くの試練を乗り越えて発展してきた。
 日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する。
 第一次草案は、ちょっと気取って書いた散文調の文章で始まり、それが「和を尊び」のところから万葉調の素朴でおおらかな調子の文章になっています。味のある文章だとおもいます。
 新憲法草案は、先ず最初に「主権者として、ここに新しい憲法を制定する」という宣言文がきています。第一次草案では⑦の一番最後にある部分が一番最初にあると言うところが両者の特徴をよくあらわしていると思います。
 三島由紀夫さんの「文章読本」(中公文庫)の言葉を借りれば、第一次草案は「女性的理念、感情と情念の理念」で憲法前文を書こうとしているのに対し、新憲法草案は「男性的特質、論理及び理知」で前文を書こうとしているようにも考えられます。


 日本国は国民が主権を持つ民主主義国家であり、国政は国民の信任に基づき国民の代表が担当し、その成果は国民が受ける。
 象徴天皇制は、これを維持する。また、国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権の尊重及び平和主義と国際協調主義の基本原則は、不変の価値として継承する。
 「天皇」というむき出しの言葉ではなく、「象徴天皇制」というオブラートに包んだ言葉を持ってきているところに新憲法草案の文章の巧さを感じます。


 日本国は自由、民主、人権、平和、国際協調を国の基本として堅持し、国を愛する国民の努力によって国の独立を守る。
 日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し、自由かつ公正で活力ある社会の発展と国民福祉の充実を図り、教育の振興と文化の創造及び地方自治の発展を重視する。


 日本国民は正義と秩序による国際平和を誠実に願い、他国と共にその実現の為協力し合う。
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に願い、他国とともにその実現のため、協力し合う。


 国際社会に於いて圧制や人権の不法な侵害を絶滅させる為の不断の努力を行う。
 国際社会において、価値観の多様性を認めつつ、圧政や人権侵害を根絶させるため、不断の努力を行う。


 日本国民は自由と共に公正で活力ある社会の発展と国民福祉の充実をはかり教育の振興と文化の創造と地方自治の発展を重視する。自然との共生を信条に美しく豊かな地球環境を護るため力を尽くす。
 日本国民は、自然との共生を信条に、自国のみならずかけがえのない地球の環境を守るため、力を尽くす。


 日本国民は大日本帝国憲法及び日本国憲法の果たした歴史的意味を深く認識し現在の国民とその子孫が世界の諸国民と共に更に正義と平和と繁栄の時代を内外に創ることを願い、日本国の根本規範として自ら日本国民の名に於いて、この憲法を制定する。
 (無し)



 【第一次草案】に対しては、「美文調」「復古調」という評があり、【新憲法草案】に対しては、「味もそっけも無い」「事務的な文章」という評が一般的のようです。

 私は第一次草案よりは新憲法草案の方が好きです。何と言っても「明晰さ」において新憲法草案は圧倒的に勝っています。「味もそっけも無い」「事務的な文章」という言葉を悪口の意味で使っているとすれば、それは間違っていると思います。

 私は新憲法草案の文章は決して不味い文章などではなく、むしろ品格のあるいい文章だと思います。
 たとえてみれば、「非常におしゃれな人が、非常に贅沢な着物をいかにも無造作に着こなして、そのおしゃれを人に見せない、しかもよく見るとその無造作な普段着のように着こなされたものが、たいへん上等な結城であったり、久留米絣であったりというような文章」(三島由紀夫「文章読本」)だと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月28日

2006年09月28日 16時16分40秒 | エトセトラ
【9月28日の市場概況】日経平均終値:16,024円(+76円
 日経平均株価は続伸。8日以来ほぼ3週間ぶりに1万6000円台を回復した。
 日本株の出遅れ感や安倍新内閣への期待感から海外投資家の買いが入るとの見方が広がり、株価指数先物が主導して買いが先行。現物株にも裁定取引に絡んだ買いが入った。

【株式投資の記録:9月28日】
 取引しませんでした。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

憲法前文の文章比較①

2006年09月28日 00時41分21秒 | エトセトラ
 25日に「TVタックル」という番組をみていましたら、自民党が進めている「憲法改正」が取り上げられていました。その中で、中曽根元首相が草案した美文調の「憲法前文」が自民党案をまとめる段階でバッサリと削られ、味も素っ気も無い文章に差し替えられたという話がでていました。

 憲法前文の文章がどんな風に変わっていったのか、興味が湧いてきましたので調べてみました。
 尚、興味の対象は、あくまで「文章及び文体の品格」であって、内容の優劣ではありませんので念のため。

 調べてみると、先ず最初にくるのが中曽根元首相が主宰する世界平和研究所が発表した【中曽根試案】ともいえる「憲法改正試案」です。
 その次に来るのが、中曽根試案をたたき台として生まれた【第一次草案】です。そして最後に来るのが自民党案としてまとめられた【新憲法草案】です。

 「TVタックル」によると、復古調の色彩が強い第一次草案では、憲法改正に必要な三分の二の賛成が得られないので、舛添要一参院議員がバッサリと削り、差し替えたということでした。

 そこで、きょうは【中曽根試案】とそれをもとに作られた【第一次草案】を並べて比較してみたいと思います。

が【中曽根試案】、が【第一次草案】です。それでは最初の文章から順番にみていきましょう。は私の意見です。


 我ら日本国民は、アジアの東、太平洋の波洗う美しい北東アジアの島々に歴代相承け、天皇を国民統合の象徴として戴き、独自の文化と固有の民族生活を形成し発展してきた。
 日本国民はアジアの東、太平洋と日本海の波洗う美しい島々に、天皇を国民統合の象徴として戴き、和を尊び、多様な思想や生活信条をおおらかに認め合いつつ、独自の伝統と文化を作り伝え多くの試練を乗り越えて発展してきた。
 美文調といわれる所以がここの文章だと思います。また、前文が始まって直ぐに「天皇」という言葉が出てきますが、これは一部の人に警戒心を呼びさますというわりと大きな(逆)効果があるように思います。


 我らは今や、長い歴史の上に、新しい国家の体制を整え、自主独立を維持し、人類共生の理想を実現する。我が日本国は、国民が主権を有する民主主義国家であり、国政は国民の信頼に基づき国民の代表者が担当し、その成果は国民が享受する。
 日本国は国民が主権を持つ民主主義国家であり、国政は国民の信任に基づき国民の代表が担当し、その成果は国民が受ける。


 我らは自由・民主・人権・平和の尊重を基本に、国の体制を堅持する。
 日本国は自由、民主、人権、平和、国際協調を国の基本として堅持し、国を愛する国民の努力によって国の独立を守る。


 我らは国際社会において、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、その実現に貢献する。
 日本国民は正義と秩序による国際平和を誠実に願い、他国と共にその実現の為協力し合う。


 我らは自由かつ公正で活力ある日本社会の発展と国民福祉の増進に努め、教育を重視するとともに、自然との共生を図り、地球環境の保全に力を尽くす。
 国際社会に於いて圧制や人権の不法な侵害を絶滅させる為の不断の努力を行う。


 また世界に調和と連帯をもたらす文化の重要性を認識し、自国の文化とともに世界文化の創成に積極的に寄与する。
 日本国民は自由と共に公正で活力ある社会の発展と国民福祉の充実をはかり教育の振興と文化の創造と地方自治の発展を重視する。自然との共生を信条に美しく豊かな地球環境を護るため力を尽くす。


 我ら日本国民は、大日本帝国憲法及び日本国憲法の果たした歴史的意義を想起しつつ、ここに新時代の日本国の根本規範として、我ら国民の名において、この憲法を制定する。
 日本国民は大日本帝国憲法及び日本国憲法の果たした歴史的意味を深く認識し現在の国民とその子孫が世界の諸国民と共に更に正義と平和と繁栄の時代を内外に創ることを願い、日本国の根本規範として自ら日本国民の名に於いて、この憲法を制定する。
 若い人だと、なぜここに「大日本帝国憲法」が出てくるのか「意味わかんねえよ!」という人が多いのではないかと思います。
 私の場合は、「中曽根さん、あなたの気持ちは分るけど、いくらなんでもそれはちょっと古すぎる。そんなものは要らないよ。」というものです。

 声を出して読み比べてみれば直ぐに分ることですが、文章の品格としては最初の【中曽根試案】の方が優れていると思います。内容の網羅という点ではその後に出来た【第一次草案】の方がもちろん勝っていますが、その分文章としてはゴツゴツしたところが出来てしまっています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする