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起きて半畳 寝て一畳

株式投資の記録を中心に、日々感じた事や考えたこと、読んだ本のことなどなど

陳舜臣「唐詩新選」牡丹⑩:李益の牡丹

2006年01月25日 16時57分37秒 | 本・陳舜臣
 きのうの続きです。陳舜臣「唐詩新選」牡丹(中公文庫)
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(71ページ)
  牡丹妖豔亂人心  牡丹の妖艶人心を乱し
  一國如狂不惜金  一国狂うが如く金を惜しまず
  曷若東園桃與李  曷(なん)ぞ若(し)かん東園の桃と李の
  果成無語自成陰  果成り語無くして自ら陰(かげ)を成すに

 これは王叡(おうえい)と王轂(おうこく)の両集にみえるさまよえる詩だが、誰もが牡丹に狂ったのではない。科挙の受験生は、見事な紫の牡丹咲く家に帰りもせずに、よその人に花見をさせている。彼には別の「花」があるのだ。つぎは李益の「牡丹」である。

  紫蕊叢開未到家  紫蕊(しずい)叢(むらが)り開くも未だ家に到(いた)らず
  却游客賞繁華  却(かえ)って游客をして繁華を賞せしむ
  始知年少求名處  始めて知る年少求名の処
  滿眼空中別有花  滿眼 空中 別に花有るを

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 「牡丹」完
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陳舜臣「唐詩新選」牡丹⑨:白牡丹

2006年01月24日 19時57分08秒 | 本・陳舜臣
 きのうの続きです。陳舜臣「唐詩新選」牡丹(中公文庫)
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(71ページ)

 牡丹の花でも、紅、紫など深色がよろこばれたようである。だが、白牡丹をかえりみる人がすくないことを慨嘆した詩ものこっている。「白牡丹」と題する「さまよえる詩」である。『全唐詩』のなかで、この詩は開元期の裴士淹(はいしえん)、大暦十才子の一人であるろ廬綸(ろりん)、晩唐に近い裴潾(はいりん)の三人のところに収められ、誰の作品なのか特定できない。

  長安豪貴惜春殘  長安の豪貴春残を惜しみ
  爭賞街西紫牡丹  争いて賞す街西の紫牡丹
  別有玉盤承露冷  別に玉盤の露を承(う)けて冷やかなる有り
  無人起就月中看  人の起(た)って月中に就いて看る無し

 「豪貴」が「年少」(若者)となったり、「街西」が「慈恩」になっていたりするが、ほぼ同じ詩が前後百年をへだてる三人の集中に収録されているのは、白牡丹ファンが案外多かったからかもしれない。
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 続く
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陳舜臣「唐詩新選」牡丹⑧:白居易「西明寺牡丹花時、元九を憶う」

2006年01月23日 17時39分21秒 | 本・陳舜臣
きのうの続きです。陳舜臣「唐詩新選」牡丹(中公文庫)
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(70ページ)
 一般の人が行くことのできた花どころは、境内の広い寺院がおもで、前記の慈恩寺のほか、空海など日本の留学僧が宿舎とした西明寺が名高い。西明寺の牡丹は多くの詩人が詠み、白居易も貞元二十年(804、空海の入唐の年)に、「西明寺牡丹花時、元九を憶(おも)う」と題する五律を作っている。元九とは白居易の親友元稹(げんしん)のことである。

  前年題名處  前年 名を題する処
  今日看花來  今日 花を看に来たる
  一作芸香吏  一たび芸香(うんこう)の吏と作(な)り
  三見牡丹開  三たび牡丹の開くを見る
  豈獨花堪惜  豈(あ)に独り花の惜しむに堪うるのみならんや
  方知老暗催  方(まさ)に知る老いの暗(ひそ)かに催(もよおす)すを
  何況尋花伴  何ぞ況(いわ)んや花を尋ねし伴(とも)
  東都去未廻  東都に去りて未(いま)だ廻(かえ)らざるをや
  詎知紅芳側  詎(なん)ぞ知らん紅芳の側(かたわら)
  春盡思悠哉  春尽きて思い悠なる哉(かな)

 前年、白居易は友人元稹と西明寺に遊び、そこで名をしるした。「芸(うん)」(藝の略字ではない)は香草で、これを書巻に挿(はさ)みこむと、紙魚(しみ)がつかないといわれる。そんなことから、宮室図書館である秘書省のことを「芸省」あるいは「芸台」と呼ぶ。

 このころ白居易は秘書省著作局の校書郎であった。芸香の吏とはそれを指す。この年、元稹は東都(洛陽)へ行き、牡丹の花どきにはまだ戻っていなかったようだ。

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 続く 
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陳舜臣「唐詩新選」牡丹⑦:白居易「惜牡丹花」

2006年01月22日 14時45分55秒 | 本・陳舜臣
きのうの続きです。陳舜臣「唐詩新選」牡丹(中公文庫)
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(69ページ)
 白居易の風刺は、一本の牡丹数万銭というばかげた値段にたいしてであり、牡丹の美しさをたのしむことにはむけられない。彼には散りゆく牡丹を惜しむ詩がある。「惜牡丹花」と題する七言絶句が二首あり、一首は翰林院(かんりんいん)北庁花下作であり、他の一首は新昌竇(とう)給事宅南亭花下作である。前者をつぎにかかげる。

  惆悵階前紅牡丹  惆悵(ちゅうちょう)す階前の紅牡丹
  晩來唯有兩枝殘  晩来唯(た)だ両枝のみ残る有り
  明朝風起應吹盡  明朝風起らば応(まさ)に吹き尽くすべし
  夜惜衰紅把火看  夜、衰紅を惜しみ火を把(と)りて看(み)る

 古詩の「昼は短く夜の長きに苦しむ。何ぞ燭(しょく)を秉(と)りて遊ばざる」が意識されているのはいうまでもない。翰林院は興慶宮の金明門内にあり、ふつうの人は入ることができない場所である。白居易が翰林院学士を授けられたのは、元和二年(807)のことで、「長恨歌」を作った翌年であった。右の詩はおそらく宿直の夜に作られたのであろう。

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 続く
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陳舜臣「唐詩新選」牡丹⑥:白居易「買花」

2006年01月21日 21時46分42秒 | 本・陳舜臣
きのうの続きです。陳舜臣「唐詩新選」牡丹(中公文庫)
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(67ページ)
 白居易には別に「買花」と題する五言古詩があり、当時の牡丹狂いを風刺している。

  帝城春欲暮  帝城 春暮れんと欲し
  喧喧車馬度  喧喧(けんけん)として車馬度(わた)る
  共道牡丹時  共に道(い)う牡丹の時
  相随買花去  相随(したが)って花を買いに去(ゆ)くと 
  貴賎常価無  貴賎(きせん)常価無く
  酬直看花數  酬直(しゅうち・支払い)花の数を看る
  灼灼百朶紅  灼灼(しゃくしゃく)たる百朶(だ)の紅
  戔戔五束素  戔戔(せんせん・すくないさま)五束(ごそく)の素(そ)
  上張幄幕庇  上は幄幕(あくばく)を張りて庇(おお)い
  旁織笆籬護  旁(かたわら)は笆籬(はり・竹の囲)を織りて護る
  水洒復泥封  水洒(そそ)ぎ復(ま)た泥封(でいふう)し
  移來色如故  移し来たりて色故(もと)の如(ごと)し
  家家習爲俗  家家(かか)習いて俗を為(な)し
  人人迷不悟  人人迷いて悟らず
  有一田舎翁  一田舎翁有り
  偶來買花處  偶(たまたま)花を買う処(ところ)に来たり
  低頭獨長歎  頭を低(た)れて独り長歎(ちょうたん)す
  此歎無人諭  此の歎(なげ)き人の諭(さと)る無し
  一叢深色花  一叢(ひとむら)の深色の花
  十戸中人賦  十戸の中人の賦(ふ)

 春も終わろうとするころが牡丹の季節である。三月十五日を中心とする二十日が花どきだが。慈恩寺太真院の牡丹のように、ほかの牡丹におくれること半月にして開くというのもあった。
 人びとは車をつらねて花を買いに行く。値段はまちまちで、百朶の紅(あか)い花もあれば、一枝に五つの白い花もある。田舎から出てきたじいさんが、花を買うところに、たまたまやって来て、仰天し、ながいため息をついた。なんと一叢の深い色の牡丹の値段が、中流の人の十戸分の税金に相当する。

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 続く 
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陳舜臣「唐詩新選」牡丹⑤:白居易「牡丹芳」

2006年01月19日 22時37分39秒 | 本・陳舜臣
きのうの続きです。陳舜臣「唐詩新選」牡丹(中公文庫)
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(66ページ)
 韓弘と同時代人であった白居易は、いちどならずこの「牡丹狂い」を、作品の中で批判している。まず楽府(がふ)の「牡丹芳」は、天子が農を憂うるを美(ほ)めるというテーマで、牡丹の美しさより大切なものがあると警告した。

  花開花落二十日  花開き花落つ二十日
  一城之人皆若狂  一城の人狂えるが若(ごと)し

 と、当時の世相をよみ、華を重んじ、実を重んじないことをなげく。牡丹狂いは華を重んじる気風が、とうぜん行き着くところであるとする。この楽府はつぎの句で結ばれている。

  我願暫求造化力
  滅却牡丹妖豔色
  少廻卿士愛花心
  同似吾君愛稼穡

  我は願う暫(しば)らく造化の力を求め
  牡丹は妖豔(ようえん)の色を滅却し
  少しく卿士(けいし)の愛花心を廻(めぐ)らして
  同(とも)に吾が君の稼穡(かしょく)を愛するに似せしめんことを

 卿士(大臣)たちが牡丹にうつつを抜かすのは、その花のすがたが、あまりにも奇絶であるからなのだ。こうなれば、もう造化(自然)の力にすがり、牡丹の魅力をすこし減らしてもらうほかなさそうだ。
 そうなれば大臣たちも、花を愛する心を、農事にふりむけることができ、わが君の農事を愛する心に近づくことができるのではあるまいか。 

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 続く 
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陳舜臣「唐詩新選」牡丹③:芍薬

2006年01月17日 21時20分18秒 | 本・陳舜臣
【ライブドア・ニュース 01月16日】からの転載です。
 東京都中央区の浜離宮恩賜庭園で、冬ボタンが大輪の花を咲かせている。30鉢あまりが風よけのよしずに囲まれて展示され、紅や白など鮮やかな花が見ごろだ。ボタンは通常4-5月に咲く花だが、冬ボタンは特別な温度管理をして真冬に咲くようにしてある。

 また、ロウバイの黄色い花も今が見ごろ。スイセンは寒さのために平年よりも開花が遅れ、現在は4分咲き程度になっている。同庭園事務所によると、スイセンも順調にいけば今月末には満開になるという。

 冬ボタンとロウバイは今月いっぱい、スイセンは4月ごろまで楽しめるという。【了】


きのうの続きです。陳舜臣「唐詩新選」牡丹(中公文庫)
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(64ページ)
 『詩経』の芍薬は「鄭風(ていふう)」にあらわれる。(kobe77注:鄭は当て字、"奠+阝"が正です)鄭と衛とは、風俗がみだらであるとみられ、「鄭衛の声は、亡国の音なり」といわれたほどである。鄭風の「湊洧(しんい)」と呼ばれる詩は、湊川と洧川のことにほかならない。

  洧之外
  洵訐且樂
  維士與女
  伊其相謔
  贈之以勺樂

  洧の外は
  洵(まこと)に訐(おお)いに且つ楽し
  維(か)くて士(おのこ)と女と
  伊(こ)れ其(そ)れ相い謔(たわむ)れ
  之(これ)に贈るに芍薬を以てす

 男女がたのしくたわむれ合ったあと、プレゼントするのが芍薬であったという。儒教体制下にあっては、これはみだらであり、いささか品格に欠けると考えられた。鄭玄(ていげん)(127-200)の注には、はっきりと性交を意味するとある。
 
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 続く
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陳舜臣「唐詩新選」牡丹②:劉禹錫の「牡丹を賞す」

2006年01月16日 22時06分26秒 | 本・陳舜臣
 「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」とは美人を形容する言葉ですが、芍薬と牡丹の違いがイメージできませんでしたので、その写真を載せてみました。左が芍薬で右が牡丹です。
 

 きのうの続きです。陳舜臣「唐詩新選」牡丹(中公文庫)
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(62ページ)
 美女も時代によって基準が異なるようである。前漢の趙飛燕(ちょう ひえん)はほっそりして、人の手のひらのうえで舞うことができたという。誇張があるかもしれないが、スリムな女性であったのはたしかだろう。戦国の楚の霊王は腰の細い女性を好み、宮女たちは腰を細くしようとして絶食したので、餓死者が出たというエピソードがある。

 ところが、唐代の美女は豊満でなければならなかったようだ。唐の美女の代表はなんといっても楊貴妃だが、彼女はライバルの梅妃に、「肥婢(ひひ)」(デブのはしため)と罵られている。グラマーであったのだ。唐三彩の女性をみても、たいてい妊娠しているのかとおもわせるほど、ぜんたいにふくよかである。それに、唐代の人たちは「美」をかんじた。

 同じ審美眼が花にむけられたとき、牡丹がクローズアップされるのはとうぜんであろう。また牡丹が、春のほかの花よりやや遅れて咲くのも、人びとに愛惜される一因であったようにおもう。

 梅は春のさきがけであり、牡丹はしんがりである。羅鄴(らぎょう)の「牡丹」と題する詩は、
  落盡春紅始見花  春紅落ち尽して始めて花を見る
 という句にはじまっている。春の花があらかた散り尽くしたあと、やっと、花のなかの花が登場するというのである。この登場ぶりはなかなかよろしい。
 劉禹錫(りゅう うしゃく)の「牡丹を賞す」という七言絶句はよく知られている。

庭前芍藥妖無格
池上芙蕖浄少情
唯有牡丹眞國色
花開時節動京城

庭前の芍薬妖(よう)なれど格無し
池上の芙蕖(ふきょ)浄(きよ)けれど情少なし
唯だ牡丹の真に国色有るのみ
花開く時節京城を動(ゆる)がす

 芙蕖は芙蓉(ふよう)と同じで、「蓮」のことである。芍薬や蓮にくらべて、牡丹がいかにすぐれているかをよんだ詩なのだ。

 芍薬はなまめかしいが、品格がないというのである。花そのものをくらべてみると、牡丹が「木芍薬」と呼ばれるように、私たちにはあまりちがいはないようにおもわれる。
 だが、芍薬は『詩経』の古から詩によまれているが、その最初の登場が、あまりかんばしくない形においてであった。
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 続く
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陳舜臣「唐詩新選」牡丹

2006年01月15日 13時06分21秒 | 本・陳舜臣
 陳舜臣さんの「唐詩新選」(中公文庫)をパラパラとめくっていたら、「牡丹」と題する章に目がとまり、そのまま章の最後まで読んでしまいました。
 その日本語の肌さわりのよさ、滑らかさは正に一級品と思います。早速その文章を書き写してみようと思ったのですが、漢詩のところで漢字変換にかなり手こずりそうな予感がしましたので、やや及び腰になっています。

とりあえずはその書き出しの部分だけをご紹介します。
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陳舜臣「唐詩新選」牡丹(中公文庫)61ページ

 いま日本で「花見」といえば桜をみることだが、「花は桜」と定着したのは、そんなに古いことではないという。「万葉集」では、梅をよんだ歌は百十八首あるのに、桜の歌は四十四首しかない。梅と桜が逆転したのは『古今和歌集』からである。花の代表は、時代によって変わるようだ。

 中国では辛亥革命の後、国花を定めることになり、梅派と牡丹派が大論争したといわれる。「花は梅」なのか「花は牡丹」なのかで、意見が分かれたのである。軍配は梅にあがった。華麗な牡丹もよいが、建国早々、難問が山積みしている時代では、寒さにめげず、春にさきがけて咲く梅をとるべきである、という判定であった。

 きびしい時代には、厳しさに雄々しく耐える花が好ましい。絢爛豪華な唐という時代は、おなじ意味で、牡丹がよく似合ったはずである。だが、「牡丹」という名称は以外に新しく、唐以前にはなかったといわれている。「芍薬(しゃくやく)」は古くからある名称で、紀元前五世紀ごろ、孔子によって編まれた『詩経』にすでにみえる。こちらのほうが、きわめて古いので、牡丹ははじめ自前の名がなく「木芍薬」と呼ばれたとする説がある。

 『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』のなかに、謝霊運(385-433)の文集に、永嘉(えいか)(彼が太守として赴任した浙江温州)の竹間に牡丹が多い、という句がみえるとある。謝霊運の『唐楽文集』は大部分が亡佚して、右の句がどこにあったのかわからない。

 段成式は隋の種植法をみたが牡丹はのせていないという。宋の李石の『続博物志』には、謝霊運のいう牡丹とは、永嘉という土地からみて、芍薬のことだろうと推測している。呉越(江蘇・浙江)には芍薬が多かった。とくに揚州は、「旧譜に載せるもの三十九種」といわれたほど芍薬の名所であった。

 北斉の画人楊子華が言及したとか、隋の宮苑に移植されたといった話が伝わっているが、いずれも六世紀で、唐に近い時代である。

 どうやら牡丹は唐以前は、きわめてかすんだ存在であったらしい。詩文の中で誰もとりあげてくれない。それが盛唐以降になると、にわかに「花のなかの花」になったのである。文人たちにかえりみられなかった牡丹が、「時代」に迎えられたのであろう
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 調べてみると、台湾では今も梅が国花になっていました。
 梅は「冬の寒さに耐える花であり、寒ければ寒いほど美しく咲くことから、強さと清らかさを持つ花を、国の象徴としたのである。また3つの蕾と5つの花弁を持っているため、三民主義(国父・孫文が唱えた思想)と五権憲法(中華民国は5権分立を採用している)を象徴している」そうです。

 共産中国(中華人民共和国)はどうなのかというと、一応は牡丹が国花のようですが、現在、改めて国花を制定する作業が行われている由です。牡丹、蓮、菊、梅、蘭が候補にあがっているそうです。
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ワークスアプリケーションズ Jストリーム

2005年12月19日 21時36分54秒 | 本・陳舜臣
【12月19日の市場概況】日経平均終値:15,391円(+218円
 日経平均株価は大幅高で4営業日ぶりに反発。大引けで一段高となり高値引け。前週末までの3日間で600円強下げたことから株価指数先物中心に買い戻しが入った。
 クリスマス休暇入りした外国人投資家は多いようで、売買高などの商いはやや盛り上がりを欠いた。
 
【株式投資の記録:12月19日】
 ①ワークスアプリケーションズ(10/18購入@115,000*15株、11/07購入@108,000*20株)
  @117,000-で35株とも売却しました。20万円ほどの儲けです。(神様に感謝!)
 ②Jストリーム
  @309,000-で5株購入しました。
 

 私は株価のチェックをパソコンでは楽天証券のマーケットスピードで見ていますが、帰宅後、株価をチェックしたら、金曜日に1,000株だけ買ったソランがストップ高の1,008円まで騰がっていたので少し驚きました。新興市場の銘柄にストップ高が目立つような気がします。
 シンプレクス・テクノロジーはきょうも上がっていました。未練を断ち切るために、さきほどシンプレクス・テクノロジーを株価ボードから削除しました。

【桃源郷】
 きょう、陳舜臣さんの「桃源郷」(集英社文庫)上・下二冊を買ってきました。この作品の書評とかは読んだ覚えは無くて、本屋で見て決めました。

 カバーの裏表紙に、『著者の中国歴史小説の金字塔的作品』、『東西の文化の摩擦、異教との衝突の中から新しい世界が生まれること予感させる。構想50年、著者の世界平和を希求して止まない心情をあまねく描いた傑作』とあります。

 この本を読むのは多分年が明けてからになります。今は辻邦生さんの「西行花伝」(新潮文庫)を極めてゆっくりとしたペースで読んでいるところです。
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