ことりのあしあと

ほんのわずかなじかん、立ち止まって耳をすませて自分を見つめたい。そんなあしあとをペタペタとのこしています。

『フィンランドの子育てと保育』から、育つことを待つ形、見守る形とは…

2012年02月18日 08時54分49秒 | 日記
フィンランドの子育てと保育を読む。

うっとりするような仕組みにため息。
及びのつかない、豊かな子どもの育つ環境に、ため息。
人としての底力を育むという点で、
圧倒的にかなわないなぁ、と思う。
特に心にとまった四つ。


ひとつめ
ネウボラは、
おなかに誕生してから、就学するまでをサポートしてくれる場所。
ひとりの子どもの情報は、
すべてネウボラに集まっていて、
行く病院、保育園のこと、受ける社会保障、アレルギーとか、障害とか、
それらに対応する機関への橋渡しをしてくれる。
橋渡しだけではなく、親の承諾を得てカルテや成長の記録を共有しているから、
日常の心配や、時折の不安をもってネウボラに行けば、
成長の様子を的確に把握してくれている前提で、
話ができるそうです。
文字通り、ともに子ども育ちを見守り支えてくれる存在として、
個々人ではなく、ネウボラという機関がある。
それは、本当に頼もしくて、安心して日々を暮らせるだろうな、
と、思うのです。

ふたつめ
つぎは、早期教育計画表づくりのために
親に対して子どもについてたずねる質問の内容です。

身近な存在、たいせつな人はだれか
とくにどんなことに喜びを感るか
うれしさ、悲しさはどのように表れるか
どういう状況のとき、助けを求めてくるか
けんかのときにどのようにふるまうか

発達の~、発育の~、立ったのは~、
跳ねたのは~、この言葉が出たのは~、
とか、そういうのではないのです。
その子がどんな子か、知るための質問になっている。
示されて、なるほど、と、思います。

みっつめ
静かな声。
赤ちゃんが保育園に入る前と後では、泣き声の声量が変わります。
やさいかった泣き声は、保育園に入るとたちまち力強くなります。
たくましくなったと考えてもよいのでしょう。
集団の中で、力強く泣くことは生き延びるスキル。
でもフィンランドでは保育園でも子どもたちは静かなのですって。
大きな声で強く自己を主張しなくても、
静かな声で静かに主張しても、聴いてもらい、
受けとめられるから、
大きな声を出す必要がないのですって。
子どもがにぎやかなのは、子どもの特性と思ってしまっていた。

よっつめ
昨年11月に行ったフィンランドのヨキネン先生の講演会の中でも
お話されていたことなのですが、
保育は、親のためのサービスではなくて、
保育を受けることそのものが、子どもの権利なのですって。

権利の主体者としての子ども、を、
根のところにしっかり据えると、
そういう表現にあらわれてくるんだ。
もういちど、あらためて、しみじみと思う。


生まれ出てくる命を社会が育むとは、こういう形なのか、
ひとりひとりの命を、個性を、大切にすると、こういう形にあらわされるんだ、
具体的な実践の姿の中に、理念を見ると、
言葉の表面だけでおなかに落ちきれなかったものたちが、
すっとおさまっていく。

フィンランド、良い国だなぁ。
この国が、この国なりに、
子どもたちを大切にする「形」ってどんなだろう。
理念や、理屈や、キャッチフレーズではなくて、
具体的な姿、具体的な実践に
落とし込んだイメージを見いだし、試みていくことが
きっと、今とても、必要な作業なのだと思う。

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