今日の石巻は、天気は良かったですが風が強く、肌寒い日でした。
朝鹿妻を出て、女川町経由で寄磯へ海は白波が立ち荒れていました。
女川町はがれきの撤去は進んでいましたが、地震により地盤沈下して、港は使える状態ではなく、波が打ち寄せていました。
地盤沈下は女川町だけでなく、牡鹿半島一帯、雄勝半島、石巻市街も85㎝から1mもいたるところが沈下して、未だ冠水している所も多いです。
寄磯では、遠藤さんのお宅へお邪魔して、寄磯の状態をお聞きしたり、丸井さんの衣類支援や、宮城県物資の支援の相談してきました。
寄磯地区全体のイベントにならないか、区長さんや役員さんと相談をしていただくことなり、来週夜にまたお邪魔することにしました。
帰路は大谷川地区を通り、大原、小網倉を通ってきましたが、途中大谷川では多量のがれきが集積されていて、家は一軒も残っていませんでした。
これから復興に向けての課題が多く、果たして大谷川のように集落そのもが無くなってしまった地域は、どのようにしていくか、青写真さえできていないのが現状です。
朝鹿妻を出て、女川町経由で寄磯へ海は白波が立ち荒れていました。
女川町はがれきの撤去は進んでいましたが、地震により地盤沈下して、港は使える状態ではなく、波が打ち寄せていました。
地盤沈下は女川町だけでなく、牡鹿半島一帯、雄勝半島、石巻市街も85㎝から1mもいたるところが沈下して、未だ冠水している所も多いです。
寄磯では、遠藤さんのお宅へお邪魔して、寄磯の状態をお聞きしたり、丸井さんの衣類支援や、宮城県物資の支援の相談してきました。
寄磯地区全体のイベントにならないか、区長さんや役員さんと相談をしていただくことなり、来週夜にまたお邪魔することにしました。
帰路は大谷川地区を通り、大原、小網倉を通ってきましたが、途中大谷川では多量のがれきが集積されていて、家は一軒も残っていませんでした。
これから復興に向けての課題が多く、果たして大谷川のように集落そのもが無くなってしまった地域は、どのようにしていくか、青写真さえできていないのが現状です。