一昨日 ゆみ子から電話があり、石巻市長面というところがひどい状態で、岩手県の新沼暁之さんという人が支援しているが、何とかしたいと言ってきた。
そこで今日、雨模様ではあるが長面へ行ってきた。
北上川の堤防を下り、大勢の児童が無くなった大川小学校のわきを抜け土砂でかさ上げされた凸凹道を走る。
空荷のトラックでは、後ろがはねて時速10km。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/74/03/4ae36e990b92404e1f1727ba69122ce8_s.jpg)
進む道路の両側はまるで干拓地の様な水没した水田、建物も水路も何もない。
長面の集落へ入ると、震災当時とほとんど変わっていないと思われる状態。
誰も住んではいない。
ふんばろうの大槻さんの情報通りの状態。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/26/6a/3a7f90f78e8823dfc0e6fb692fe61e5f_s.jpg)
長面浦の入り口に架かる橋で工事をしていた。
工事用信号機があり、電気がは来ている?一瞬思ったが、横にはソーラーパネルが設置してあった。
情報通り、未だ電気は来ていない。
橋を渡り尾の崎地区へ入ると、所々にソーラーパネルが設置してある。
新沼さんが設置したものだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0d/97/da9d9bd5c14518930ca7397074e03919_s.jpg)
道路際に車が数台止めてあるが人影は見えない、しばらく行くと年配の漁師さんがいたので、話を聞いてみた。
追波川の仮設から通って養殖の仕事をしているという。
ここは20軒ほどの漁師さんが海の権利を持っていて、カキの養殖を営んでいたが、
それだでは食べていけないので、農業もしていたとの事、しかし農地は全滅、
漁業だけで食べていけないし、かといってこの年ではほかの仕事へはつけないので、
わずかな年金とで暮らしていくしかないとおっしゃっていた。
本気で漁師を再開しようとしている人は、10人くらいかな、あとの人は権利があるから、それを金にしたいと、へばりついていると投げやりにおっしゃっていた。
この尾の崎で唯一人が暮らしている「のんびり村」という民宿へ行ってみた。
大槻さんの話では此処の方が復興のリーダーでもあるらしい。
鍵は開いていたがあいにく留守らしく、声をかけてもだれも出で来なかった。
「のんびり村」の先にある造船所で作業されていたので寄ってみた。
ここの方はお孫さんを二人も大川小学校で亡くされたという。
早くあの建物を撤去欲しい、毎日あれを見て仕事に通うのが辛い、
バスで多くの観光客が、観光名所のごとく訪れるのも切ないという。
連休に山形からボランティアが来て、3Kのソーラーパネルを工場へつけてくれることになっているという。
この集落にはまだ電気が当分来ないので、ソーラーを付けて欲しい人はいると思うとおっしゃっていた。
ここの復興支援は、さらにヒヤリングをして、地元の人と一体になって進める必要がある。
ただここに来た印象では、新沼さんの発信している情報は、ちょっと誇張があるかなと感じた。
そこで今日、雨模様ではあるが長面へ行ってきた。
北上川の堤防を下り、大勢の児童が無くなった大川小学校のわきを抜け土砂でかさ上げされた凸凹道を走る。
空荷のトラックでは、後ろがはねて時速10km。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/74/03/4ae36e990b92404e1f1727ba69122ce8_s.jpg)
進む道路の両側はまるで干拓地の様な水没した水田、建物も水路も何もない。
長面の集落へ入ると、震災当時とほとんど変わっていないと思われる状態。
誰も住んではいない。
ふんばろうの大槻さんの情報通りの状態。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/26/6a/3a7f90f78e8823dfc0e6fb692fe61e5f_s.jpg)
長面浦の入り口に架かる橋で工事をしていた。
工事用信号機があり、電気がは来ている?一瞬思ったが、横にはソーラーパネルが設置してあった。
情報通り、未だ電気は来ていない。
橋を渡り尾の崎地区へ入ると、所々にソーラーパネルが設置してある。
新沼さんが設置したものだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0d/97/da9d9bd5c14518930ca7397074e03919_s.jpg)
道路際に車が数台止めてあるが人影は見えない、しばらく行くと年配の漁師さんがいたので、話を聞いてみた。
追波川の仮設から通って養殖の仕事をしているという。
ここは20軒ほどの漁師さんが海の権利を持っていて、カキの養殖を営んでいたが、
それだでは食べていけないので、農業もしていたとの事、しかし農地は全滅、
漁業だけで食べていけないし、かといってこの年ではほかの仕事へはつけないので、
わずかな年金とで暮らしていくしかないとおっしゃっていた。
本気で漁師を再開しようとしている人は、10人くらいかな、あとの人は権利があるから、それを金にしたいと、へばりついていると投げやりにおっしゃっていた。
この尾の崎で唯一人が暮らしている「のんびり村」という民宿へ行ってみた。
大槻さんの話では此処の方が復興のリーダーでもあるらしい。
鍵は開いていたがあいにく留守らしく、声をかけてもだれも出で来なかった。
「のんびり村」の先にある造船所で作業されていたので寄ってみた。
ここの方はお孫さんを二人も大川小学校で亡くされたという。
早くあの建物を撤去欲しい、毎日あれを見て仕事に通うのが辛い、
バスで多くの観光客が、観光名所のごとく訪れるのも切ないという。
連休に山形からボランティアが来て、3Kのソーラーパネルを工場へつけてくれることになっているという。
この集落にはまだ電気が当分来ないので、ソーラーを付けて欲しい人はいると思うとおっしゃっていた。
ここの復興支援は、さらにヒヤリングをして、地元の人と一体になって進める必要がある。
ただここに来た印象では、新沼さんの発信している情報は、ちょっと誇張があるかなと感じた。