特定非営利活動法人 絆JAPAN

長野県諏訪市渋崎1792-394
東北支部 石巻市渡波字栄田156

漁網のミサンガ

2011年07月23日 | 震災支援
名振では皆さん仮設住宅に移り、コミニュティセンターは本来の役割に戻りつつある。
そのコミニュティセンターへ畳72畳を運び込んだ。
この72畳は畳床が畳ボードで来ている。
そのため普通畳の重量の半分程度だ。
名振では、コミニュティセンターを畳を敷いたり、板の間に戻して使ったりするため、
軽い方が便利なので、富士見製畳さんがわざわざ選別してくれたものだ。

  


コミニュティセンターでは、女性の方々が一生懸命ミサンガを編んでいた。
関西方面の支援団体「絆」の提案で、漁網につかう糸で色とりどりのミサンガをつ作っている。
北海道で行われるロックフェスティバルで販売して、復興に役立てようと言う取り組みだ。
1000盆を目標に制作進行中なのだ。
皆さんはじめは乗り気がしなかったが、作り始めたらハマッタとおっしゃっていた。
奈々さんもさっそく仲間に入り何本かミサンガを編んでいた。

  

もし北海道で売れ残ったり、1000本以上作って販路がなければ、10月のグローバルフェスタで売らしてもらうから、「絆」の方と話してと大和さんにお願いしておいた。


雄勝半島へ畳を130畳

2011年07月23日 | 震災支援
130畳石巻へ

7月18日休みの日にも関わらず、富士見製畳さんが畳130畳を用意してくださった。
諏訪湖畔のホテルの畳を入れ替えたので、その中から使用できるものを選別してくれたのだ。
百瀬君が手配してくれたレンタカーを借り、東京の帰りの途中富士見で下車した大澤君と合流して、
小澤さんとリョウと4人、富士見製畳さんの工場で積み込み作業をした。
  

130畳の畳を積んでも若干荷台に余裕が有ったので、飯野川高校仮設住宅用にタオルや衣類、鍋やヤカン、水稲やタッパー、そして扇風機、
名振の仮設に座卓、船越にはフェイスタオルとハンドタオルなどを積み込んだ。
今回のナビゲーターは山田奈々さん。
予定通りに21時には出発し、途中で仮眠をとり、飯野川には朝8時過ぎに着いた。

前回届けれなかったお宅にヤカンや扇風機を届けていると、トラックを見た方々が集まってきた。
例のごとくフリマの開催、前回急須の要望が有ったので、集まっただけ持って行ったが、あっという間に無くなった。
今回はほとんど物が残らず、みなさん喜んで持っていってくださった。

まだ急須とタオルケットの要望は多い。次回には集めて届けたい。

船越小学校

飯野川を出て、道の駅まで戻り、お昼と水を買って船越へ向かった。
北上川右岸を下り雄勝町へ、
瓦礫の撤去作業は続いていたが、まだあまり進んでいない。

  

船越へ付いたら中里さんや生出さんさんら7~8人の方が待っていてくださった。
さっそく畳を船越小学校へ運び入れた。
全部で60畳、3階まで運び上げるはちと大変。
それでもさすが海の男、あっという間に60畳の荷卸しが終わった。

生出さんが今やっている作業の説明をしてくれた。
天然ワカメの採取が終わり、今はウニを取っていると言う。
その合間に定置網の制作をしていると言う。
網は新しいものが間に合わないので、瓦礫の中から探し出したと言う。

   

瓦礫の中から探し出した網を、生出さんのお父さんから教わったと言うやり方で、
皆で手作業で複雑な定置網を作っていると言う。
被災して大変な思いをして、復興に向けて取り組んでいるのに、みなさん元気だ。
特にリーダーの中里さんの屈託のない笑顔が印象的だった。

網つくり作業場に照明をつけたいという要望もあり、
事務机やパーテーションが有ればありがたいと言うので、
さっそくいずみ書房の関戸さんに電話した。
夏期講習が終わったら、いずみ書房に余っている事務机や椅子、長机にパーテーションなどを船越へ運んでくれることになった。
中里さんと次回の打ち合わせをして、名振へ向かった。
後ろを振り返ると中里さんが最敬礼をして見送っていてくれた。