おもしろケアマネ全員集合! (監修:アヒルとガチョウの2人)

主任介護支援専門員・社会福祉士・精神保健福祉士・介護福祉士の男2人が『笑い』と『気づき』の情報を共同発信いたします。

早出物語 ③   【ガチョウ】

2014年05月24日 | 雑感
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 駅勤務から乗務員に転出した後、この鉄道産業に未来はないことを、私の直感力で感じていた。生産年齢人口が減り乗降客は減る。少子高齢化が進めば、学生の乗降客も減る。しかも、大幅割引きをしている学割定期運賃が減る。駅勤務時代に自動改札機も導入が始まった。内部で働いていると、ヤバイことを知ること見ることになり、このヤバさは1世代前が退職しないと無くならないと予想していた。15年次くらいの塊がまとめて退職しないと駄目なのである。悪い伝統みたいなものである。

また、どの業界にある不祥事も当然にあり、ガックリすることもあった。これでは、少し偉くなっても苦労する。ワタクシ自身が大きく出世する可能性はなく、立身出世の観点から、出世が覚束無いと思っていた。いずれ自動改札機導入で、余剰人員も出るかも知れないし、とにかく良いことはないだろうと一大決心としたのである。

しかし、こんなワタクシの予想は外れた。転職からしばらくして、堤義明が有価証券報告書虚偽記載等による証券取引法違反で、とっ捕まった! 下々から崩壊するかと思ったら、トップから崩壊し、みずほ銀行から経営陣が送り込まれ、サーベラスの餌食になってしまった。

さて、話は転職時に戻る。
その後、ワタクシは、六助(プー太郎)になりそうだったが、直ぐに仕事に就くことができた。なんと、ワタクシにはあり得ない福祉業界だったのである。福祉なんて考えたこともないし、働こうなんて考えたことも無いのである。

しかし求人の謳い文句は、「東京都職員の給与に準じる」・「夜勤できる方」だった! ワタクシ、一昼夜勤務中心の仕事だったので、不純な動機として夜勤は楽勝と応募した。聞きなれない社会福祉法人を知り、特別養護老人ホームだった。特別が付くから何が特別なのかと思ったら、まったく特別ではなかった。中央線の特別快速(特快)に乗れば、特別じゃないことに気づくが、それと同じである。面接は、40代の事務長だった。事務長とか施設長という肩書きにもビックリした。国連の事務総長や暴走族の総長は知っていたが。。。。。。
そして採用の合否は、一両日中に連絡するとのこと。

しかし、たけし。。。。。

一向に連絡がこないので、一両日の意味を辞書で調べた。なるほど、過ぎてしまっているではないか。。。。 もう、諦めようとグリコのポッキーが折れた時、電話が北朝鮮。。。
お見事、採用になった。福祉業界にめでたく転職が決まった時だった。

しかも、アダモ。。。。。

鉄道マン時代より、ギャラが良いではないか! 新卒時の年収が340万円、辞めた時でも360万円である。転職の面接でハッタリかまして年収400万円だったと答えたら、400万円からスタートした。もっと、ハッタリをカマせば良かった!!

転職後、鉄道時代の教育が身に付いており、介護職の制服に着替えるものの、ワタクシはネクタイをしてスーツ出勤を継続した。みんなに笑われ、みんなに馬鹿にされた。自分のことは「私」と言えと教育されていた。だから転職後も、自分のことも私というと、理事長・施設長・生活指導員(現・生活相談員)は、褒めてくれた。しかし、寮母さんには笑われた。。。


職場には1時間前に着いて、記録漏れが無いか確認したり日誌を読み返したり介護の勉強をした。入職10日でボーナス支給日だったが、ワタクシの明細書があった。開けてビックリ1万円。理由はワタクシたち2人の新人が可哀想だからとのこと。さすが、福祉の職場であると思ったものだ。こんなことだったら最初から福祉にすれば良かったと、100%完全に思わなかった。

そして、入職してからが地獄であった。オッカナイ年配の看護師に怒られる。オッカナイ寮母さん(介護職)に怒られる。ちゃんとアニマルを読めと言う。アニマルは動物であるが、何のことだと思ったらマニュアルだった。ちゃんとマニュアルと言えと、心の中で叫んだ。。。。

新人のワタクシが、休憩の時に食べるポッキーが折れそうだった。しかし。心の中では悔しがった。なんだ、あのクソババアは、1日中怒っているんだ。。。。 別に失敗したわけでも無いのに、クソババアに怒られる。入所している利用者の方たちは、このクソババア以上のお婆様なのに感謝してくれる。ワタクシは、ワタクシに感謝してくれる人たちのために頑張ることを決心したのである。日々、勉強して知識・技術を学び、資質の向上に繋げていた。

そして、介護の研修に2週間行く機会があり、他の都内有名特養に派遣された。その施設で夜勤も1回して、その時のオカマみたいな男性職員に、いろいろ相談した。するとスッキリするような助言をいただき、1日中怒っている人たちの心情に配慮することもできた。

何よりビックリしたのは、研修に行った後にクソババアと思っていた寮母さんが優しくなっていた。別にワタクシが大きく変わった事はないのに、褒めちぎってくれる。評価がうなぎ登りになって困ったもんである。理事長が気に掛けてくれるようになり、1年で3回も給料が上がることがあった。4回目は経理係長に勝手にストップされた。

どうやらギスギスしていた中年女性職場は、男性職員が2人入って中和剤の役目となり、酸性ババアの寮母さんとアルカリババアの寮母さんが分かれて、派閥形成していたようだった。入所している方たちは、酸っぱい梅干を食べていた。

見事に中和されて職場環境も良くなり、ワタクシも少し認められるようになった。理事長の奥様である施設長まで気に掛けてくれ、朝早く出勤して頑張っていると評価してくれた。施設運営は介護保険前で行政措置の時代。東京都の場合、措置費と援護費で入所者一人当たり約40万円、その他補助金もあり、本当に凄い時代だった。年1回の職員研修旅行では、1泊2日で小遣いまで支給されていた。年収700万から800万円がワンサカおり、追いつくことが目標だった。他の施設も、公私格差是正制度の補助金があり、介護職が潤っていた黄金時代があった。

ワタクシも、介護職を約5年間した。その間、介護福祉士の資格も取れた。そして、介護保険制度が始まる前に介護支援専門員(ケアマネジャー)の資格も取ることができた。そして、在宅介護支援センターへ異動となった。

介護保険が始まると、社会福祉法人の経営は厳しくなると盛んに言われていた。既に冬の時代を迎える準備が他の法人で始まっていた。。。。。 給食関係を外注にする法人や昇給を見合わせる法人などもチラホラあった。ワタクシの勤務する法人は、年間賞与が年3回の5.45ヶ月分だったが、春の0.5ヶ月分がカットとなった。

ワタクシもカッとなった!

さて介護保険開始後は、在宅介護支援センターと居宅介護支援事業所との兼務となったが、介護保険が始まったため、仕事は超多忙になってしまう。忙しいけど評価をしてくださる上層部がおり、年収700万円になることができた。

しかし、田無。。。

このまま行けば、年齢構成や資格要件を鑑み、副施設長や施設長になれると自信はあった。そのようなニンジンをぶら下げてくれる事務長もいた。けれどもワタクシは、約10年勤務した社会福祉法人を辞めてしまった。

辞めた次の日からは、ワタクシが入社したことで新規開設となった居宅介護支援事業所に出勤することになった。

職場には、早く行くと絶対良いことがある。 間違いない!


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