キツネノマド

松岡永子
趣味の物書き
(趣味とはなんであるか語ると長くなるので、それはあらためて)

どんなにゆっくり歩いても

2009-11-21 06:20:25 | 掌編
 どんなにゆっくり歩いても足音が高く響きわたる石畳。この町の道はどこも狭く、すべてが古い敷石で覆われている。
 低く垂れ込めた空が鈍い光を放つ。霧のためにすべての色は彩度を失い、どの建物もどの建物も特徴を持たず、ただ時間だけをためこんでいるので旅行者は必ず迷ってしまう。見おぼえがあるようで見おぼえのない路地。交差点。横道。あてずっぽうに角をいくつか曲がると、いきなり視界がひらけ小さな広場に出る。この広場もみごとに石が敷きつめられている。石の同心円がいくつも重なる中心に、古い井戸がある。釣瓶を落とすと、少し間をおいて井戸の底に桶があたる甲高い音が響きわたった。
 空がより低くなったようで、音はいっそうよく響きわたる。あたりの風景が鈍くなっていくなかで、目についた赤い実のある生垣に沿って小径に入る。生垣はすぐに途切れ、古びた建物の谷間を歩いていく。いつの間にかコートはすっかりしめって、重い。けばだった袖口にさわると、冷たい。糸のゆるんでいたボタンが落ちて、音を響かせる。拾って左のポケットに入れる。そのままあてずっぽうに角をいくつか曲がる。思いがけないところで視界がひらけて、広場。中央に蔦のからまる煉瓦造りの古井戸。古い空井戸。
 この町は水分であふれている。しかし水はない。水と水分は似ているようで似ていない。少しも。

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