♪ウクレレ&ハワイアンバンド飯田 -Goo ブログ

ハワイと日本の曲をやっています

ウキウキ・ハワイアン

2018-01-27 | 日記
ブログ「イヤイヤ・ハワイアン」では、日本の昭和40年あたりのハワイアンにどうも納得がいかないのでもう少しトラディショナルを聴いてみたいと書きました。
そこで「山内雄喜プレゼンツハワイ音楽物語」=『THE HISTORY OF HAWAIIAN MUSIC』のCDを入手。このCDも実に幸せな時間を提供してくれます。ハワイ音楽の歴史を1枚で聴けるようにとのねらいで山内雄喜さんが編集、選曲された1枚です。

およそ1500年前、マルケサス諸島のポリネシア人が無人島だったハワイ島に最初に到達。星の明かりだけを頼りにカヌーで3200km以上を航海してハワイ諸島にやってきた。
1000年前にはタヒチから多くの移住者がやってきた。彼らは古代ハワイにおける信仰の基礎となる神や半神半人の思想を持ち込み、厳格な社会階層を導入した。
初期のハワイ音楽にはオリ(祝詞)とメレフラ(フラの歌)という2つの音楽だけがあった。

1810年、カメハメハがハワイ諸島全域を統一してハワイ王国が誕生。
その後オリ、メレフラと、アメリカの宣教師たちがもってきた西洋音楽的要素とが混じり合ってポピュラー音楽が生まれた。


1870年頃、ハワイ王国は東ドイツのヘンリー・バーガーという音楽家を王室楽団のリーダーとして迎えた。カラカウア王や、その妹リリ・ウオカラニ女王は彼から音楽を教わり、王室がポピュラー音楽の振興に大きな役割を果たした。

その後はアメリカからジャズやブルースのテイストが、イタリアやポルトガル、ラテン地域らもそれぞれの音楽要素が入ってきた。
♪ハワイにウクレレを持ち込んだのはポルトガル人。
♪ハワイにギターを持ち込んだのはメキシコあたりからやってきたカウボーイ。
♪カメハメハスクールで学んでいたジョセフ・ケククが、ギターを横に寝かしてしてクシのようなもので弦を押えて弾き演奏したのがスティール・ギターのきっかけ。
1920年頃スティールギター・ギター・ウクレレ・ベースの標準編成が成立。


初期のスティールはアコースチックギターを使っており、このCDでも聴くことができますが生き物に接するようなとてもやわらかな音を出しています。画像はハワイアン・スティール・ギターの王様と言われるソル・ホオピイ(1902-53)です。
CD11番目に収録されている彼の演奏「フラガール」ですが、どこかで聴いた事がある。バードランド「バーズ」の太田紀美子さんの演奏がそっくりであることを思い出しました。太田さんの確かな腕にあらためてびっくりしました。


ハワイがアメリカ合衆国の一員となった。
山内雄喜さんは「観光ハワイアン」と呼んでおられますが、ハワイでもアメリカナイズされた音楽が創られていった。
「ハワイコールズ」は米軍放送網(AFN)で1935~1975年に放送されたハワイの音楽を中心にしたラジオ番組。
画像は「Hawaii Calls Radio Intro」としてユーチューブにアップされているものです。
ワイキキビーチにあるモアナホテルの中庭で、波の音と共に実況中継されていて、日本でも1950~70年代前半の毎週金曜日の夜8:05-9:00に放送されていた。


1960~1970年、「ハワイコールズ」とは一線を画したハワイ音楽が大きく開花。
その鍵となったのがスラック・キー・ギター。
それは人前では見せない、演奏しないとされてきた秘伝チューニングのギター。
山内雄喜さんはハワイに渡り、学び、世界で初めてその奏法をオープンにされました。

フラレア編集部発行の『フラ辞典』も含めちょっと真面目に学習しました。(長文になってしまいました)

今後の練習予定(時間は14:00~17:00)
★(2/3お休み)、2/10・2/17飯田市松尾公民館、2/24飯田市竜丘公民館。音楽好きの方お待ちしています。お気軽にお越しください。

ホノボノ・ハワイアン

2018-01-10 | 日記
自分への「お年玉」として買ったCD、『アロハ・オエ~ハワイアン・イン・ジャパン〈戦前編〉』、『スティール・ギター・ジャンボリー~ハワイアン・イン・ジャパン〈戦後編〉』に収められている音楽をかけると幸せな時間が流れます。
写真はジャパン・ハワイアン・オールスターズ(1956年撮影)です。

〈戦前編〉には昭和3年~14年あたりのものが24曲収められていて、4曲目『ハワイアン・ラブ』などは最高です。音階には表せない音を出すのはスティールギターの特性のひとつだと思いますが、それをそのままボーカルがやっているのが驚きでした。

CD20番目の名曲『ホノルル・ムーン』をイメージしてのジャケットでしょうか。ジャケット買いもしてしまいそうなCDでした。この場合飛行機でなく、やはり船ですね。

〈戦後編〉
「1945年太平洋戦争の終わりとともに、土に眠っていたハワイアンの種も一斉に芽を吹き出し…」ライナーノートの冒頭に山内雄喜さんがそう書いておられます。昭和24年~42年あたりのものがやはり24曲収められていて、和田弘とマヒナ・スターズが演奏している16曲目の『マヒナ・オ・ホク』、17曲目の『エ・ママ・エ』などは演奏技術・歌唱力ともに脱帽、ブログ「イヤイヤ・ハワイアン」で書いたようなチープな感触は全くありません。失礼しました。私自身の性格にマッチするのか、日本のハワイアンはなんてステキなんでしょう。


ビクター社は2002年に「アロハヘヴン・シリーズ」の発売をスタートさせましたが、これらCDはその前段階の企画だったようです。
1881年(明治14)にハワイ王国のカラカウア王が来日された時に演奏されたハワイ国歌「ハノイ・ポノイ」が、日本において最初に演奏されたハワイ音楽かもしれないとのこと。日本からの移民も多く、ハワイと日本はかなり繋がっていたようです。

今後の練習予定(時間は14:00~17:00)
★1/13・20・27飯田市松尾公民館。音楽好きの方お待ちしています。お気軽にお越しください。