♪ウクレレ&ハワイアンバンド飯田 -Goo ブログ

ハワイと日本の曲をやっています

ウクレレスターズに応援団が

2018-10-18 | 日記

「南信州新聞」のコラム『日言』は数名の方が交代で書いておられるそうです。今はもう書き手から降板したのですが、高校時代からの友人のひとりがこの新聞で長期連載を執筆しながらコラムも担当していました。彼の説明によれば、どの新聞社のコラムもスペースを有効に使うために段落記号を使っている。あの逆三角マークです。当時、▼の数は書き手ごとに決まっていたようです。友人は4個でした。4個の場合は物語の起承転結のような構成が可能で、友人という条件を外しても、私は彼のものが一番すっきりとしていて好きでした。


後藤三右衛門の生誕地(飯田市) 出典:ウィキペディア

その友人が「♪ウクレレ&ハワイアンバンド飯田」ブログにコメントを送ってくれました。
『ご存知ですか?飯田とハワイには不思議なご縁があるのです。徳川時代の天保の改革でひとり、詰め腹を切らされた金座長官・後藤三右衛門(飯田市大横町の生まれ)。その子孫の女性が米国人の夫とハワイ移民を推進し、巨万の富を築きます。明治の時代のお話です。しかも米国人の夫は、アメリカ独立運動の英雄・フランクリンの子孫でありました。ふたりは日米国際結婚の第一号でした』。


ハワイ移民が始まった頃、日本からの移民は「ボウズ」
と呼んだ「レフアペパ」 この花もレイになります。

2014年の秋、友人らが集まる席がありました。何年も前の事で忘れていましたが、今思い出しました。今回コメントを送ってくれた友人の説明が残っていました。『“串亭”で配った資料は、太田秀哉兄の先祖に関わるものです。後藤三右衛門金座長官の子孫、林(武智)いきさんと、ベンジャミン・フランクリンの子孫、ロバート・アーウィンが結婚しました(日米結婚第一号)。このふたりをめあわせた人物は一体だれか?小生の連載でこれから展開していきますのでお読みいただければ幸いです。後藤三右衛門の生家は飯田の若松屋ですが、この家と太田兄の母の生家・百華園・関島、その本家の大上(おおうえ)関島は、何代にもわたり婚姻を繰り返しているのです』。



ここに登場する太田秀哉さんも、東京から駆けつける友人メンバーのひとりです。ウクレレスターズのメンバーが減ってしまった時がありました。「絶滅危惧の音楽ジャンル」だと言われる♪トラディショナル・ハワイアンを無くしてはならじと、私は友人の中で音楽をやる見込みのありそうな人にバンド参加のお誘いをしました。協力してくれたのは篠塚実さんただ一人でした。感謝しています。
今回、ブログにメッセージを送ってくれたのは、友人のモノカキ後藤拓磨さんです。
応援ありがとうございます。
気分は高校生の頃にふともどりました。


初めて買ったギター
飯田市銀座にあった平安堂レコード店で7,000円







高校生だった頃の飯田線の電車
当時の写真は無く、大宮の「鉄道博物館」で撮影したものです。

今後の練習予定(時間は14:00~17:00)
★10/20・27飯田市松尾公民館/第1会議室。★11/3・10・17飯田市松尾公民館/第1会議室。(11/24は練習お休み)。音楽好きの方お待ちしています。お気軽にお越しください。


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