・・・「邪馬台国」と「幾何学」と「代数」・・・「キカ臥句(勾)」と「ダイ数得」・・・ナゼ、「隋書俀(倭)人伝・636年・六三六年)に成立」なのか・・・今年(2016年)は「丙申年」であるが、「636年=六三六年=陸参陸年)」も「干支=丙申年」であった・・・60年周期の干支で、なんら、不思議ではないが、「疑念」がムラムラと沸き起こる・・・ムラと云えば「邑=むら=村・叢・屯・斑・群」だが、律令日本の古い漢字は「木札→木簡」で・・・「郡(こおり)=君+阝」と云う漢字が使用される以前は「評(はかる・ただす・さだめる)=言+平」だが、「物のよしあしをはかる・品定めをする」、熟語は「評価・評議・評者・評釈・評定・評伝・評判・ 評論・合評・月評・講評・酷評・書評・寸評・選評・総評・批評・品評・論評・評価・評判」・・・「X」+「平」は「評(品評)・坪(一坪・壱坪・坪数)・秤(天秤)」である・・・そして「郡」も「評」も「こおり」と訓んでいるが、「評」は「こおり」なのか?・・・「郡(こおり)=君+邑(阝)」で、「人びとの集落」は当然、「子(こ)が居(お)る里(さと)」である・・・そして地名末尾は「字(あざ)=宀+子(一了=始終)」である・・・
↓↑
636年(西暦)
↓↑
干支=「丙申」年
日本=舒明天皇八(捌・8)年
皇紀=壱千弐百九拾六(1296)年
中国=唐=貞観十(拾・足・10)年
太宗治世に使われた
(六百弐拾七・627年~六百四拾九・649年)
朝鮮=新羅=仁平三(参・3)年
第弐拾七(27)代の
善徳女王の参(3年・634年)
~
第弐拾八(28)代
真徳女王元年(647年)七(漆・7)月まで
用いられ
647年7月に
太和と改元・・・・太和→大和?
新羅=日本・・・?
ーーーーー
↓↑
2012/6/12
福岡県太宰府市
市内の
国分松本遺跡で、
人名や身分など戸籍の内容を
7世紀末(飛鳥時代)に記録した
日本最古の木簡が見つかったと発表した
律令国家体制が整う
大宝律令の施行(8世紀初め)に先駆けて、
統治の基本となる
戸籍制度が完成していたことを示す貴重な発見
木簡には
行政単位の
「嶋評(しまのひょう)」
や
冠位を表す
「進大弐(しんだいに)」
などの
漢字が両面に墨で書かれていた。
「評」は
大宝律令以前の
地方行政単位
「国・評・里」の一つで
「郡」に相当し、
「嶋評」は
現在の
福岡県糸島市や福岡市西区に当たる
現存する最古の戸籍
奈良・東大寺の正倉院に伝わった文書
「筑前国嶋郡川辺里戸籍(702年)」などだが、
それ以前の戸籍の具体的な姿は不明だった
出土した
↓↑
木簡は
701年に
「評」・・・・・評(あげつらう・ヒョウ)=言+平
が
「郡」・・・・・郡(こおり・グン)=君+阝(邑)
に変更された
↓↑
685年に
「進大弐」の冠位使用が始まった
理由に、
市は685~701年の作成とみている
↓↑
木簡には
「建部身麻呂(たけるべのみまろ)」・・・「建の部」
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など少なくとも
16人分の名前が載っているほか
「兵士」や
「丁女(成年女性)」
等の身分や性別も記載。
「老女之子」など続き柄が分かる表現や、
正倉院の戸籍と共通する
「川部里」という
里の名
もあった
「嶋評」のある里を対象に、
1年間の人の異動を記録した帳簿
筆跡から同一人物が書いた可能性・・・
↓↑
木簡は
長さ31センチ、
幅8.2センチ、
厚さ0.8センチ。
最大で
長さ60センチ程度、
幅20センチ程度だったものを
折って遺棄したとみられる
↓↑
出土場所は
大宰府政庁跡の
北西1.2キロにある
河川跡で、
市は近くに
筑前国を掌握する役所があったとしている。
↓↑
遺跡では、ほかにも
飛鳥時代から奈良時代にかけての
木簡9点が出土。
24枚の木簡を束ねたものに
付けた札とみられる
珍しい木簡も見つかった。
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古代の戸籍
戸と呼ばれる
家族集団単位で人を
登録、
管理する公文書
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古代日本の根幹的な
支配制度の一つだった
最古の全国的な戸籍は
670年の
「庚午年籍(こうごねんじゃく)」
続いて
初の法典
「飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)」
に従って
690年に
「庚寅(こういん)年籍」が整備されたが、
いずれも
実物は残っていない
大宝律令に基づき
702年に作られた戸籍は、
美濃国(岐阜県)
筑前国(福岡県)
豊後国(大分県)
などのものが現存
〔共同〕
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隋書俀(倭)人伝
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「亠意・図意・事意・捨意」書
「瑞書」和人伝・・・高野長英・号は瑞皐(ズイコウ)
久坂通武・号は玄瑞(ゲンズイ)
幼名は秀三郎
通称は実甫、誠、義助
妻は文(杉 文)
↓↑
「図意書和尋伝」・・・「楕円図形」の難解だが、「コペルニックス(的転回・転換)」、「ヨハネス・ケプラー(の法則)」・・・ケプラーは、惑星の運動を歪んだ円、楕円とし、惑星の軌道を「楕円と仮定」、「距離の二乗に反比例する力によって、惑星が太陽に引かれている」、「ティコ・ブラーエの観測記録から、太陽に対する火星の運動を推定し、定式化した・・・
↓↑
第1法則(楕円軌道の法則)
惑星は、太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動く
第2法則(面積速度一定の法則)
惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に描く面積は、
一定である(面 積速度一定)
第3法則(調和の法則)
惑星の公転周期の2乗は、軌道の長半径の3乗に比例する
↓↑
1609年
第1法則および第2法則が発見されて発表
1619年
第3法則が発見されて発表された」
・・・その他、
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「光の逆2乗の法則
(強さが光源からの距離の二乗に反比例する)を証明」
「1631年の水星の太陽面通過を予言
ピエール・ガッサンディにより証明」
「ケプラー多面体を2つ発見」
「1607年の彗星(ハレー)を観測し記録
「1604年の超新星を発見・観測」
「雪の結晶が必ず
正6角形になることを発見」
「ケプラー問題を提起」
「ケプラー予想=等しい大きさの球で
空間を充填(パッキング)するとき、
平均密度が
立方最密充填配置(面心立方)
ならびに
六方最密充填配置を越えることはない。
これらの配置の密度は
およそ74.05%」
「ケプラーの八角星を発見」
↓↑
フゥ~ンッ、スゴイねッ・・・
ボクが「幾何学」の「用語」と、その「命題」、それを「仮定・推論」して「証名・結論」自体を理解するのには未だであるが、デアル・・・
「キ科学」の同音異字漢字の「ショウメイ=背負う名」である・・・「古代日本」は「銅鐸・銅鏡・古墳」などの「幾何学的形体」がワンサではあるが・・・「△▼□■○●」は人為的な計算(規矩=キク)」での図形、すなわち、「規(コンパス・compass)=分回し・差し金・金指(差)→紊回し?」、「物差し・物指し・定規・yardstick・foot ruler・メジャー(measure)=スケール(巻尺)=scale)」での図形であり、多分、自然界には存在しない図形であり、自然界では殆んどは「類似的、近似的な図形」であるだろう・・・対象認識物←視覚(眼)→視神経→思考→認識記憶・・・正確な数字での図形計算は「楕円・隋宛→図意円」に到るまでは「隋書(都-於-邪靡堆、則-魏志-所謂-邪馬臺-者也)の編集者(魏徴、長孫無忌)」はその「随所」で苦労しただろう。「今に云う倭人の知識(漢字=靡・俀・圀)が、隋書の編集者(魏徴、長孫無忌)にとっては昔に記録された知識(漢字=馬・倭・國」の「卑弥呼の國」であった・・・「壹(イチ)の國」、「臺(ダイ)の國」、「倭(ワ)の人」、「俀(タイ)の人」、「拿の國」・・・・これはナニも「日本的事情」に限ったコトではない・・・人類発生~現代社会まで、「人為的、人工的な同形の形体」の「作製」には「情報伝達」、そして、それらを踏まえた「作成計画」が必要とされてきた・・・「口伝、文字」はその「手段」でもあった・・・人間の経験と記憶、その知識の時間的、世代への伝承には、当然ながら「欠落」が生じる・・・その「欠落」をもたらすモノが「自然災害・戦争・事故」である・・・唯一避けられるモノは「人間の戦争」であるハズだが・・・?・・・
で、「隋書」の「志第十一・律暦上」「志第十二・律暦中」「志第十三・律暦下」・・・この「隋書・志第十一・律暦上・祖冲之の円周率計算の結果が記録」がある・・・「祖冲之」ですか・・・「祖」は「冲=冫(氷・こおり)」+「中(あてる)」・・・「冲」は12支の「対中」のコトバである。氷を溶かすと水になるが、「沖(おき)=氵(水)+中」で・・・水(山水・出水・泉水・河川・海水)の中には「魚」・・・?・・・「瑞(みず)=王+山+而」は「さかな・うお・まな・ギョ」・・・まったく、ギョギョギョ、ッであるカナ・・・
↓↑
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古代朝鮮と日本の地方行政区画
朝鮮では国によって
内評・外評
啄評(たくひょう)
などがあり
軍事的な地域編成単位・・・
日本では
649年
評制が敷かれたと考えられるが
国造(くにのみやつこ)制との関係、
官制など明確でない・・・
↓↑
古代の朝鮮、日本の行政区画の名称
「梁書・新羅伝」には
畿内の邑、
王城付近の村落を
啄評(たくひよう)
畿外の邑を
邑勒(ユウロク?)
と呼び
全国に
六啄評
五十二邑勒
があったとあり
「北史・高句麗伝」、
「隋書・高麗伝」
には
内評(ないひよう=畿内の評)
外評(がいひよう=畿外の評)
の区別があったと記録(内評・外評)
これらは
中国の郡県制に相当するもので
軍営の所在地であった・・・
「日本書紀・継体天皇二十四年九月条」
に
「任那の地名として
背評(へこほり?)」
の名が見え
またの名を
「能備己富利(ゆびこほり?)」
ともいったとある・・・
・・・「能(よく)、備える、己(おのれ)の富の利」・・・
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朝鮮の6~7世紀の高句麗における行政区画
「隋書・高麗伝」に
12等の官名につづき
また
内評
外評
には
五部の
「褥薩(じよくさつ=長官)がいる・・・?
褥=しとね(寝床)・蒲団・布団
薩=救う・菩薩・薩埵・薩摩
・・・薩=艸+阝+文+厂+生
内評は畿内
外評は地方をいい
それぞれ
5部に分かれていた(五族・五部)・・・
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「ダエン」・・・楕円・拿円・雫円・田円・太円・妥円?
楕=木(十八)+左+月(肉)
随所→随処→隋書→髄処・・・
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