11月,数学科の公開授業(本県を4つに分けた内の1地区を対象)がある。
その指導案づくりに本校の4名の数学の先生方が取り組んでいる。
昨日,そのための話し合いを職員室中央の大机で行っていて,
その会話を聞くとはなく聴いていた。
結果できあがった指導案を本日「見てね」と渡された。
さて,その話し合いでのこと。
夏休み前にたたき台をつくり,
主催する数学の委員会へ提出すると
その時に言われた言葉が印象的だったようだ。
「この手立てでは,どんな教科でもできることだ。」
そこで,
数学科の手持ちの指導案を引っ張ってきて,
数学の手立てとは何があるのか,比較検討をしている。
また,私の昨年行った授業を話題にし,
授業の最後のフィニッシュをどうしようかと話題にする。
なぜ,こんなに悩むのかと言えば
本校の数学科は,「学び合い」をテーマに据えているから。
「学び合い」ではあるが『学び合い』ではない。
しかし,授業観は『学び合い』そのものなのだ。
だから,他校の数学科の教員との折り合いを付ける作業をしている。
さて,本日その指導案を受け取る。
面白いが,いくつか気になったところを指摘して教科主任に返却する。
本校の数学科の先生方のように,
子どもの有能さを目の当たりにし,
そのためには教師がでるのではなく見つめることであると
わかっている先生方である。
そうなった教師をどうサポートできるのか,
それが来年へつながる部分だと思っている。
その指導案づくりに本校の4名の数学の先生方が取り組んでいる。
昨日,そのための話し合いを職員室中央の大机で行っていて,
その会話を聞くとはなく聴いていた。
結果できあがった指導案を本日「見てね」と渡された。
さて,その話し合いでのこと。
夏休み前にたたき台をつくり,
主催する数学の委員会へ提出すると
その時に言われた言葉が印象的だったようだ。
「この手立てでは,どんな教科でもできることだ。」
そこで,
数学科の手持ちの指導案を引っ張ってきて,
数学の手立てとは何があるのか,比較検討をしている。
また,私の昨年行った授業を話題にし,
授業の最後のフィニッシュをどうしようかと話題にする。
なぜ,こんなに悩むのかと言えば
本校の数学科は,「学び合い」をテーマに据えているから。
「学び合い」ではあるが『学び合い』ではない。
しかし,授業観は『学び合い』そのものなのだ。
だから,他校の数学科の教員との折り合いを付ける作業をしている。
さて,本日その指導案を受け取る。
面白いが,いくつか気になったところを指摘して教科主任に返却する。
本校の数学科の先生方のように,
子どもの有能さを目の当たりにし,
そのためには教師がでるのではなく見つめることであると
わかっている先生方である。
そうなった教師をどうサポートできるのか,
それが来年へつながる部分だと思っている。