つれづれなるままに

今、もっとも関心のある出来事を備忘録としてつづります。2005年から。

メールが届いていない

2010-01-07 | 論文
昨日のこと

昨年,提出した論文の査読結果が帰ってこないな~
年末を過ごし,正月を過ごしていたら,
編集事務局からメールが届く,
『修正を提出しないのでしょうか,本日締切ですが』
もう目が点になっていた。(´・ω・`)

過去メールを検索かけても出てきません。
誤って消したか?
迷惑メールに振り分けられたか?
メインのアドレスが一時使えなかったという断りがきたがその時か?
どちらにしても,まいった!!

編集事務局から,今回の処遇についての返信を待つまでもなく
修正に取りかかる。

査読者のコメントを初めて見るときは,嫌になる。
しかし,査読者のコメントを読み込んでいくと,
いつも「なるほど」と,唸ってしまう。

だいたい,私はちょっとオブラートにくるんでおこうかな,
と,思って書いた部分を,
ちゃんと指摘して下さる。
しかも,その指摘から,あらたな方向がうまれる。

今回の指摘の中で,
最大と思われる指摘を解決しようと奮闘すると,
それ以降の修正ポイントは,
それに伴って解決していくからうれしい。

今回,なぜオブラートにくるんだかといえば,
そこが弱いなと感じているので,昨年10月頃,追調査をした。
しかし,テーマがあった論文なので,締切に間に合わない,
それで今回の論文に載せられないから,
ちょっとオブラートに包んじゃえ,と,したのだ。
弱いなりにきちんと書けばよかった。

あれやこれやと,昨日論文書き作業をした。
今朝,編集事務局からメールが,
「〆切りを延ばす」
とのありがたい返信メールが届く。

メールに泣かされたが,
メールの速さに救われた!!!
今日,始業式でなくてよかった。ヾ(^v^)k

追伸
今、修正ができました(7日、午後6時)。
2日間でできるんですよね。これからちょっと寝かします。
その間に9日のプレゼンを作ります。
きっと、プレゼンを作り発表していると
冷静になって修正の修正ができると思われます。
いや、9日に酒を飲み過ぎて、結局忘れてしまうかと思われます。
うーん、悩ましい。

科学研究費助成金

2008-09-07 | 論文
先日,本県の科学教育助成金の採用通知が来た。

ちょっと欲張って25万円を申請したら,許可は10万円でした。
これは中学生以外への環境教育の研究で出しました。
予定では,
保護者と小学校6年生へ授業を行いその結果を論じようと思っていたのですが,
保護者のは頓挫してしまいました。
小学校6年生は,去年行っているので,こちらでまとめましょう。
とりあえず,早くまとめておこうっと。
重なっているし,いろいろと。

哲学3 Diversity & Inclusion

2008-07-29 | 論文
Diversity & Inclusion(多様性の受容)

哲学の講座から、ダイバーシティへそれだした。

さて、このダイバーシティであるが、
米国の「黒人、白人女性差別」が事の発端らしい。

外見上の違いや内面的な違いに左右されず
持てる力を存分に発揮し組織に貢献できる環境を作ること。
がダイバーシティ。

日本の企業は、女性の活用をダイバーシティと狭義で使うらしい。
では学校ではどうだ?

本県の中学校の担任は、女性がなることは少ない。
これもダイバーシティだろうな。
しかし、他にもたくさんあるぞ。

たとえば、授業検討会に出席すると、
出席者の能力は千差万別であるが
出席者の持てる力を全員が発揮して、
ひとつの授業を検討していると言えばいいがたい。
若手もベテランも、その能力を発揮し意見交換をしているだろうか。
それは一度出席してみればわかる。
教師でない人が、
何も予備知識もなく,授業を見る。
この会に出て意見はいえない。
それは、門外漢だからか?教師の言葉を知らないからか?
教師であっても若手は、
ベテランの目を気にしていえない。

授業はどうだろう。
理科で言えば、問題解決的な学習ではどうか。

子どもが予想を出し合い、課題を決定し実験をする。
しかし、そこに教師の意図が入り込む、
指名される子ども、指名されない子ども。
教師の物語で課題が決定される。
ここにもダイバーシティが隠されている。

教師という社会の中に潜む常識、それを哲学的に見てみる。

あー、こういうひねくれ教師はだめだな。