たとえば
邪魔をするとか
邪魔をしてるとか
これをやめないとか
いってたりするけど、、
あらゆるあたりの
あらゆるまわりの
ささやきは
自身内にある、ささやき
ならば
投影ならば
すべては
自身たるカンガエから
おもいこみから
きめてけから
しんじてる意識から
とらわれから
勘違いから
ひきだされた
ひきおこされた
つくりだされた
目の前ありようばかりなり
かのように
自身が
なにがあろうがなかろうが
邪魔される訳が
ないとか
しんから
かんじてるありようには
もうとう
そんなせかいは
ありえないし
みえないし
ちがった世界感覚に
ある
かのように
それぞれが
それぞれのカンガエから
それぞれなりしいしきから
自身内在世界くうかんを
つくりだしたいけん
してた
だけ
はなからは
なんにもなき
空白のがめんだけだったのに
それぞれあらゆる意識をもちこみ
浮上させられ
無意識ながらも
ある、と、いわれし
おもいこみと、いわれし
ゆずらなきシンネンたる…力や
水をあたえては
ひかりをみずから
あてては
成長させ
立体ホログラムまで
つくりだして
さも、
あるものと、みせられてゆき
自身が自身により
はがいじめしゆく
かのように
それさえ
どこかでは
これで、いいと
のぞまれし
かのような
なげきながらも
よし、している
すべては
人生ホログラム
かのように