元は盆栽

2015-05-26 | 日記

ケヤキがすっかり葉を広げ、緑も濃くなりました。
この辺は標高が1000メートル近いので、欅は自生していません。
この欅は、およそ40年前にわたしが通っていた小学校の校庭のけやき林の下で、実生で生えていたものです。
その頃父親は、盆栽が趣味でけやきがたくさん生えているよと言ったら、実生から盆栽を作ってみたいと言って
一緒に小学校へ行って、何本か分けてもらい盆栽として育てていました。
25年前、ここへ移り住んだ時、父は「大きなケヤキが見えたらそこがうちだ。と、人に説明する時の目印になるといいなぁ」
と言って、大町では冬の管理が大変な盆栽の欅を鉢からポコっと抜いて道路脇のここへ植えました。
そんな大きな木になって、うちの目印になるかなぁと、当時はまじめに聞いていませんでした。
植えて1年目は、狭い鉢、少ない土で押さえつけられていた反動なのか、1メートル以上新芽が一本まっすぐ上へ伸びました。
その年の冬、積もった雪から外気に触れる部分は枯れて、春になっても芽が吹きませんでした。
やっぱり欅にとっては、この寒さは厳しすぎて無理かなと思いました。
でも、雪に埋もれていた下の方からまた新しい芽が吹き、2年目はもっと高く幹が伸びました。
冬になり、また雪から外に出た所から枯れてしまうのじゃないかと思っていました。
今度は、枯れずにちゃんと葉が出ました。
木も、その土地に適応できるのだと実感しました。
自分もここ(大町)の冬に慣れていこう、慣れるものだ。と、この欅に励まされた気がしました。
25年経ち、とうとう5メートルを超え、幹の太さは直径25センチ以上になりました。
文字通りシンボルツリーになりました。
姿、枝振りや、葉の形、幹の皮の感じ等で“欅”。と分かると思います。
でも、ほとんどの人は、周り中木の中でこれがケヤキとは判別できないだろうなぁ。ということで、
うちを説明する時に、「欅が見えたらそこがうちです。」は使えそうもありません。
100年200年後に、どこから見ても大木になれば使えるかな?


美味しい実もならないから、僕らはこの木にはのぼらないよー。



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