秋蝶死す托鉢僧の鉢の中
柴田由乃
「つちくれ」平成17年1月号
秋蝶は春の蝶と異なり、弱弱しさ、哀れさの代名詞だから、「秋蝶死す托鉢僧の鉢の中」と言っても違和感がないが、よりにもよってとんでもないところに飛び込んで死んだだという意外な印象も強い。
托鉢では鉢に入れて貰った物は全て食べるという規律がある しかし、蝶の混ぜご飯は想像するだに旨くない。
きっと 当の托鉢僧も吃驚しただろう。 しかし、それと同時に南阿弥陀仏と唱えたであろうことは想像に難くない。
おそらく彼は秋蝶の死に、自分の死を思い重ねたあろう。死とはこんなにもあっけないものなのか。
日頃から修業している身なのに、この身震は何だろう。
この句は、鉄鉢を持っていた托鉢僧の受けた衝撃度に焦点を当てると、単なる哀れさを詠っただけの句でないことが分かるだろう。
そうするとこの秋蝶が仏のように大きく見える。
俳句の対話術 今津大天 より 転作いたしました。
蜂 キリギリス 蝶 冬越しのできない 昆虫は死をもって 子孫に未来を託して 散ってゆきます
鉄鉢の中で 息絶えた蝶に 哀れをもって 向かう僧
彼は きっと ご飯を汚されたことより 仏になった蝶が よい所にいけることを望んだことでしょう。
にほんブログ村