気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

智者の憂い ・・・ 5.ほんとうの大人

2010-10-02 10:20:41 | Weblog
インチキ宗教は

  個人の幸せと悦楽 ・ 利益のみ求めろ とすすめます。


まことの宗教とは

  この「憂いの心」を生じせしめるものです。



私たちは

・・・ 光音天流の自己満足であってはなりません。

・・・ 世の中の人々を憂うる「囚われ人」とならねばなりません。




(再掲)

  愚者はつねに喜悦すること また光音天の如く

  智者のつねに憂いをいだくこと

    獄中の囚人(とらわれびと)に似たり  (増阿含経)



休日や連休のたびにレジャーを求める人は

  「喜びを食う」幼子と同じ ・・・ 「愚者」 です。


静かに世を想い 現代を憂うる人こそ

  ・・・ 「智者」であり ほんとうの大人といえましょうね。



享楽と悦楽を追いかけている現代人の生活に

・・・ この教えは まったくぴったりとくるものがあります。





智者の憂い ・・・ 4.大衆に生きる人

2010-10-02 09:10:21 | Weblog
生きることのみに精出している人は

  ・・・ 呑気者の幼児と同じです。


逆に

死をみつめて憂いをもち そこから生の意味をさぐる人は

  ・・・ 智者といえるでしょうね。



一軒の家 一つの国には ・・・ この憂うる人が必要なのです。


火事の半鐘に目ざめる人

社会の危機に心をくばる人

  一身の享楽をかえりみず ・・・ 大衆に生きる人が大切です。



・・・ そうした人を 釈尊は「宗教的人間」とみています。




(再掲)

  愚者はつねに喜悦すること また光音天の如く

  智者のつねに憂いをいだくこと

    獄中の囚人(とらわれびと)に似たり  (増阿含経)





智者の憂い ・・・ 3.憂いの人

2010-10-02 07:06:08 | Weblog
私なども子どもらをみていると

  つくづく呑気なものだ とうらやましくなりました。


電話をかけては笑い

私がバカな失敗をしたといっては 吹き出している。

これといった心配もなく 親がかりでいる身分であれば

  憂いの種はないのかもしれません。



いや 子どもだけではありません。

癌を宣告された父に うそをついて

「大したことはありません」 というと

  「治ったら 来年は外国へゆくか」 と喜んでいる。


しかし

親の命数を知る息子や家族の苦しさは ・・・ 言語を絶します。

まさに 「知者は囚人のごとく」 ・・・ こころ憂うるのです。



病気ならずとも ・・・


世間の不安や危機に何の関心をもたず

  ただ自分の嬉しさや趣味にたずさわっている人は

    ・・・ 「喜びを食う人」 です。


自分の喜びよりも

  社会全体のひずみに心を痛める人は

    ・・・ 「憂いの人」 です。





智者の憂い ・・・ 2.喜びを食べる人

2010-10-02 06:25:01 | Weblog
幼い子はきゃっきゃっといって喜んでいることが

  成長のための滋養分になっているかもしれませんが

  ・・・ じつによく「喜び」を食べています。


喜びたいために遊び 遊んでは喜んでいます。


無邪気で屈託がないといえば

  これくらい楽しいことはないでしょうね。



しかし そうやって喜んでいるそばで ・・・

知恵ある母は

  怪我はしまいか
 
  火傷(やけど)をすることはないか

  風邪はひかないだろうか

  ・・・ と 危険を憂い 病を憂いています。


・・・ 子どもにみせぬ涙をいだいています。


・・・ 自分だけの喜びにひたりきれぬ 深い憂いをもっています。




(再掲)

  愚者はつねに喜悦すること また光音天の如く

  智者のつねに憂いをいだくこと

    獄中の囚人(とらわれびと)に似たり  (増阿含経)




智者の憂い ・・・ 1.聖句(ことば)

2010-10-02 06:02:30 | Weblog
愚者はつねに喜悦すること また光音天の如く

智者のつねに憂いをいだくこと

  獄中の囚人(とらわれびと)に似たり  (増阿含経)



光音天とは 「光音」の世界ということです。

この世界は 「喜びを食べものにして安楽にすごすところ」

  といわれています。


つまり この聖句(ことば)は

愚かな人は ちょうど光音天の世界のように いつも喜んでいるが

・・・ 知恵ある人は いつも憂いをいだいている。


それはちょうど 獄中 ・・ 刑務所にいる囚人に似ているけれども

・・・ その人こそ敬われるべきだ とのべているのです。





業(ごう) ・・・ 3.業は滅びず

2010-10-02 05:15:02 | Weblog
「ただの一度の行為」が

  ときとして その人の一生を決定しまうことさえあるのです。

いや そう受けとることが正しい生き方なのです。


・・・ 釈尊は それを「業」といいました。



自分の播いた種子(たね) 自分のとった行為は

・・・ いつの日かかならず芽をふきます。

どんなに時がたっても きっと芽が出てきます。



行為は はたらきです。

その人のちから ・ エネルギーです。

永久に自分から離れず つきまとうちからです。


それは執念深く 人びとの「行為」のうえにあらわれてくるのです。



・・・ 「業は滅びず」 です。




(再掲)

  愚者はつねに喜悦すること また光音天の如く

  智者のつねに憂いをいだくこと

    獄中の囚人(とらわれびと)に似たり  (増阿含経)





業(ごう) ・・・ 2.あとをひく

2010-10-02 05:14:09 | Weblog
かりそめの出来心で犯した盗みは

  一度で終わればよいが そうはいきません。

かれの行為は「業」となって

  またしても罪を犯させてしまう。


目の前に大金があるとき 誰もいないとき

  業はふっと頭をもたげてきます。


「業」 ・・・ 行為は消えることなくつきまとう。

かならずといってよいほど 「あと」をひいてくる。

二度が三度となり

  「いぶりつつ かの人を追いゆくなり」 です。



「たった一回限り」 というが

タバコ一本吸っても 一本で終わらないのが人間です。

「一本吸った行為」は 二本目 三本目をいざないます。


酒もそうですね。





業(ごう) ・・・ 1.いぶり ・ くすぶる

2010-10-02 05:13:17 | Weblog
犯したる悪しき業(わざ)は

  新たに搾られたる牛乳(ちち)のごとく

    ただちにかたまることなし

されどその業は

  灰におおわれたる火のごとく

    いぶりつつ かの人を追いゆくなり

                     (法句経)



恐ろしいことばです。

人間の「業」は

「灰におおわれた火のごとく いぶりつつ かの人追ってゆく」

  ・・・ というのです。



もし あなたが何か悪事を犯したとする。


すぐ他人にみつけられて 裁きをうける場合もありましょう。


ところが 誰も気づかず そのまま終わったとする。

いったいそのとき

  あなたの犯した悪い行為はどうなるのでしょうか。

すっと そのまま立ち消えてしまうのでしょうか。



「一度やった行為はけっして いつまでも消えることはない」

  というのが 釈尊のこのことばなのです。

それでは どうなっていくのでしょうか ・・・ 。



その人は 自分の「盗み」や「人を傷つけた」罪の責めを

  忘れることができるでしょうか。


「いつか誰かにわかる」 「どこかで人がみていたかも知れない」

  といった不安は かならずつきまとってゆくと思います。

ちょっとした物音にもおびえ

  さりげない知人の会話にも おどおどする。


この精神上の不安とおびえは

  仕事にも勉強にもひびいてくるでしょう。

「灰におおわれた火」が消えずにいぶり くすぶるように

  ・・・ その人を追い 尾をひいてくるでしょうね。