気の広場

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  日常雑感あれこれ・・・

無益なもの識り ・・・ 1.論語読みの ・・・

2010-10-22 12:04:03 | Weblog
無益なることを多く誦(そら)んずるも

  此のことは妙となすべからず

他(ひと)の牛をかぞふるがごとし

                     (増一阿含経)



「論語読みの論語知らず」という諺があります。


また
 
ただ読んでいればよい くり返しておればいいのだ

  くり返すところに意義があり 神秘の力がある

  ・・・ ということを口にする人がいます。



釈尊は それを

「無益なることを多く論ずるも このことは妙とすべからず」

  ・・・ と拒否されます。


このことばは

二人の孫弟子が

  たがいに自分の暗誦した経文を競いあっているのをみて

  ・・・ 叱られたときの教えです。





虚空(そら)に道なし ・・・ 5.明快に生きる努力

2010-10-22 11:06:51 | Weblog
釈尊は 物事をはっきりいう人でした。


いつの世でも

庶民というものは くだらない理屈をこねまわし

  それにうつつをぬかしている。

そんな歯がゆいことをせずに

  何故 本質へずばりと入ってゆかないのか。

偽態のくりかえしはやめよ

  ・・・ と きびしく戒めているのです。


「死んだらどうする」

「齢をとったら その先は」

「景気の動向は」

・・・ 人びとは 先回りして

    情報に餓え 人のさしのべる手を求めています。



釈尊は そんなこと捨て置け ・・・ という。


禅僧なら

一喝くらわすか 棒でうちすえてやれ

  そんな ぐだぐだと物事に煩っている暇があるなら

  ・・・ 実践に移せ。



釈尊は それをずばりと

「虚空に道とすべきなく」といい

「みちの人 あるなし」 ・・・ というのです。



私たちは もっと明快に生きる努力が必要です。

空のなかに吸い込まれるようではだめです。



自然からの学び方も ・・・ いろいろですね。




(再掲)

虚空(そら)には道とすべきなく

  うつろなる外道(げどう)に 沙門(みちのひと) あるなし

おろかなる世人は 戯論(たわむれ)をたのしめど

  如来はかかる 戯論あることなし

                          (法句経)





虚空(そら)に道なし ・・・ 4.愚行

2010-10-22 06:35:19 | Weblog
人間は とるにたらないぬ議論をえんえんとくりかえす愚行に

  ・・・ 気づかないことが多いものです。



最近のマスコミを眺めていると

  つくづくと この釈尊の聖句(ことば)が思い出されます。


たとえば

老齢化社会を迎え 老年者にどんな生きがいを与えるべきか

それは年金か それとも心の充実か

  ・・・ といった原則論が あきもせずくり返されています。



教育の問題もそうでしょう。


おちこぼれをどうするか

  いまだに 何ひとつ答えさえだされていません。



不毛の議論が
 
テレビで 新聞でこわれたステレオのように

  いつまでも同じ叫び声を上げています。





虚空(そら)に道なし ・・・ 3.戯れの人生

2010-10-22 06:05:03 | Weblog
釈尊は「自己」の探求を説かれ

  形式をぶち破った実りある人生を説きました。


虚空に遊ぶような

  何ひとつ確実な痕跡を残しえぬような生き方は

    戯れの人生にすぎない ・・・ といい切るのです。


「外道のやっていることはなかみがない。

  真理探究の世界に生きようとする人材はいない」

  ・・・ 釈尊は 空をみつめていうのです。


そして

「愚かなる民衆というものは

  つまらぬ戯論をもてあそび

    いつはてるともない議論を楽しんでいる」。



しかし

「仏は そんなつまらぬものから卒業しているのだ」


・・・ 皮肉な しかも 味のある聖句(ことば)ではありませんか。





虚空(そら)に道なし ・・・ 2.充実感

2010-10-22 05:48:04 | Weblog
釈尊は

  うねる山なみ

  とうとうと流れる河

 そして

  道のはしくれに咲く草花

  そこにむらがる蝶や蜂 ・・・ など

自然万物に人間の学ぶべきあり
 
  ・・・ と あらゆるヒントをつかむ人でした。


空に向かっているときも

つき抜けるような碧(あお)さのなかに

  ・・・ 一つの教えをくみとっておられたのです。



「虚空に道とすべきはなく」 ・・・ 空白の世界には道はない。

そのうつろさは ちょうど中味のない修行者の生きざまに似ている。

  ・・・ 彼は そういうのです。



私たちは野原に寝そべって 一点の曇りなき空をみつめているとき

突然 そのなかに吸い込まれてしまうような

 あるいは 羽毛と化して飛んでいってしまうような気持に襲われる。


それは おのれ自身の空洞化

  虚空と化してしまった姿を現しています。


自分を見つめ 自分に問いかける重石のような実感があるとき

  ・・・ 空は 逆に自分のなかに吸収されてきます。





虚空(そら)に道なし ・・・ 1.寡黙(かもく)

2010-10-22 05:46:41 | Weblog
虚空(そら)には道とすべきなく

  うつろなる外道(げどう)に 沙門(みちのひと) あるなし

おろかなる世人は 戯論(たわむれ)をたのしめど

  如来はかかる 戯論あることなし

                          (法句経)



「虚空(そら)には」という この聖句(ことば)を

  ・・・ 釈尊は しばしば使われます。


ご存知のように ・・・ 釈尊は瞑想の人です。

空をあおぎみるよりは 寡黙することが多かったと思います。



その沈黙と思索の世界には

じつにさまざまな人間の営みが 映し出されていたにちがいありません。

・・・ 充ち充ちた世界です。


それにくらべ 虚空には

  澄みきった空と雲以外になにもない。

空とぶ鳥はあっても そこには何ひとつ足跡すらも残っていない。

・・・ 空しい世界です。