気の広場

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親の道 ・・・ 6.子どもの目から (2)

2010-08-15 21:41:22 | Weblog
小学三年生の子どもの詩ですが ・・・

これは大きな問題をふくんでいるように 私は思います。



      勉強


  「大人になって困るけん

   勉強せんといけんぞ」

  何を大人になって つかうんや

  草刈は 草刈機でジャンジャン

  耕運機は ただころばすだけ

  魚釣りにいったり 土方にいったり

  ベチャベチャおしゃべり

  学校の勉強一つもつかいよらんじゃないか

  わたしは 勉強したくない

  勉強しても 点はひとつもあがらんし

  大人になってもつかわんし



親は子を思い 勉強せよと強いるわけですが

  親の実際の生活をみて 子は 学校の勉強の必要を感じない。

さらには

記憶力中心の現行の成績評価に対しての反発もうかがえる

 ・・・ そういう子どもの心底を この詩は訴えています。


とても勉強のできない子どもどころではありません。


この子どもが指摘しています。


「大人になって困るけん 勉強せんといけんぞ」

  親として よく口にするところです。

が 実際は 親になって困るといいながら

  ・・・ そういう親の生活はなんだ と批判しています。



親の言葉と親の生きざまとが一致していなければ

  躾にも 教育にもならない ・・・ ということですね。





 

親の道 ・・・ 5.子どもの目から (1)

2010-08-15 19:48:43 | Weblog
お互い親自身としては 充分親として生きている と思っています。

が ・・・ 仮に親を生きている として

果たして その生きざまは 子どもたちの心に

  どのように映っているでしょうか。



子どもの詩や作文は

  子どもの立場からのひとりよがりのようにもみえますが

純なだけに 考えさせられ 親を学ばせてくれます。


(手元にある むかしの『詩の教室』という本の中から紹介します)

京都の5年生の子どもの詩です。



      親


  親って勝手なもんや

  悪い点をもって帰ると

  ほかの人は 何点やと聞いて

  「あきませんよ」と怒る

  ほかの人も 悪いんやでというと

  人の悪いことまでいわんでよろしい

  と怒る

  親なんて ほんとに

  勝手なもんや



親は「ほかの人は何点や」と聞いておいて

子どもが「他の人も悪いんやで」といえば

  ほかの人のことは言わなくてもいい という

    親の矛盾を 子どもは突いているのです。



親は 存外気にもとめず ・・・

  このようなことを繰り返しやっている のではないでしょうか。





親の道 ・・・ 4.ひたむきに生きる

2010-08-15 16:29:56 | Weblog
子どもを育てるということは

  単にわが子の問題だけでなく 日本の将来に関わる問題です。

子どもたちは 20年先30年先には日本を背負っていくのですから。


将来を担う子供たちの基礎作りというか

  子どもたちの基本的な精神構造は 誰がつくるのでもない

実は 親たちの日常生活の在り方が作っているわけです。


こうしたことを考えてみますと ・・・

日々の生活は 単なる自分一人だけの問題ではなくて

子どもを通して

  次の世代づくりに参加していることになっているわけです。


そうしたことを思い 現在の親の立場を考えるとき

私たちは 自分の足元から見直して

  言葉一つしても 立ち居振るまいの一つひとつにしても

本当のものにしていかねばならない と思わずにはいられません。



そうはいっても 完全な親には なかなかなれるものではありません。

どうしても眼前のことに眩惑(げんわく)されて 振り廻されます。

自分の反省どころか
 
  いつなんどき これまでと同じようなことをやりかねない

    未熟な内容の持ち主なのですから

           ・・・ なさけなくも 悲しくもあります。


自ら叱ったり 励ましたり 慰めたりしながら

  ・・・ 親としての道を懸命に生きたいものです。


親として真実親になろうと ひたむきに生きたならば

  負うた子に教えられ ・・・ というように

    子どもの生きざまの中に学ぶようにもなりますし

さらにまた

    自らが 積極的に勉強に取組むようにもなるものです。





  

親の道 ・・・ 3.厳しい道

2010-08-15 08:09:37 | Weblog
もうひとつの問題は 親のものの見方や考え方

  さらには それによって判断しての言葉や 行いなどです。

いわゆる親の生きざまが

  そのまま子どもの心の上に影響している

  いや そのままが子どもになっている のです。


昔から「親の因果が子にむくい」などといいますが

善きにつけ悪しきにつけ 親の生きざまが

  子ども自身の思考や所作などになってしまうのです。

ちょうど 吸取紙がインクを吸い取るように

子どもは親の生きざまを吸収して 身につけてしまうわけです。


こうしたことを思うとき

いのちの知恵の素晴らしさを覚(し)ると同時に

それが素晴らしいだけに 他面恐ろしさを思わずにはおれません。


やはり

親自らが 「親とはいかにあるべきか」と親の道を学び

学んだだけを修し行じて自身を育ててゆく ・・・ 。


この道は厳しいとは思いますが ・・・

厳しいだけに 自省自戒もするでしょうし

また 身心の内容が見えてきますから 謙虚にもなって

子どもにいろいろ注文をつける前に

・・・ 先ず 親自らを自制する力もでてくる と思うのです。










親の道 ・・・ 2.自省自戒

2010-08-15 05:15:26 | Weblog
私たちは 親として 本当に親の真実を生きているでしょうか。


なるほど 親の看板はかかげています。

そうして 口では

「お母さんは これだけあなたのために懸命になっているのに」

  などと言ったりしています。

これは本当に「母」としての言葉であり 思いでしょうか。



テレビや新聞などによって

  近頃の歪んだ世相を見たり読んだりするとき

やはり 親自身が自らを見なおし 考えなければならない

  ・・・ と つくづく思うのです。


確かに世の中は歪んでいます。

親だけが悪いのではありません。


しかし このような世の中にしたのは誰でしょうか。

誰でもありません ・・・ 私たち大人なのです。


私たちの生きざまが この社会をつくったのですから

やはり 親の自省自戒が まずなければならい ・・・ と思うのです。






親の道 ・・・ 1.愚痴

2010-08-15 04:12:02 | Weblog
世の親たちは

だれ一人としてわが子の幸福を願わぬものはありません。

また 愛情をもって育て

  よりよい子どもにしたいと願わぬものはありません。


しかし そう願いながら

子どもが自分の思うようにならないと

  「親の心子知らず」などと愚痴をこぼします。

この親の嘆きは

  親と子の関わりにおいて 宿命的なものであります。


「親の心子知らず」という言葉が

  本当に愚痴であり 嘆きならば ・・・

そうこぼす自分の心を点検しなければならない と思います。


愚痴をこぼす心というのは

自分の思い通りにならない

  親の思いがわかってくれない我が子に対してでるのです。

それは 親自身の

  自我の独りよがりの在り方に原因があるように思います。