気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

失敗もまたよし ・・・ 2.心の壁

2010-08-04 20:39:07 | Weblog
大きい人間は 心が大きい。

どうしたら心をおおきくすることができるか?


心の壁 判断の壁をブチやぶることです。 たとえば ・・・


「失敗することはイヤだ」と ほとんどだれもが思っています。

人間全ての通念とさえ 言ってよいほどのものです。


だが この観念に固執するかぎり

  人生は安らかな場所ではありえません。

なぜなら 大なり小なり失敗ということは

  生きているかぎり人についてまわるものだからです。

そのたびにガッカリしたり クヨクヨしたりしていては

  とても大きな心はもてません。

小人物のサンプルになるぐらいがオチです。


「失敗はイヤ」という固定観念 これが「判断の壁」なのです。


判断の壁をブチやぶることです。

さて ・・・ 。






失敗もまたよし ・・・ 1.大きい人間

2010-08-04 17:00:22 | Weblog
「大きい人間は」は何が大きい? ・・・

  腹(肚)が大きい。

  心が大きい

  視野が広い。

  考えかたが大きい。

・・・・・・・・・

要するに 精神的なことばかりです。


そうであるなら 物質文明とか 社会機構とか

そういった要因によって決定的に支配されることは

  ・・・ ありえないはずです。

尊厳なる心が モノに支配されてたまるものですか!


心自体をみずから操作することによって

物質社会には支配されない

  おおらかな自分をつくることができるはずなのです。


大きい人間は 心が大きい。

どうしたら心をおおきくすることができるか?


心の壁 判断の壁をブチやぶることです。

さて ・・・ 。






気が長い ・・・ 2. 40・50は 鼻タレ小僧

2010-08-04 15:14:49 | Weblog
精神的若さというものは

  人間 生きているかぎりもちつづけるべきなのでしょうね。


これは まだ「鼻タレ小僧」であったころの私が

  つねづね自分に言い聞かせていた自戒なのですが ・・・。


「40・50は・・・」の歌は 若い人にはあまりピンとこないようです。

「40・50が鼻タレなら われわれはいったい何なのだ ・・・ 」

  ・・・ という 不安やら反発やらの気持が湧くらしいのです。


たわむれに「まあ 小便小僧というところかネ」

  ・・・ と言ってみることがあります。

ウヘーとばかり 不服そうに頭をかきます。


しかし それぐらいに思っておっても いいのじゃないですか?

たしかに若いときは オシッコの勢いがちがいますからネ。

これ 肉体的な若さの表現にほかなりません。


要するに

鼻タレであろうとションベン小僧であろうと まだ一人前ではない

  ・・・ ということでは いっしょなのです。

まだ幼い ということなのです。



さて イチニンマエの大人とは ・・・ 。








気が長い ・・・ 1.気が若い 

2010-08-04 06:47:09 | Weblog
大きい人間のひとつの共通点は

  人生を長距離的 マラソン的にとらえていることです。

つまり 「気が長い」のです。


気が長いとは 生命力の持続時間が長い ということです。


だから こういう人たちは

  いくつの年になっても 前向きの姿勢を失いません。


老年というべき年齢においてさえ 青年のように

  「これから・・・」とばかりに 前方を見つめています。

つまり
 
「気が若い」のです。

体は老いても 心は老いないのです。



「 いくらか老人的なもの(分別 落ちつき など)をもった青年は好ましい。

  そして こういう青年は年をとると

    成年のような若さをどこかにもちつづけるものだ 」


・・・ ナルホドと思います。

  どちらの年齢においても その年齢のカベを破っているわけですからね。






小粒人間 ・・・ 7.人間失格

2010-08-04 06:06:41 | Weblog
スピード狂というべき人たちがいます。


S氏は かれらについてこう言う。

「 ヤツラは テメェがスピードを出していると錯覚してるんだ。

  ・・・ スピードは機械が出しているのにね。

  機械が出しているスピードに興奮するなんて

  ・・・ 人間失格というものですョ。アワレナ連中です 」


イソギグルマゆえの自己喪失でしょう。

スピード感というまことに末梢的な感覚の世界に

  心が閉じこめられてしまって そこから脱出できないわけですね。



どうしたらそのカベを破って

  「開きなおる」ことができるでしょうか ・・・ ?







  

小粒人間 ・・・ 6.河の流れ

2010-08-04 05:33:30 | Weblog
「河の流れがゆるやかなのは 水の量が多いからだ」

という西欧の諺(ことわざ)が私は好きですが ・・・


急ぎたがる人間は 上流の急流と同じで

  水かさがすくない(内容が乏しい)から音までたてて

    ・・・ あわただしく流れるのでしょう。

達人となって河口までくればもう

  流れているのかどうかさえ わかりにくくなります。









小粒人間 ・・・ 5.急ぎ車

2010-08-04 05:03:20 | Weblog
むかし 澤木興道老子は 自動車をすこぶるきらいな人でした。

「イソギグルマ」(急ぎ車)といって軽蔑しました。

「セッカチどもがイソギグルマをブッ飛ばしおって・・・」

  という調子です。


たしかに自動車という文明の利器は

  禅の理念とは反対の極に立つものでしょう。

禅の坊さんがクルマに乗るなら

  人力車というユックリグルマがふさわしいでしょうね。



私の知人にS氏という タクシー会社の社長がいます。

社長といっても 東北の田舎町で

  5,6台をもってやっている小企業ですが。

運転歴30年 この間完全無事故です。

若いころには東京で5年ほど タクシーを流した経験もあります。

だからその運転は ウマイなどというていどではなくて

  車が自分の体の延長のようなものです。

誇張していえば 眠っていたって運転を誤ることはありますまい。


この超ベテランのS氏が じつにゆっくりと車を走らせます。

悠々とマイペースで走るのです。

車のほとんど通らない田舎道においてさえも。


「ゆっくり走るねェ」というと

「スピードを出す必要がないから出さないんだ」と答える。

そして 「ヘタなやつほどスピードを出したがる」とつけくわえる。

・・・ これ 達人の言ですネ。



実生活もそのとおりでしょう。

スピードを出す必要がないのに出したがります。

そういう人が多いから 日本列島がストレスの場となります。

不必要にアクセク急いで みずから疲れています。


未熟な人間 小人物ほど急ぎたがるのも

  ・・・ 自動車の場合と同じでしょうね。