気の広場

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  日常雑感あれこれ・・・

ほんとうの強さ ・・・ 4.硬い強さ

2010-08-05 12:54:31 | Weblog
「硬い強さ」は わかりやすい。

「硬いから強い」のだと かんたんに思ってしまうほどです。


だから 強さを<鉄>にたとえる表現は

  昔から ひじょうに多く使われてきましたね。


『鉄腕アトム』 『鉄人28号』

  「鉄のように強いヒーロー」というイメージを

  心に焼きつけていきます。

強い足が 「鉄脚」。

「ツラの皮あつい」という その皮が「鉄面皮」。

スパルタ教育の道具(?)が「鉄拳」。

  これでもってこらしめることが「鉄拳制裁」。

堅い守りが「鉄壁」。 鉄の壁は破りようがないからです。

堅固な精神が 「鉄石の心」あるいは「鉄心石腸」。

  硬いものを二つ並べたわけです。

  「腸」はこのばあい 精神面をさしています。

動かすことのできない 絶対の規則や法則が「鉄則」。

「この考えを変えることはできない!」というのが「鉄案」。

  ワンマン社長が出すプランはたいてい これなのでしょう。

刑務所のことを 「鉄窓」。

きびしくこらしめるのが「鉄槌(てつつい)をくだす」。

バクチ打ちのことを「鉄火」

  ・・・ というのは わかるような気がしますが

  鉄火ドンブリ 鉄火ミソ ・・・ とくると

  浅学の身には 本来の鉄の関係が「?」となる次第 ・・・ 。


さて 引きつづいて

むかし 英国のサッチャー首相に捧げたのが

  「鉄の女」というニックネーム。

  女だてらに(失礼)タカ派路線を貫き通す

    政治家としての強さを評したものでした。


鉄をはじめ およそ武器をつくるのに鉄は欠かせません。

それで 鉄が武器の代名詞として用いられることもあります。

たとえば 「身に寸鉄を帯びず」は

  護身用の武器をなにひとつ 体につけていないことです。


武器の代名詞に使われることで

  鉄はいよいよ<強>のイメージが結びついてきます。

「鉄=硬い=強い」という固定観念が

    できあがってしまったわけです。


さて ・・・ 。






ほんとうの強さ ・・・ 3.<鉄> <水>

2010-08-05 07:49:05 | Weblog
人間の強さを ものに象徴させる表現のしかたがあります。

代表的な例として 二つを並べてみます。


<鉄>のように強い人間

<水>のように強い人間


一般的には <水>のほうがなじみがうすく

したがって その真意がつかみにくいかと思われます。

<鉄>の形容はよく用いられますが ・・・

人間の強さを水にたとえたのは 古今東西の思想家のなかでも

  おそらく 老子ひとりであろう ・・・ からです。


しかし とはいうものの

  ・・・ 強キコト 鉄ノゴトシ

  ・・・ 強キコト 水ノゴトシ

と並べてみれば それぞれの強さの像のおおよそは

  イメージとして 浮かんでくるのではないでしょうか?


すなわち 剛直の強さと 柔軟な強さとの対照です。

<剛>対<柔> 硬い強さと柔らかい強さのコントラストです。



剛直の強さ もちろんけっこうであろうけれども

これに柔軟性が加わったら ・・・

  「いうことなし」である にちがいありません。



私は 老子から ・・・ 「真の強者は水のようである」 と学びました。




 
  

ほんとうの強さ ・・・ 2.不平を知らぬ人間

2010-08-05 06:56:53 | Weblog
どういう人が「強い人間」なのでしょうか? ・・・

これには いろいろな答え方があるにちがいありません。



「恐れを知らぬ人間が 強いのだ」といえば

  「そのとうりだ」と 万人が納得するでしょうね。


しかし 常識的なとらえ方であるだけに

人間の強さというものが 上(うわ)かわだけのところで

  浅薄に把握されてしまう危険性もあります。



「不平を知らぬ人間が 強いのだ」 ・・・ といったら

  多くの人が 意外! と思われるかもしれませんね。


しかし 私は 「恐れを知らぬ」よりはこちらのほうが

  はるかに深い認識のしかたであろうと 信じています。


強くなるための自戒としても こちらのほうが

  ・・・ 効力をもちやすいはずですから ・・・ 。






ほんとうの強さ ・・・ 1.水のように 

2010-08-05 06:22:11 | Weblog
人間のほんとうの強さとは 鉄や石のような硬いそれではなくて

「水のような柔軟な強さ」である ・・・

  と 古代中国の思想家『老子』は説いています。


人間 だれにも弱さがあります。

弱いからこそ人間らしいのだ ともいえます。


だが 同時に

人間だれのうちにも 「強い自分」が潜在しています。


この尊い宝を引き出すには どうしたらよいのでしょうか。



弱い自分を否定するのではなくて

  「弱いままで強く生きよう」とします。

これは言葉の矛盾のようですが ・・・


実は この姿勢によってのみ 潜在する力は発動させうるのだ

  ・・・ と 私は思います。


いや 「弱いままで強く ・・・ 」と決意したとき

すでに 「水のように柔らかくて したたかな強さ」は

  ・・・ 発現されはじめたのです。






失敗もまたよし ・・・ 3.判断の壁

2010-08-05 05:10:13 | Weblog
「失敗はイヤ」という固定観念 これが「判断の壁」なのです。


判断の壁をブチやぶることです。

・・・ どうやって破りますか?


かんたんです。

「失敗したってかまわない」という判断をたてるのです。


「失敗するならそれもまたよし

  そのときはそのとき」と腹をきめてしまえば

  ・・・ この世にコワイものはないみたいなものです。

受験 恋愛 事業 ・・・ 何にさいしても

  ・・・ コワイことはありえないはずです。


それを反対に 「失敗はイヤ」という観念に執心すると

・・・ 何ごとであれ 失敗の可能性はありうるのですから ・・・

失敗がこわさにいかなることにも手が出なくなってしまいます。

心の壁をつくって そのなかに閉じこめられてしまうのです。


「失敗はイヤ」から「失敗したってかまわない」へ ・・・
 
たったこれだけのコトバ(考えかた)の操作をもって

  自我という壁が破れ いっきょに大きな世界へ出てしまいます。

・・・ じつにカンタンなことではないですか。


こういう心の操作ならば 社会状況のありようとは関係なしに

自分ひとりの内面の課題として

  ・・・ だれでも いつでも実行できるはずですね。