気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

花の命は短くて ・・・ 朝顔

2010-07-24 16:27:48 | Weblog
  朝咲いて昼に散るともわが務め


桜の花は 咲いてから散るまでの期間が短いので

「はかない」ことや「いさぎよい」ことの象徴のようにみられていますが

それでも 朝顔にくらべたら まだまだ「長生き」のほうです。


朝顔は 朝咲いて昼にはもうしおれてしまいます。

「花の命は短くて ・・・」といいますが

  おそらくもっとも命の短い花でしょうね。

虫の世界でいえば カゲロウといったところでしょうか。


だが 朝顔は

「すぐしおれてしまうぐらいなら

    咲いたってつまらない 咲くのはやめよう」

  などと ダダをこねたりしません。

数時間の間とはいえ

美しく咲いて 人の眼をよろこばせるというその務めを

  よろこんで果たすのです。


巨視的視野からみれば

人の一生だって まことに短い はかないもので

  朝顔のそれと本質的な差のあるものではありません。


これを「はかない」と嘆けば はたらくことがイヤになってきます。

・・・ そこで 朝顔を見習いたまえ というわけです。


人生の長さなんぞ ・・・ どうでもいい。

とにかく 生きているあいだは

  それぞれの務めを果たさねばなりません。


世のため 人のため いや だれよりも自分自身のために

  美しく咲きたいものです。

・・・ これは神からの至上命令であるような気がします。


やるべきことをやりとげたら

  安らかな大往生 キレイに散ることができる ・・・ はずです。





ワガママ ・・・ ワガおマンマ

2010-07-24 09:04:08 | Weblog
  三度たく飯さえこわし柔らかし

       思うままにならぬ世のなか


ごはんのことを おマンマといいます。

それで「飯」をうけて「まま」としゃれたわけで

ワガママのとおる世のなかではないゾ ・・・ と教えた歌です。


自動炊飯器という便利なものができてから

ごはんたきの手間ははぶけたかわり

ごはんの味は じつにまずくて単調なものになりました。


あれは何といっても昔ふうに

鉄の釜をもちい 薪やワラを燃やしてたくのが

  いちばんおいしいようです。


炊飯器のない時代には

  水かげんや火かげんがなかなかむずかしい。

「はじめチョロチョロ なかパッパ ・・・」などと

  火かげんのコツを教える言葉が普及していたほどです。


毎日たいていても かたすぎたり やわらかすぎたり

  なかなか思うようにはゆきません。


日々のごはんたきでさえ このとおりです。

思うがままに世を生きようなんて とんでもない心得ちがいであるゾ

・・・ そんなお説教をしているわけでしょうね。





ご利益宗教大繁盛 ・・・ デッチあげ・パワースポット

2010-07-24 07:03:20 | Weblog
日本の民衆の思想には

「欲心から神仏を祈る」ことを否定する考えが強いです。


「心だに誠の道にかないなば 祈らずとても神や守らむ」

  という有名な歌

「神仏を尊び 神仏に頼らず」

  という宮本武蔵の言葉など ・・・ すべて同じ線をいっています。

「やるべきことをやりさえすればいいのだ。

    その行為がただちに神につながるのだ」 ・・・ という考えです。



「神だのみ」の裏にあるものは 欲の心と依存心ですから

  やたら神仏に頼る人に良き人生の生きられようはずがありません。



ゆえに「欲から祈りをするな」

  という警告が口すっぱく発せられたわけです。

同時に 神だのみする人が多かった事実をもあらわしていましょう。



この傾向は 今の世にも引きつがれて

  ご利益宗教大繁盛の世相 となっているいるわけです。


宗教心は人間に必要ですが

それが依存心を誘発すると

  宗教は 人間をスポイルするアヘンになりかねません。


その依存心につけこんで「寺の住職」たちが

  「あとから拾う」ことになるのです。

(当ブログ インチキ坊主の金亡者 ・・・ 1.あとから拾う)



  田を深くよく耕して養えば

     祈らずとても米や実らむ


勤労即宗教と考えた方が まちがいが少ないのかもしれませんね。



* 蛇足ながら ・・・

それにつけても 最近は 
寺をかり 僧衣をかりて 
パワースポットまでデッチ上げ ・・・
○雲先生とかいうエライ人までデッチ上げ ・・・
「光だ」「生き仏」「神との交信」などと
  香具師(やし)そのままの口調で 支離滅裂な話をする
         バカな「寺の住職」まで現われる始末。

それは明らかに
明治・大正からある「詐欺の手法」そのままなのですが ・・・
  広い世の中 ダマサレル人もいるのですネ。

  ・・・ なげかわしい限りです。

足るを知る技術 ・・・ 2.心のスイッチ

2010-07-24 05:07:40 | Weblog
「ほしい ほしい」の欲望に心がとらわれると

その対象がもの 金銭 学歴 地位 名誉 恋人等 何であれ

「自分にまだあたえられていないもの」ばかりに意識が集中します。

そして

「自分にすでにあたえられているもの」を まったく忘れてしまいます。

幼児にみられる「ないものねだり」の心理に とりつかれてしまうのです。



いちど 心のスイッチを切りかえてみましょう。


「まだあたえられていないもの」に心をおくことをやめてみます。

そして

「すでにあたえられているもの」に心を集中します。

それらのひとつひとつを

  つぶさに思い浮かべ 心のなかに並べ ひろげてみます。


じつにおびただしい たくさんのもの(や人)が

  すでに自分にあたえられていることがわかるはずです。


それらをゼロとくらべてみるのです。

いかに自分が富んでいるかが じつによくわかるはずです。


あたえられている現実を 無限とくらべるから

  ・・・ 不平にとりつかれます。

無(ゼロ)とくらべたら

  ・・・ 知足と感謝の心が湧き出てきます。


すべて 心の持ちようひとつです。

自分の心を自由に操作するのです。