気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

生者必滅 ・・・ 2.風にまかせて

2010-07-21 19:15:06 | Weblog
またまた 尊徳翁の歌ですが ・・・


  おのが身は有無の湊(みなと)の渡し舟

       ゆくも帰るも風にまかせて


・・・ この自分の身は 生死の世界の渡し舟のようなもの。

誕生の湊から発して死の湊に帰省するまで

  ただ風にませるほかにない。

まかせきって生きたらよい。それが 大安心の境地です ・・・



「風」とはむろん 超越的な意思や力をさすのだ と思います。

・・・ 神と言いかえてもよい と思いますね。


だから

「死にたくない」と思うのは マチガイです。

「死にたい」もまた マチガイです。


死にかんして

おのれの少欲からの願望をもつことが

               ・・・ 風にまかせていない 煩悩です。






生者必滅 ・・・ 1.運命(さだめ)

2010-07-21 16:02:49 | Weblog
生者必滅 ・・・
 
  生あるものは 必ず死にます。

  植物は 枯れます。

  動物は 死亡します。


徳富蘆花の『不如帰(不如帰)』のヒロイン浪子さんが

「人間て なぜ死ぬのでしょう。千年も万年も生きたいヮ」と嘆きます。

ある漫才が このセリフをつかまえて

「人間て なぜ死ぬのでしょう」

「死なないと アトがつかえるからサ」


このほうが本当です。神サマは お困りあそばすのです。



自分を生み 生かしめている力が

  やがて 自分を死なしめる のです。

ましてや

死ぬ時期と死にかたとが 自分の自由になる道理はありませんね。


生と死は相対です。

生まれたのが自由意志によらなかったのですから

    ・・・ 死もまたそのとうりであることは 当然です。




本末転倒 ・・・ 心とすがた

2010-07-21 06:31:24 | Weblog
形こそ深山(みやま)がくれの朽木(くちき)なれ

          心は花になさばなりなむ     (兼芸法師)


古今和歌集に出ている歌で

詞書(ことばがき)に

  「女どもの見て笑いければよめる」とあります。


・・・ 私の姿こそは
 
深山の奥に隠れている朽木のように 見るかげもなく醜いものだが

ご婦人がた そんなにお笑いめさるな。

  心は花のようにに美しくしようと思えば

      できないことはないでしょうからネ ・・・ 。



人はとかく他人を 表面的な姿 形で評価しようとします。

大切なのは中味である精神面なのに

そのほうはよく見ようとはせず

  また読みとる眼力もとぼしいものです。


自分自身に関しても

表面的なものだけを飾り

  内面の修養ということを怠りがちになります。



いつの時代においても 人とはそういうものでしょうが

物質主義 拝金主義の今の世において

・・・ そういう性向は 極まった感がありますね。





  

感謝無限 ・・・ 平々凡々たる毎日

2010-07-21 05:49:11 | Weblog
平々凡々たる毎日がつまらなくて

「なにか変わったことはないか?」

「オモシロイことはないか?」

  ・・・ などと言ったり 空想したりする人がいます。


しかし ここで考えなおしてみれば

平穏無事であることほどありがたいことはありません。


その価値がわからなくてオモシロイことのみ求めるのは

  ・・・ 感謝知らず というものでしょうね。


日々の衣食住にこと欠かないだけでも

感謝無限

  ・・・ というべきほどにありがたい現実なのです。