気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

死 ・・・ いつかはその日がくる

2010-07-03 15:17:19 | Weblog
どんな偉い人でも

どんなに悟った人でも

    ・・・ 死はやってきます。


死を逃れることはできません。


死ほど厳粛なものはありません。


死の自覚をもつものは ・・・ 人間だけです。



  「いつかはその日がくる」


  いつかはその日が来る

  その日のために

  一切が生きているのだ

  飛ぶ鳥も

  咲く花も


  その日は明日かもしれない

  いやその日の夕方かもしれない


  それゆえその日は

  つゆくさのように

  うつくしくかがやきたい









円空的子育て ・・・ 4.信頼に応えて

2010-07-03 12:06:01 | Weblog
赤ちゃんは

親を全面的に信頼して生まれてきます。


だかろこそ 泣くのですね。

泣けば

  オッパイをくれるし

  オムツもとりかえてくれるし

  抱いてもくれる ・・・ と思っているわけです。


しかし

親にとって これほど恐ろしいことはないですよ。

「この子の信頼に応えるだけのものをもっているだろうか」

  と自問したら ・・・

大概の親は 赤面するしかないのではありませんか。


しかし

赤ちゃんは そういう親を信頼しています。


それならば

親が その信頼にふさわしい人間となるよう

   努力するしかないではないか ・・・ と思うのです。


そして

その努力は 教育書や育児書を読むよりも

なんといっても

赤ちゃんが自身から教えられることに対して

  いつも謙虚に胸を開く ・・・ というようになされるべきです。


なぜなら 赤ちゃんは直接何も言ってくれないからです。


親が 自分の心を赤ちゃんという澄んだ鏡に映して素直に見つめること

  ・・・ それしかないからです。



















円空的子育て ・・・ 2.自分を消し去る

2010-07-03 08:34:32 | Weblog
木片や木塊がはじめから仏であったように

無垢で形の定まらない赤ちゃんも

  はじめからその子自身 ・・・ なのでしょう。


子育てもまた

その子自身が素直に輝き出るよう

無駄なものを削り落としていってやる以上のことは

  やってはならない ・・・ のではないでしょうか。


木片や木塊なら

それは見る側によって

  いろいろに受けとることができますし

各々に

そこから立派な作品が生み出される可能性があります。

しかし

赤ちゃんは

  のっぴきならない個人としてすでに在る ・・・ のです。


みる側の勝手で

  作品にするわけにはいきません。


だからなおさらのこと

親は

  自分を消し去る心構えをもたななければならない

              ・・・ のではないでしょうか。













円空的子育て ・・・ 1.はじめからみていた

2010-07-03 07:38:05 | Weblog


私は 円空という人の彫刻した仏像をみていて

  ・・・ ハッとさせられたことがあります。


円空という人は

  日本全国を歩き廻って

そこら辺にころがっている木片や木の塊りを

  次々仏像に仕上げてしまった人で

作品の数は 何千・何万という単位に及ぶと聞きます。


その仏像たちをみていてわかったのは

円空は

  木片や木の塊りに はじめから仏をみていた

             ・・・ ということです。


それらの仏像たちのほとんどが

近代的な意味での完成された作品ではない ・・・ のです。

木の中から仏の姿が浮き出てきたら

  もうそれ以上円空は彫ろうとしていないのですね。

それ以上彫れば

  円空という個人の想いとか個性とかいうものが盛り込まれてしまう

そのぎりぎりのところで自分を投げ捨てている ・・・ わけです。


その木片・木塊の中に眠っている仏が形を成すよう

円空は

  無駄なものをそぎ落とし削り落とした ・・・ のです。

そして 仏があらわれたらもうやめてしまった ・・・ のです。


だから

円空というのは個人じゃないという説があるほどです。

つまり 没個性的なのです。



この円空的態度が

私は実は

  子育ての根本なのではないか ・・・ と思っているのです。












ウンザリ顔の主婦へ ・・・ 4.悦び

2010-07-03 04:43:10 | Weblog
2010/5/23 撮影



少なくとも

結婚して わが子を産んでしまっている限り

  その責任を取るのが当たり前であり

子育てし

この成長を見守るのが自己の選び取った道である

         ・・・ として自覚すべきです。

しかも

わが働きの場が

  愛する夫や子どもに対してであることに

自らの悦びを見い出すことこそ

  自己に目覚めて生きるということである

            ・・・ のだと思います。