コロナの影響で、予定よりも1週間早く明日から2学期がスタートします。
この夏は、クラブの合宿など予定していた宿泊を伴う行事もなくなり、学校以外は家で過ごしました。
けれど休暇の3分の1は学校で過ごすことになってしまいました。
それは秋の文化祭に向けてクラスで準備するための責任者として登校したからです。
1学期予定されていた学習以外の行事がことごとくなくなったので、生徒同士の人間関係もしっかり構築出来ていないことを憂いていました、
そこで生徒に「折角だから高一でまだ時間に余裕のある時期に、このクラスで何か作ったら。」という呼びかけに、
生徒が呼応してくれて、自主映画「現代版 浦島太郎」を撮影することになり、生徒の見守りということで登校していました。
場面場面に応じた配役や裏方で登校し15名程度の生徒が日替わりで登校してくれました。
生徒同士はそれなりに話ができて、やっと友達と話ができたとか初めて話をしたなど、イベントがなくなった1学期でしたが
この撮影を通じてそれなりにクラスとして楽しんでくれたようでした。
この秋の文化祭はクラウドによる実施ということで、どれだけ盛り上がるかわかりませんが、まずは自分たちが楽しもうを合言葉に
何かを創造するという過程を経るなかで、このような取り組みをしなかったら得られないものが得られたと考えています。
具体的に1つ書けば、「思い出」ということになります。私が経験した40年ほど前の文化祭では、自主映画を作るクラスが多く
脚本から演技アフレコと編集と、映画を作りの中からその後の人間関係へと発展したことを経験しています。そしてそのことは時を隔てて今でもつながりへとなっています。
この経験が今につながっています。当時は、ロケ地を探したりとか小道具を作ったりといったりと撮影にずぶん時間がかかりましたが、
今はiPadを利用することや映像編集に長けている生徒のおかげでかなり撮影は楽になり1週間程度で撮影はクランプアップしました。
撮影は終わりましたが、編集担当者の技術で映画のクオリティも変わるご時世です。グリーンバックを利用したりと、編集をイメージして
撮影が進んでいました。
またコロナの影響で、多くの家庭で予定が詰まっていなくて、急な撮影予定でも生徒が集まれる状況にあったことも幸いでした。
全員登校というわけではなかったですが、場面場面に応じた配役や裏方で登校している生徒はそれなりに話ができて、何気なく話をしたり接するなかで、
生徒がみせる授業中とは異なるさらにはこんなこともできるとこんなことまで知っているなどのスキルを見ることができる機会になりました。
今の高校生が今の感性で作った作ろうとしている取り組みがすぐそばで見られたことがハッピーでした。
以前にも書いたと思いますが、個人の学びから得られる力もありますが、協働や対人関係から学ぶことも
やはり大きく、授業だけが学校でないということを改めて感じました。
学習に関しては、1学期の遠隔授業で教える側も学ぶ側もそれなりにツールが使えるようになり、
多くの科目で夏季課題の提出も物理的なものからネットを通じての提出となっています。
重たいノートを運ぶことなくまたコメントを書き加える楽になりましたが、同じ姿勢で画面を見てしまうので目に対する負担は大きくなりました。
反転授業も本格始動です。数学Aで1学期に積み残していた確率の最後の節 いろいろな確率 は
解説動画を利用しての予習が夏季課題になっています。授業は確率の総合演習から授業を行います。
コロナ禍で教室内における協働的な学びが行いしにくいのだけが問題です。
この夏は、クラブの合宿など予定していた宿泊を伴う行事もなくなり、学校以外は家で過ごしました。
けれど休暇の3分の1は学校で過ごすことになってしまいました。
それは秋の文化祭に向けてクラスで準備するための責任者として登校したからです。
1学期予定されていた学習以外の行事がことごとくなくなったので、生徒同士の人間関係もしっかり構築出来ていないことを憂いていました、
そこで生徒に「折角だから高一でまだ時間に余裕のある時期に、このクラスで何か作ったら。」という呼びかけに、
生徒が呼応してくれて、自主映画「現代版 浦島太郎」を撮影することになり、生徒の見守りということで登校していました。
場面場面に応じた配役や裏方で登校し15名程度の生徒が日替わりで登校してくれました。
生徒同士はそれなりに話ができて、やっと友達と話ができたとか初めて話をしたなど、イベントがなくなった1学期でしたが
この撮影を通じてそれなりにクラスとして楽しんでくれたようでした。
この秋の文化祭はクラウドによる実施ということで、どれだけ盛り上がるかわかりませんが、まずは自分たちが楽しもうを合言葉に
何かを創造するという過程を経るなかで、このような取り組みをしなかったら得られないものが得られたと考えています。
具体的に1つ書けば、「思い出」ということになります。私が経験した40年ほど前の文化祭では、自主映画を作るクラスが多く
脚本から演技アフレコと編集と、映画を作りの中からその後の人間関係へと発展したことを経験しています。そしてそのことは時を隔てて今でもつながりへとなっています。
この経験が今につながっています。当時は、ロケ地を探したりとか小道具を作ったりといったりと撮影にずぶん時間がかかりましたが、
今はiPadを利用することや映像編集に長けている生徒のおかげでかなり撮影は楽になり1週間程度で撮影はクランプアップしました。
撮影は終わりましたが、編集担当者の技術で映画のクオリティも変わるご時世です。グリーンバックを利用したりと、編集をイメージして
撮影が進んでいました。
またコロナの影響で、多くの家庭で予定が詰まっていなくて、急な撮影予定でも生徒が集まれる状況にあったことも幸いでした。
全員登校というわけではなかったですが、場面場面に応じた配役や裏方で登校している生徒はそれなりに話ができて、何気なく話をしたり接するなかで、
生徒がみせる授業中とは異なるさらにはこんなこともできるとこんなことまで知っているなどのスキルを見ることができる機会になりました。
今の高校生が今の感性で作った作ろうとしている取り組みがすぐそばで見られたことがハッピーでした。
以前にも書いたと思いますが、個人の学びから得られる力もありますが、協働や対人関係から学ぶことも
やはり大きく、授業だけが学校でないということを改めて感じました。
学習に関しては、1学期の遠隔授業で教える側も学ぶ側もそれなりにツールが使えるようになり、
多くの科目で夏季課題の提出も物理的なものからネットを通じての提出となっています。
重たいノートを運ぶことなくまたコメントを書き加える楽になりましたが、同じ姿勢で画面を見てしまうので目に対する負担は大きくなりました。
反転授業も本格始動です。数学Aで1学期に積み残していた確率の最後の節 いろいろな確率 は
解説動画を利用しての予習が夏季課題になっています。授業は確率の総合演習から授業を行います。
コロナ禍で教室内における協働的な学びが行いしにくいのだけが問題です。